Piper-Heidsieck (Reims)
Veuve Clicquot Ponsardin (Reims)
Moet & Chandon (Epernay)


いつだったか、「シャンパーニュの本質は地上ではなく、地下にある」と書かれた一節を読んだ
ことがある。果てしなく続く迷宮の様な地下通路の暗闇の中に、ひっそりと眠る無数のシャンパ
ーニュのボトル。それが地上に出ると、華やいだ場面の中で景気よくコルクがはじけ飛び、グラ
スの中でも無口に戻ることなく、たえず繊細な泡を立ち上らせる。

言ってみればこの鮮やかな陰と陽の対照が、シャンパーニュに対して僕が抱いていた特別な
関心の理由のひとつである。そして長らく待っていた機会が、今回ようやく訪れた。

厳しい寒さも和らぎはじめた3月の上旬、僕たちは車でランスへと向かった。
高速道路を降り、ランスの旧市街に入ると、とりあえずノートル・ダム大聖堂の隣の観光案内
所へ向かう。1211年から200年以上にわたり建築が続いたという大聖堂のまわりには、ワイン
ショップがいくつも軒をつらねていた。

観光案内所では、係りの男が僕たちが何も言わないうちから笑顔で地図を取り出し、醸造所
のリストを指して「今日はムム、パイパー・エドシック、ティタンジェとマキシムが開いてるけど、5
時までだから急いだ方がいいよ」と、実に察しのいい対応をしてくれた。快適だったが、その時
悟ったのは、僕たちは間違いなく、その他大勢のなかの一部なのだという事だった。


ランス観光案内所のHP
http://www.tourisme.fr/reims



1. パイパー・エイドシック



最初に訪れたのは、パイパー・エイドシック社。
別にお気いにいりの銘柄という訳ではなく、ここの地下蔵には見学者用の列車が走っていると
いう事を観光ガイドで読んだとき、脳裏にインディ・ジョーンズのワンシーンが浮かんだからだ。
きっとものすごく広大な地下道に違いない。

愛想の良い受付嬢に見学料を払い、地下に向かう。
空気が少しひんやりとして、少し探検気分が出てきたころ、突然日本語のナレーションが流れ
てきた。「シャンパーニュ。この地方に広がる石灰質の土壌と、造り手の技と情熱が生み出す
このワインは....」まるでワイン雑誌の広告だな、と聞き流す。

階段を一番下まで下りきったところに、電動カートの乗り場があった。係員に切符をみせて、6人乗りのカートに乗りこむと、スピーカーから先ほどの続きのナレーションが流れてくる。地下道はそのナレーションの舞台として、巨大ブドウや張子の人形がセットされており、照明が暗くなったり明るくなったり、コンピュータ制御されたカートは右をむいたり左をむいたり、まるで遊園地のアトラクション。

ツアーのあとは、赤の内装の映えるバーで試飲。
僕は割り増し料金を払って3種類、スタンダードのBrut, 1995のビンテージBrut、それとロゼ。1995はワインらしい、ちょっと濃いめの完熟した果実感があり、好感が持てたけど、ほかの2つはあたりさわりの無い、さっぱりとした味。すこし物足りなかった。物足りなかったのは、ワインの味だけでなく、お仕着せツアーのせいもある。しかし、子供づれには向いているかもしれない。


Piper-HeidsieckのHP
http://www.piper-heidsieck.com




2. ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン



翌日、予約していたヴーヴ・クリコ・ポンサルダンへ向かう。
前日のすっかりアトラクション化した見学に肩の力が抜けたせいで、一応ジャケットを持ってき
てはいたものの、袖を通す気にならず、カジュアルな格好で赴いた。

ここの地下蔵は、一見の価値がある。
もともと石切り場だったものを、シャンパーニュの熟成庫に転
用した、広大で入り組んだ地下迷路だ。地下神殿へと導くか
のような趣のある階段を降りると、洞窟の底の空気はほんの
りと湿ってはいるが、それほど寒くはなかった。年間を通じて
10℃前後。掘りぬかれた部屋が蟻の巣のようにいくつも繋が
り、その数はおよそ570にもなる。

通路から窪まった空間には、シャンパーニュのボトルがびっ
しりと積みあがっている。二次発酵とその後の熟成を行って
いるのだ。その期間は3年から6年と、キュベによって異な
る。灰色の埃が積もったボトルの側面に、役目を終えた酵母
がたまっていた。
出荷前に澱引きのため、ボトルはピュピートルと呼ばれる板に逆さに立てられて、およそ一ヶ月間毎日すこしづつゆすり動かされれる(ルミアージュ)。こうして瓶の口に溜まった澱は、やがて出荷時に極低温にて氷結させられ、王冠の開栓とともに吹き飛ぶ。ベースワインを原料にした門出のリキュールを必要に応じて添加、コルク栓をする。その後ワインを落ち着かせるために再び数ヶ月貯蔵され、ようやく出荷となる。

もっとも、職人が手作業で行っていたルミアージュは、今はマグナム以上のボトルだけ行っており、スタンダードな750ml入りのボトルはジロパレットと呼ばれるマシンに取って代わられた。これだと手作業では1ヶ月を要したものを、1週間で完了できる。
さらに、地下道を幾台ものフォークリフトやパレットを引っ張る牽引車両が、死角の多い空間で
の事故防止の為だろう、クラクションを鳴らしながら、たいそうな速度でひっきりなしに行き交っ
ていた。熟成中のシャンパーニュも、おちおち眠っていられなさそうな様子であった。

地下蔵の見学のあと、直売所での試飲はキュベ・サン・ペテルスブルクのBrut。イエローラベル
よりすこしばかり背筋がピンと伸びてはいるが、やはり軽く繊細で、北のワインであることを感
じた。



Veuve Clicquot PonsardinのHP
http://www.veuve-clicquot.fr




3.オーヴィレール



ランスからエペルネにむかって国道を南に走ってしばらくすると山道に入る。
左右にうねる街道には点々と小規模なシャンパーニュの醸造所があり、本当はこういう所を訪
問すれば面白いのだろうけれど、時間の都合でパス。

エペルネの手前で山道が終わると突然景色が開け、一面葡萄畑で埋まっている斜面がマルヌ
河へ向かって広がっていた。その急な変化は、ドラマチックでさえある。実際ランスの町の周辺
では葡萄畑をほとんど見かけなかったのが、ここに至ってようやくワインの産地らしい風景に出
会ったのだ。そのなだらかな傾斜は、ラインガウにどこか似ていた。

僕達はマルヌ河の手前で右折し、オーヴィレー
ルの村へ向かった。

葡萄畑に沿った道路の傍らには、マイルストーン
の様な醸造所の標識が並び、所有する畝を示し
ている。村は葡萄畑が広がる丘のもっとも高い
所にあり、銀色に光るマルヌ河とエペルネの町
が遠くに見えた。
写真上:オーヴィレール村の街角
左:オーヴィレールからマルヌ河を望む

この村の修道院で、17世紀から18世紀前半にかけてドン・ペリニヨンがワイン造りに携わって
いたのだ。もっとも、彼が発泡酒としてのシャンパーニュを発明したというのは、伝説にすぎな
い。しかし複数の畑のワインをブレンドすることで、調和のとれたワインを造る手法を確立し、
シャンパーニュのワインの品質を高める事に寄与したという点では、確かに現代のシャンパー
ニュの基礎を築いたといえる。


オーヴィレール修道院付属の教会

修道院は今も修道士が共同生活を営んでいるらしく、残念ながら一般立ち入り禁止であった。
修道院付属教会の祭壇手前の床にドン・ペリニヨンは葬られており、墓碑には次の様に刻ま
れている。

『全能の主よ ここにドン・ペトルス・ペリニヨン眠る。47年にわたりこの修道院の酒庫責任者
(セラリウス)を勤め、卓越した指揮により貢献した。司祭として豊かな徳で信者を導き、特に弱
者を愛した。享年77歳 1715年 安らかに眠らんことを。 アーメン』

ドン・ペリニヨンの当時から、シャンパーニュは贅沢品として名高かったが、300年を経てもな
お、その地位を保っている。しかしながら、信仰のために世俗の欲望を断った修道士が、まさ
にその欲望に訴求し消費される商品を生み出すもとになろうとは。

ドン・ペリニヨンの魂も、複雑な思いで今日のシャンパーニュの成功を見守っているのではない
だろうか。





4. モエ・エ・シャンドン



エペルネの一角、シャンパーニュ大通りには、錚々たる顔ぶれの醸造所が軒を並べている。
モエ・エ・シャンドン、ペリエ・ジュエ、ド・ヴノージュ、ポール・ロジェ。

今でこそ市街地の一部だが、中世の城壁跡の外側にある。もともと都市なり教会なりが管理し
ていた建築用石材の石切り場を、18世紀以降に醸造所が買い取って、地下蔵に転用したとす
るなら、醸造所が町の一角に集中しているのも当然といえば、当然か。ちなみにその石材はチ
ョーク質で、茶色を帯びたベージュ色をしている。柔らかく加工しやすく、爪の先ですぐに削れ
る。軽く繊細なシャンパーニュの風味と、どこか通じるところがある。

モエ・エ・シャンドンは、シャンパーニュの中でも最も著名で大規模な醸造所である。
所有する畑は772haと、同様に著名なヴーヴ・クリコの286haの2倍以上。どちらもルイヴィトン・
モエ・ヘネシーの傘下にある。受付でツアーの切符を買って、待合所でツアーの時間まで30分
ほど待った。ちょっと上等なホテルのロビーの様な空間で、テーブルの上に宣伝用のパンフが
置いてある。パラパラとめくると、まるでファッション雑誌だ。モデルがモエのミニボトルにコーラ
のようにストローを挿して飲んでいるスナップが多数。新しい消費スタイルの提案で、若年層へ
の消費拡大を目指しているのか?もったいない飲み方だな、と思う一方で、上品ぶった飲み方
に対する反抗心も感じられて、面白くもあった。

ツアーは試飲を含めておよそ1時間。言ってみればお定まりのコースである。

ヴーヴ・クリコの地下蔵よりも整然とした、真っ直ぐなトンネルが平行に並び、建築年代によって天井の高さや広がりに若干の違いがみられる。

グレーのスーツを着たガイドさんが、おそらくバレエで訓練されたと思われる無駄のない身振りで、要領よく説明。説明の内容と質問への応答も、今回訪問した3ヶ所で一番しっかりしていた。

そのせいかどうか、試飲したシャンパーニュも一番印象が良かった。
プレステージ・キュベのドン・ペリニヨンは、当然ながら試飲できなかったけど、6種類試すこと
が出来た。

Brut Imperial
  さっぱりしてバランスよし。軽いが、ストローで飲むのはやっぱりもったいない。
Brut Imperial 1er Cru
  すこし酸味のしっかりめの、シャルドネの比率の高いブレンド。
Brut Imperial Rose
  やわらかくバランスのよい、やさしい口当たりの軽めのロゼ。淡いバラ色と飲んだ印象が相乗効果を生んでいる。
Millesime Blanc 1996
Millesime Rose 1996
  どちらもインペリアルより味の輪郭がくっきりしているが、果実味の印象には好みが分かれそう。
Brut Imperial Reserve
  バランスがよくやわらかで、ほんのりと白パンの香り。軽めで素直、でもちゃんと味わい深い。なかなか良い。

3ha前後の畑しか持たない醸造所も多いモーゼルと比べると、772haと途方も無く広大な葡萄
畑を持っているわけだけれど、その強みが、シャンパーニュの味に生かされているようだ。



Moet et ChandonのHP
http://www.moet.com




5. シャンパーニュ雑感



シャンパーニュは北のワインであることを、今回改めて感じた。
軽く繊細で、ガラス細工の様にもろく、真夏の雪のようにはかないワイン。

シャンパーニュの土壌は石灰質。だから本来もっと南の気候でよく熟すシャルドネ、ピノ・ノアー
ル、ピノ・ムニエが栽培されている。しかし、冷涼な気候はその完熟を保障しない。

自然が与えた難しい環境を、いかにポジティブな成果にもっていくか。
それが、シャンパーニュの人々が編み出したブレンドと発泡の技術なのだ。

異なる畑、異なるビンテージのワインをブレンドして、欠点を補い、調和をとる。
その結果、誰が飲んでも楽しめる、快適な泡立つワインとなる。

一般に、ワインは造り手、畑、そしてビンテージの個性が重視される。しかしブレンドを行うこと
は、そのうち二つの個性を断念することでもある。シャンパーニュの造り手が大切にする「スタ
イル」とは、ワインの個性を表現する最後の砦なのだ。

極限ともいえる環境から、最も理想的な形のワインとして、泡立つシャンパーニュが生まれた。
シャンパーニュは特別な機会に飲むワイン、祝い事やハレの日と密接不可分に結びついてい
る。いわば一種の先入観、固定観念ともいえるこの了解は、シャンパーニュの造り手達が裁判
に訴えて守り抜いてきたものであると同時に、もしかしたらワイン造りと同じくらいに力を注いで
きた、イメージ戦略の成果でもある。

もしも宣伝広告費を節約したら、ひょっとしてシャンパーニュはもっと安くなる?
しかし、それではシャンパーニュのありがたみが薄れてしまう。
せっかくのハレの機会だからと、思い切って奮発してこそ、シャンパーニュがおいしくなるし、幸
せな気分も高まるのである。

正直なところ、スタンダードのシャンパーニュの値段にはいまひとつ納得出来ない。
モーゼルの小さな醸造所のリースリングやエルプリングのゼクトでも、それ以上の品質でずっ
とリーズナブルな値段がついている。そうした大抵のゼクトは単一の畑、単一のビンテージの
ワインから造っているので、個性も豊かだ。製法は、もちろんシャンパーニュと同様である。

しかし、ゼクトはゼクト、シャンパーニュにはなりえない。
シャンパーニュには、シャンパーニュの人々が長年に渡って育ててきた、シャンパーニュだけ
が纏っている特別なオーラがある。世界的なブランドとしてのシャンパーニュにゼクトが追いつ
けないのは、ディオールの香水にケルナーヴァッサーが知名度の点では太刀打ちできないの
と同じようなものだ。

だから、シャンパーニュは特別な機会だけに飲むのがよい。
その雰囲気がシャンパーニュを美味しくしてくれるし、シャンパーニュが美味しく飲めれば、気
分はますます幸せになる。そしてなるべく、だれかと飲むのがいい。
幸せは、分かち合うことでますます広がる。

さぁ、シャンパーニュで乾杯しよう。
シャンパーニュが飲める幸せを、その幸せを分かち合う人がいる幸せを祝って。
祝うためのワイン、それがシャンパーニュなのである。

(2003年3月)





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