3月最後の日曜日から、夏時間が始まった。
土曜日の夜中の2時が突然3時に変わり、日曜の夜明けが1時間早くなり、日没が一時間遅く
なった。そうして、夏への扉が開かれた。

4月に入って、またワインスタンドが
開店した。

毎年この時期になると、トリアーの街
の広場の真ん中に姿を現し、3、4
日ごとに入れ替わり立ち替わり地元
のワイン農家が自家製のワインをこ
こで売る。かれこれ10年以上、3月
最後の週末明けから11月の最初の
週末まで開いている。

(写真:夏のトリアーのワインスタンド)

今日は今年はじめて、ワインスタンドに立ち寄った。
先週末までの暖かさとは違って、いくらか冷え込んでいたものの、ここで飲むワインの味はまた
格別だ。行き交う人々の雑踏や雑談を耳にしながら、教会の尖塔の上に広がる真っ青な空を
眺めながら、広場を吹き抜ける爽快な風を肌で感じながら飲むワインは、街の空気にしっくりと
馴染んで、素直に美味しい。

このワインスタンドにしばしば立ち寄るようになってから、かれこれ4年になる。顔なじみのお客
さんや、ワイン農家の人たちも増えて、つい、長居してしまう。

今日のワイン農家のご主人は、4haの畑の世話をしながら、トラックの運転手をして糊口をし
のいでいるという。ドイツ人のワイン消費量はビールを追い越すほど増えてきているが、そのワ
インのほとんどは輸入ワインである。カリフォルニアやチリで大量生産された赤ワインが大手ス
ーパーマーケットで廉価に売られ、零細農家のワインと競合している。

「やっぱり、宣伝の影響は大きいよ」
ワイン農家のご主人はぼやく。
「例えばコカコーラが、宣伝にどれだけお金をつぎ込んでいることか。マスメディアで何度も取り
上げられると、その影響はてき面なんだ。ドイツが戦争に負けたとき、アメリカ人が何を持って
きたと思う?コカコーラのカートンさ。そうやって、宣伝したんだ。」
「でも」と僕は反論を試みる。「大衆は宣伝に乗って、一斉にとびつくかもしれないけど、すぐに
飽きてしまうんじゃないですか?」
「でも、きょうび、上手に宣伝することが、成功の秘訣なのさ。」と言って、彼は肩をすくめた。真
っ青な青空から吹き降ろす寒風が、いっそう身にしみて冷たく感じられた。

クリュセラート村で造っている彼のワインは、それほど印象的な訳でもないが、けっして悪い出
来ではない。平均収穫量は80hl/ha前後と、ドイツワイン法の許容範囲である120hl/haをはる
かに下回っている。1998年からリリースしているシュペートブルグンダー、フランスで言うピノ・ノ
アールも、穏やかながら調和のとれた、そこそこいいワインだった。

しばらくすると、ワインスタンドの顔役と言っても良い、山羊髭のディーターがやってきた。ひさ
びさの再会を喜びあい、ゼクトを一杯おごってもらう。その'98年産のリースリング・ブリュット
は、ほどよく熟成して調和のとれた、素敵なスパークリング・ワインだった。

小さなつくり手のゼクトは大抵生産年ごとに造られており、若干のあたりはずれがあるが、ワイ
ンよりも品質的に安定している。しかし、これは個人的な印象なのだけれど、シャンパーニュで
大量生産されている大手のスパークリング・ワインよりも良い意味で個性的で、土地の味と生
産年の個性がはっきりしており、楽しめるものが多い。それでいて、価格はシャンパーニュの
半分以下である。

「いいゼクトですねぇ!」
「だろう?ランスのシャンパーニュは石灰の味が強くっていけねぇよ。あれを飲んだ翌朝は、石灰の味で歯磨きがいらないんじゃないかと思うね。エペルネのはまだイケルけど。こいつは好みの問題だが、俺はリースリングやエルプリングのゼクトの方が、そんじょそこらのシャンパーニュよりも好きだね。」僕はおごってもらったゼクトをすすりながら、素直にうなずいた。


これから11月まで、週におおむね2つのワイン農家が、このワインスタンドで自家製ワインを
売りに来る。中にはゴー・ミヨにも載っている、半ば定評のある醸造所も来るが、そのほとんど
は無名の、代々続いたワイン農家である。彼らのワインは正直なところ、国際的な競争力はほ
とんどないだろう。しかし、肩肘のはらない、街の空気、モーゼルの川面を渡る風、ブドウ畑の
日向で温まったスレート岩を思わせる味がする、本物の、地域に根ざした、まさにここでしか飲
めないワインなのだ。仮に同じワインを日本に持って行っても、そして理想的なコンディションで
保存したとしても、ここで飲むのと同じ味はしないに違いない。

教会の鐘が6時を告げた。
次第に傾いていく日差しの中で、ゼクトの泡が静かに煌いている。
世界の片隅で戦争がある一方で、ここはなんと平和な、幸福な空気に満たされていることか。

ワインスタンドは、僕にとっての夏への扉である。
これから次第に日没が遅くなり、各地でワイン祭りがはじまる。
異邦人である僕は、いつかこの町を去らなければならない。それまで、つかの間ではあるけれ
ど、今、ここでしか味わえないワインを、精一杯楽しみたいと思う。

(2003年4月)









「いやぁ、いい天気ですねぇ。」「ほんとに、まったく素晴らしい天気ですな。」
誰もがそう挨拶せずにはいられないほど、その日の初夏の空気は素晴らしく澄み切っていた。
先週の小雪がちらついた寒さが、まるで遠い昔のことのように思われた。

青く澄み切った空には飛行機雲が行く筋かまっすぐに伸びて、ワインスタンドを吹き抜ける風
はさっぱりと乾いていて暖かだった。木立の新緑が目を見はる速さで広がり、どこの葡萄畑の
剪定のすっかり終わり、この暖かさならばいつ新芽が吹き出してもおかしくないように思われ
た。

「やぁ、流浪の若者。元気か。」
冗談めかした挨拶で、パルツェム氏が現れた。彼とは先週ここで知り合ったばかりだが、ずい
ぶん昔から知っていたような気がする、親戚の叔父さんのような年配の男性だ。

「ワインスタンドには、時々町を散歩するついでに、"バッベルン"しに来るんだ」
「"バッベルン"って、なんですか?」
「あ〜、こりゃトリアー弁だからな。わからなくっても無理ないか。世間話ってことさ。」
バッベルン、バッベルン。口の中で何度か繰り返してみると、なんとなくその語感が伝わってき
た。
「よし、じゃぁおれがトリアー弁を仕込んでやる。これからここで合ったら、トリアー弁で話すから
な。」 そう言って笑っていたのが、先週のことだった。

「どうですか、その後調子は。」と聞くと、彼は少し間をおいてから、独り言のように言った。
「うん。奥さんがこないだの日曜日に逝っちゃってね。」
「奥さんって、誰の。」
「私のさ。」僕はとっさに、なんと言ってよいかわからなかった。

「長いこと病院で寝たきりだったんだ。ずっと何もしゃべれなかったけど、目を見ると何が言い
たいのか、なんとなく判ったよ。それが先週の日曜日、明け方の4時に当直の看護婦からの電
話でたたき起こされてね。家内が死んだって言うんだ。その時は、気が動転しちゃって、なにが
なんだか訳がわからかった。」
そういって、彼はドイツ人がよくするように、手のひらを広げて目の前で横に振った。
「今度の日曜日が葬式だよ。ますますつらいねぇ....。」

大聖堂の鐘が夕べの礼拝の時刻を告げていた。
普段なら平和に響くその音も、まるで葬儀の鐘のように耳に重かった。
「あれの故郷のザールブリュッケンで火葬しようとしたら、手一杯だって断られてしまったよ。」
「火葬ですか。」ヨーロッパの墓地の様子からすると、それは珍しく聞こえた。
「あぁ。カトリックの多いラインラントファルツじゃ2割くらいだな。政治が真っ黒な割には、少な
いだろ。」
「真っ黒?」
「ほら、カトリックの政党にCDUってあるだろ。あれのイメージカラーだよ。火葬向きの色だよ
な」そう言って、彼はくすりと笑ってため息をついた。「ありがたいことに、まだ冗談が叩けるん
だなぁ...。」
「何かワイン飲んでいきますか?」
「いや、さっきカフェでビール飲んできたから。」
「素晴らしい天気ですからねぇ!たしかにビールのほうが美味しいかもしれないですね。」
「そういうこと。じゃあな、青年。いい復活祭をな。」

そう言って、彼はワインスタンドを立ち去っていた。
自然と僕の視線は彼を追っていた。
ベビーカーを押した若い夫婦が彼とすれ違うのが見えた。彼はその場に立ち止まり、赤ん坊の
方を放心したように振り返って眺めていた。
初夏の乾いた風に、彼のすこし乱れた銀髪がそよいでいる。
そして再びゆっくりと、どこかおぼつかない足取りで歩き始めると、人ごみの中に消えていっ
た。

僕はふぅ、と一息ついて空を仰いだ。
透き通るように青い空を眺めていると、なぜか突然涙が滲んできた。
あれ、僕は泣き上戸だったっけ?いかん、いかん、と深呼吸して、グラスの上に目を伏せ、ワイ
ンを口に含んで、その味に集中した。

モーゼルのリースリングの爽やかな酸味が、初夏の風の中で生き生きと息づいて感じられる。
人は生まれて、成長し、老いて、やがて最期を迎える。人生は止まることなく流れていて、こうし
てワインを飲んでいるときも、確実に終わりへと向かって進んでいるのだ。

初夏の、木立がその生命力を一斉に放出して、空気の中に活気が満ち満ちている一方で、終
わりを迎えた生命もある。その残酷なまでの対比が、僕の頭に深い衝撃を与えていた。

また近いうちに、パルツェム氏にここで会いたい。悲しみを乗り越えた彼に、またトリアー弁を
教えてもらいたい。心の底から、そう思った。

(2003年4月)









毎年キリスト昇天の祝日の前日、きまってワインスタンドを訪れる一団がいる。アーヘンからの
巡礼者たちだ。日本のお遍路さんとは違って、格好は普段着で、しいて言えば山歩き用の靴
と、巡礼団の一員であることを示す十字架のペンダントをぶらさげていることが、その目印であ
る。

4年前に彼らと知り合ってから、年に一回、ワインスタンドで顔を合わせている。今年もまた会
えるだろうか。その日の夕方、少しわくわくしながら行くと、果たせるかな、彼らがいた。

「お〜、まだトリアーにいるのか!」
「論文の進み具合はどうだ」
「彼女はみつかったのか?」

一年前に言葉を交わした内容が、まるで昨日のことのように蘇ってくる。
彼らは北へ100km以上はなれたアーヘンから、アイフェルの山の中を3日間歩いてくる。その
日の昼にトリアーに予定通り到着したという。最初の2日間は雨でつらかったが、歯を食いしば
って耐えたんだ、と笑っていた。

メンバーの職業は様々だ。裁判官、不動産屋に元海軍の船長、それに音楽家。現役もいる
が、引退した人の方が多い。それに、この一団の特徴は、カトリックとプロテスタントの信者両
方が入り混じって、道をともにしていることだろう。伝統的には、巡礼団はカトリックの兄弟団と
いう形をとる。この場合、団体規約の遵守宣誓や定期集会への参加義務が課せられるなど、
比較的束縛が強い。しかし、このアーヘンからの一団はずっとおおらかだ。年に一回、およそ5
0人前後で、まるで山歩きに出かけるかのようにトリアーに向かい、そして再び徒歩で帰る。

「お〜い、喉の渇いた巡礼がお待ちかねだぞ!」

彼らの一人がカウンターの向こうで雑談している醸造所のおばちゃんを呼ぶと、ボトルを一本
注文し、グラスを人数分の7つもらって、乾杯した。あっという間にその一本が空になると、また
一本、こんどは別の巡礼が注文。しばらくするとそれも空になって、またまた一本。
よく飲む巡礼たちである。だから、僕と知り合う機会も出来た訳なのだ。

「ホック。」彼らのひとりが勝手につけた渾名で僕を呼んだ。
「デュッセルドルフで彼女をみつけろよ。独身は不健康だぞ」
「そんな...いくら日本人が沢山住んでいるからって、簡単にはいかないですよ」苦笑いしながら
僕。「それに、聖書には結婚してもいいが、独身の方がもっといい、と書いてありませんでした
っけ?」
「あぁ、パウロの手紙か。でもな、旧約聖書にはこう書いてある。『生めよ、増えよ、地に満ち
よ』とな! いつか、ホックの子供達を見せてくれよ。」
「そりゃ、僕もそう願ってますよ。」
「よし、それじゃ乾杯だ。」「乾杯!」

彼らを見ていると、抹香くささは微塵も無い。信仰は生活の中に綺麗に溶け込んでいて、空気
のように自然体だ。それでいて、雨の中黙想しつつ100キロ以上の道のりを歩く気力を備えて
いる。しかも、50代、60代の壮年である。体力的にはかなりきついのではないだろうか。そし
て、人生を充実して生きている人たちであることが、身振り手振り、言葉のはしばしから滲み出
ているように思われる。

「来年合う時には、ちゃんと論文を仕上げて、俺達にみせてくれよ。
 そしたら、帰りの道をアーヘンまで一緒に歩こう。」

そう言って、今年は彼らと別れた。約束が果たせるかどうか判らないけれど、とにかくがんばろ
う。

(2003年6月)








今年のヨーロッパの夏は、猛暑と言って良い。
ここ一週間近く快晴が続いていて、連日40度近くまで気温は上昇し、直射日光にあたると、に
じみ出た汗が片端から蒸発していくのがわかる。山の上にある大学から町に下るバスの停留
所でも、みんな日陰に隠れるようにして待っていた。

町の広場にあるワインスタンドに立ち寄り、よく冷えた辛口のリースリングを一杯たのんだ。
石畳の照り返しで、熱気が下からも立ち上ってくるような感じがしたが、スタンドの上には幸い
テントのように屋根がかかっていて、日光をさえぎっている。ワインを口に含むと、さっぱりとし
た酸味が舌に心地よかった。

夏の暑さは、思い出を引き寄せる力があるのではないか、と思えることがある。
思い出と言っても、そう大したものではない。小学生のころ、近所の公園に通っていたラジオ体
操の朝のしっとりした空気とか、学校の水泳教室の帰り道の陽炎、家の二階の窓から見た町
内会の花火大会、あとでもらえるアイスを楽しみに参加していた盆踊りとか。数え切れないほど
の思い出と、そのとき肌で感じた感覚が、いま肌で感じている暑さと重なって、一層身近に感じ
られるような気がする。

だから、お盆は夏にあるのかなぁ。この世からいなくなってしまった身近な人々が、ひさしぶり
に帰ってきてくれる日。僕は今年もドイツにいるから、どっちみち会えないかもしれないけれど、
いつも見守ってくれていると思っている。

ガンゴルフ教会からポルタニグラにむけて、やさしい風が吹き抜けていった。
ボウルの中のリースリングの香りが、すこし動いて、風に乗って飛んでいった。
グラスの足を伝わって降りてくる水滴が、それをつかんでいる指をしめらせている。

僕は夏の暑さが好きだ。全身で感じる暑さと、滲み出す汗は生きている証だ。
夏の空気には、生命感が横溢している。冬の内向と対照的に、全身の感覚が外へとむかって
開かれ、周囲の空気に溶けていく。

時間よ、止まれ。ワインスタンドでワインを飲んでいると、しばしばそう思う。
トリアーの町の真ん中にあるここにいると、この町の一部として、すっかりとりこまれているよう
な気分になる。雑踏のざわめき、談笑、吹き抜ける風、ワインのもたらすやさしい酔い心地。

猛暑の中で、日本にいたときの自分がそのままトリアーにいる自分と重なって、昔からこの町
にいたような錯覚に陥る。体内の感覚が外部と、過去の思い出が現在と、重なって、溶け合っ
て、ひとつになっていく。

気がつくと、グラスは空になっていた。
「おばちゃん、もう一杯。こんどは中辛口ね。」
「あいょ。そういえばあんた、どっかで会ったことなかったかい?」
「え?そういえば、そんな気もするな。でも、どこだったかな...。」
思い出せないままに、二杯目のリースリングをすすっていた。
見覚えはあるんだけど、どこだったかなぁ....。

僕は遠い昔の記憶を探りながらワインを口に含み、雲ひとつ無い夏空を見上げた。
ほのかな甘みを伴う液体が喉をすべりおち、みぞおちを冷やしていった。

今日の事も、いつかまた夏の暑い午後に、記憶の底から蘇るんだろうな。
灼けつくような陽射しと、冷たいワインと、吹き抜ける乾いた風、そして雑踏。
いとおしい記憶として、いつか思い出すのだろうな。

「時間よ、止まれ。お前は美しい。」
そう言った詩人の気持ちが、少しわかるような気がした。


(2003年8月)








早くも10月。季節の過ぎ去る速度は、年齢を重ねるごとに加速しているのではないかと思える
ことがある。今年もあと3ヶ月しかないと思うと、この1年に一体何をしてきたのか、無駄にして
きてしまった時間を取り返すにはどうしたらいいのかと、焦りに似た衝動が湧いて落ち着かなく
なる。興味の赴くままに書物からノートをとって、引用されている文献をあれもこれもと収集して
いるうちに、床の上に雑然と積まれる図書館から借りだした本は増える一方で、一向に減る気
配がない。限られた時間の中で、果たしてまとまった成果が本当に出せるのかどうか不安に駆
られつつ、地道に勉強を続けるしかないのだと自分に言い聞かせながら、次回指導教官に会
うまでに指摘されたテーマについて、なんとか形をつけようともがいている。

夕刻、本を読み疲れて町に出た。向かうのはワイ
ンスタンドと決まっている。先月初めからフェダー
ヴァイザーが出てきた。スーパーマーケットでは8
月下旬からイタリア産が冷蔵ケースに入って並ん
でいるが、大量生産品なので、あまり美味しくな
い。ワインスタンドのそれは、ワインを売りに来て
いる農家の自家製である。大抵ここで売るため、
2,3日前に収穫した葡萄を使っている。だから時
期によって、フェダーヴァイザーに使われている葡
萄品種も違う。9月初旬はオルテガ、中旬からミュ
ラー・トゥルガウがはじまって、オーバーモーゼル
の農家だとエルプリングのこともある。10月に入
るとリースリングへと移り変わる。
(フェダーヴァイザーの入ったタンク。)

フェダーヴァイザーFederweisser−訳せば「羽毛の白」とでもなるだろうか−は、発酵途中の葡
萄果汁である。基本的には白だが、まれにドルンフェルダーなどの赤品種のこともある。白濁
しているといっても、農家によっては黒ずんでいたり、樽試飲の時に出てくる若いワインと同じく
らい綺麗に白かったりと色々だ。しかし、色は違っても味はそれほど変わらない。生リンゴジュ
ースが一番近い味だろう。収穫した葡萄を圧搾し、何も手を加えずにポリタンクに入れて放置
すると、自然に発酵が始まる。その状態が、フェダーヴァイザーだ。だから、出されるその時々
によって甘みが強かったり、発酵が進んでやや辛口だったりもする。しかし辛口といっても、フ
ェダーヴァイザーにされるのは大抵85エクスレ以下の果汁だから、アルコール度はせいぜい
5%以下だ。だから口当たりはやさしい。

しかし、アルコール度は低いのだが、なぜか酔いの回りはワインよりも早い。ワインならばジワ
リとほろ酔いになるところを、フェダーヴァイザーは直接頭に来る。そしてまた、腹下しのもとと
なることもある。果汁の清潔度に加えて、おそらくアルコールが低いので、酵母とともに雑菌も
生きているせいではないかと勝手に推測しているが、断言は出来ない。「ビタミンB類が豊富
で、消化活動を助けるはたらきがある」とも言われていて、それは分析を通じて証明されている
ことなのだろうけれど、経験的には、フェダーヴァイザーを飲むときは、ワインよりも気をつける
必要がある。

しかし、フェダーヴァイザーにも確かに当たりはずれがあるようだ。甘くしっとりして、この上なく
美味しい上にあっさりと酔いが引いていくものもあれば、飲んだ後腹痛を起こして頭痛がしばら
く止まらないものもあり、肩のあたりに筋肉痛に似た痛みを催すものもある。多かれ少なかれ、
これは素朴な、未完成の状態の飲み物なのだ。

それでも、フェダーヴァイザーが出ていると、つい飲まずにはいられない。収穫されたばかりの葡萄の新鮮な甘みと、白濁した液体の中から絶え間なく浮かんでくる小さな泡−葡萄の皮についていた自然酵母が、糖分をアルコールと二酸化炭素に分解しつつあることを示す証拠−を愛でることができるのは、今、この時、この場所だけなのだ。フェダーヴァイザーは、瓶につめて密封し、長距離を輸送することが出来ない。酵母のはたらきで炭酸ガスを絶えず発生しているためである。スーパーマーケットに出ているものも、スクリューキャップを意図的にゆるく締めてあり、横にすると中身が漏れる。コルク栓などしようものなら、どこかで抜け落ちること必定だし、王冠も保証の限りではない。酵母を殺さない程度の低温で、炭酸ガスを逃しつつ瓶を倒さないように輸送すれば1,2ヶ月は保存が効くかもしれないが、発酵が終わると単なる辛口白ワインである。酵母が死滅して瓶の底に沈み、透明になったフェダーヴァイザーのなれの果ては、けして美味しいとはいえない。
(フェダーヴァイザーとワイン農家のおかみさん。注いだばかりのフェダーヴァイザーは、まるでビールのように泡立っている。)

猛暑のおかげか、今年のフェダーヴァイザーは例年に比べて甘みが強い。1976年に似ている
という人もいる。アウスレーゼ以上の甘口が多くできた年だが、酸が足りず、30年近くを経た現
在では、すでに枯れた境地に入ったワインが多い。そこで今年は酸の不足を避けるため、大
抵の農家は例年よりも2週間ほど早く10月上旬からリースリングの収穫を始めるという。ルー
ヴァーでは既に85エクスレに達しており、収穫のほとんどがシュペートレーゼ以上の果汁糖度
になる見込みだ。先週収穫を終えたシュペートブルグンダーに至っては、90エクスレを越えて
100エクスレに達した畑も珍しくないそうで、果実の粒が小さく皮が厚く、タンニンの豊富な充実
したワインが出来そうだ。

夕暮れ時、ワインスタンドでは先日までの暑さが嘘のように、足下から冷えてきた。今夜はとこ
ろによっては最低気温が氷点下に下がるという。わずか1ヶ月あまりで、夏から冬へと一気に
季節が移り変わっていく。リースリング葡萄の成熟が極点に達する10月のおよそ2週間前後
が、モーゼルの造り手の正念場である。あと1ヶ月あまり、このまま好天が続くことを祈ろう。


(2003年10月)








今年もまた、陰鬱な冬がやってきた。
どんよりと暗く寒く、いつ夜が明け、そして暮れたのかはっきりとしないうちに一日が過ぎてい
く。少し気温が上がると、一面に立ち込めた霧が風景を閉ざし、灰色の空気に枯木立の寒々と
したシルエットが黒く染みを作っている。否応なしに内省的になり、気がつくと人生とはなんぞ
や、などととりとめもない思索にふけっている。この国が優れた哲学者を多く輩出したのも、陰
鬱な冬があったからに違いない。

その暗さを払いのけようとするかのように、11月末か
ら12月22日まで、町の中心部はクリスマスマルクトの
イルミネーションが輝き、夜遅くまで光に満ちている。
童話に出てきそうな小屋がハウプトマルクトに所狭し
と立ち並び、クリスマス関係のおもちゃや香辛料、宝
石、菓子、ろうそく、マグカップなどが、屋台の中で明
かりに照らされて浮かび上がり、グリューヴァインの
甘くスパイシーな香りが鼻腔をくすぐる。

(クリスマスマルクトの屋台に並ぶクリスマス用の飾り)

グリューヴァイン、つまりホットワインは、クリスマスマルクトには欠かせない飲み物である。目
に写る光景は暖かに見えても、氷点下に近い寒さはいつのまにかコートやセーターの中まで入
り込んでくる。そんな時、体の中から暖めてくれるグリューヴァインは本当に美味しい。赤ワイン
ベースが一般的だが、白ワインベースもある。赤ワインベースの場合、乾燥させたオレンジの
皮、シナモン、クローブなどを混ぜたスパイスミックスを、ワイン1リットルに大匙1杯前後用い、
好みにより砂糖で甘さをつける。ポイントは、沸騰させずに80度前後を保つことだ。沸騰させる
と香りもアルコールも飛んでしまう。白ワインベースの場合は、シナモンスティックのみか、好み
によってさらに赤ワイン用スパイスミックスも用いる。そして、砂糖で甘さを調節するのが一般
的だ。

10月末、冬の間撤去されるワインスタンドがまだ開いていた時も、グリューヴァインが出てい
た。ワイン農家自家製の白ワインを使ったもので、大鍋と電気コンロを一体にした様な装置で
丁度いい温度を保っていた。普通のワインには無いスパイシーな香りと、ワイン本来のフルー
ティな香りが渾然一体になって、甘みもべたつかずに自然だった。
「すいません、ちょっと聞いていいですか。」
「あぁ、何だい。」
「このグリューヴァイン、すごく美味しいんですけど、どうやってつくっ
たんですか?」
「別に、普通だよ。ほら、スーパーで売っているこのティーバックみた
いなグリューヴァイン用スパイスミックスと、シナモンスティックを鍋に
入れるでしょ。それだけ。」
「それだけ?砂糖は入れないんですか。」
「そうだよ。」そう言っておばちゃんはにこっと笑った。「砂糖は使わないで、甘口ワインを使うの
が、美味しいグリューヴァインをつくるコツなのさ。いいかい、甘口だよ。充分甘くなくちゃだめ
だからね。」
「なるほど、で、これにはどんなワインを使ったんですか。」
「リースリングのアウスレーゼ。99年?93年だったかな。」
「え、アウスレーゼ!それは、ちょっと勿体無くないですか?!」
「だって、ケラーにまだ一杯あるんだもの。売らなくっちゃ、仕方ないよ。」そう言って、彼女は肩をすくめた。

確かに、一杯2ユーロだから、グリューヴァインにすれば一本7ユーロ前後でさばける勘定にはなる。石ころ同然にケラーに寝かせておくより、家計の足しになったことだろう。しかし、グリューヴァインにする甘口ならQbAでもよかったのでは、と思ったが、あの香りの良さはアウスレーゼならばこそかもしれなかった。

(保温装置からグリューヴァインをカップに注いでいる、醸造所のおばちゃんの息子さん。)

ちゃんとしたワインを使えば、グリューヴァインはそれなりに美味しい。ワインスタンドで出てい
るワイン農家自家製ワインをベースにしたグリューヴァインならば、赤でも白でも、頭痛になる
こともなく、心地よく温まることができる。しかし、クリスマルクトのそれは、今年まだ口にしてい
ない。今年で5回目ということと、スパイスの香りと砂糖の甘みで味を誤魔化した素性の知れな
い安ワインに、長時間の加熱によるアルコールの揮発をスピリッツを加えて補っている、という
話を聞いたからだ。

しかしそれでもやはり、イルミネーションの輝きに満ちたクリスマスマルクトで飲むグリューヴァ
インは、冬の陰鬱さを束の間忘れさせてくれる、魔法の飲み物である。少なくとも年に一度くら
いは、その雰囲気とともに味わうのも悪くないかもしれない。

(2003年12月)









今年も夏時間に入った翌週からワインスタンドが開店し、週に二軒の醸造所がワインを売りに
来ている。日曜から水曜まで1軒、木曜から土曜まで1軒。日曜日は天気が悪いと開いていな
いこともある。

やってくる醸造所は、毎年だいたい同じだ。だから、「まだトリアーにいたの。」と醸造所のおじ
さん、おばさんに言われることもあるし、顔見知りのお客さんに言われることもある。1998年の
秋以来だから、ワインスタンド通いももう7年目。その間に、いろんな人が訪れては、去ってい
った。

トリアーに来て最初の年、赤い帽子がトレードマークの小柄な親父が、行くと必ずいて、賑やか
に楽しく騒いでいた。昔炭鉱で働いていて、今は悠々自適の年金生活なのだそうだった。その
彼もしばらく見かけないと思ったら、一昨年杖をつきながらスタンドに現れた。足腰を悪くして、
あまり外出しなくなったのだそうだ。あまり会話を楽しむよりは酔いを求めているように見え、ワ
インを一本まるごと頼んで、何杯もあおるように飲み干している様子は、数年前、出会ったば
かりの頃の快活さと比べ、もの悲しく見えた。今年はまだ見かけていないが、どうしているのだ
ろうか。

同様に、数年前は行くといつも必ずいた親父がいた。大抵酔っていたけれど気持ちのいい酔
い方で、「日本から来た?まぁ飲め飲め。」と、おごってもらったことがある。その彼が昨年再び
姿を見せたとき、浮浪者の様に汚れた風体をしていたのに驚いた。かなり酔っている様子だっ
たが、醸造所のおじさんは長年の顔見知りなので追い払うこともせず、ろれつのまわらない独
り言にあいまいにあいづちを打っていた。彼は僕に気がつくと、「よぉ、まだいたのか」と挨拶
し、グラスを掲げ、僕もそれにこたえた。すこし話をして、彼に肉屋をしている息子がいることを
聞いた。立派にひとり立ちしているんだ、という。「自慢の息子さんなんですね。」と言うと、「あ
ぁ、そうさ。あいつは俺の誇りだよ。」と、少し涙ぐんでいた。今年も見かけたが、小奇麗な格好
をして、だいぶ落ち着いてみえた。つらい時期を乗り越えたようだった。

不幸な時期、人は救いを求める。それがワインと、会話であることもある。
別の男で、上で登場した赤い帽子の親父と仲の悪かった親父がいる。同席すると遠くから「な
にいってやがるんだよ、あいつ」と聞こえないように悪態をついていたが、その彼の奥さんが亡
くなってから、ワインスタンドにいる時間がずっと長くなったようだ。昼、用事があってワインスタ
ンドを通りかかると、雨の日でも必ずみかけた時期がある。(ちなみに、以前書いたパルツェム
氏ではない。)「食べ物が、悲しくて喉を通らないんだ」しゃがれ声で息をつまらせながら言って
いたことを思い出す。その彼が、ある時を境にぱったりと姿をみせなくなった。宝くじに当たって
オーストラリアに引っ越すとか言っていたので、てっきりそうなのかと思っていたら、その後しば
らくして、首を吊って妻の後を追ったのだときいた。「かみさんが亡くなってから、うつ状態がひ
どくてね。時々料理を持っていってたんだが、結局、礼のひとことも無かったよ。」ワインスタン
ドで知り合った彼の友人は、少し涙ぐみながら言った。

「あたしの胸には、機械が埋まっているのさ。」
90歳を越えてもかくしゃくとして、時々ワインスタンドにひとりでワインを飲みにきていたおばあ
ちゃんがいた。スターリングラードで息子を亡くしたという彼女は「この子は、あたしの息子みた
いなものだよ」と、常連の山羊髭の親父といつもゼクトを飲んでいた。その彼女も、昨年から体
調を崩してみかけなくなった。そして今日、2,3ヶ月前に亡くなったのだと、山羊髭の親父から
聞いた。94か5歳だったという。「あんた、いい人だね。一目でわかるよ。」そういってくれた彼女
も、もうスタンドで見ることはないかと思うと、寂しかった。

そういえば、山羊髭の親父も今年見るのは今日が最初だった。息子さんが居酒屋を開店し
て、忙しいのだと聞いていた。
「どうですか、繁盛してますか。」
「あぁ、おかげさんでね。でも、体調がちょっと悪くてな。」
「どこかお加減でも悪いんですか。」彼はしばらくためらうように間をおくと、
「癌なんだ。」と言った。膝のあたりから腹のあたりまで、あちこちに転移しているという。彼の
蝋のように青白い顔色も、しばらく姿を見せなかった訳も理解できた。
「色々薬を飲んでいるし、そのうち特効薬も出来るかもしれないよな。」
僕は、何と答えていいのかわからなかった。
「何より大事なのは、今こうして生きているってことだよ。違うかい?」
そう言って、彼は僕の目を覗き込むように見つめ、微笑んだ。僕はうなづいて、彼におごっても
らったゼクトのグラスを掲げ、静かに乾杯した。

人生は、ワインのようなもの。味わえる時も、いつか終わりが来るのだ。
味わえるうちに、せいいっぱい味わうことしか、僕達には出来ない。
心の中で亡くなった人達、去っていった人達の事を思いながら、僕はおだやかに泡立つゼクト
を噛み締めた。

(2004年4月)









昔から−といっても僕がこちらに来てからだからせいぜい7年前からだが、ワインスタンドで
時々会う背の高い親父がいる。その偉丈夫な体格と鷹揚な物腰から、『ワインスタンドの皇帝』
と常連仲間から冗談めかして呼ばれていた。ディーターという名前だ。1年半前まで職業高校
で数学と物理を教えていたが、今は本人曰く「悠々自適の年金生活」を送っている。しかし退職
してからは、ワインスタンドに姿を見せる日はめっきり少なくなった。以前は帰りがけに一杯や
って、その日のストレスをほぐしてから家に帰っていたのだが、その必要もなくなったのかもし
れない。


今年はじめてワインスタンドで会った時、丁度彼のお気に入りのエアハルト・シェルフ醸造所が
当番だった。ルーヴァーはカーゼル村の小さな造り手だ。あるいはこの醸造所だったから、わ
ざわざ足を運んできたのかもしれない。僕の顔を見るなり、
「おまえ、まだいたのか!」教師が生徒に接するような口調で、笑いながら彼は言った。
「ええ、すいません。」僕も苦笑いしながら答え、6種類ほど出ているグラスワインのリストから、
2003年の辛口を醸造所のご主人に頼んだ。
「こいつ、もうずいぶん長いこと学生やってるよ」ホルツ氏は醸造所のご主人に言った。
「知ってるよ。あんた、去年のワイン祭りの時、ルーヴァーに来てたよね。」と僕にご主人。
「そのとおりです。」と僕。臨時居酒屋を開設していた彼の醸造所に、ワインを飲みに行ったの
だ。
「あぁ、こいつはワイン祭りや試飲会というと、必ずいるからな。」とディーター。
彼とはルーヴァーのカーゼル村の公民館で、年に一度開催される着席形式の試飲会の後に
終バスを乗り逃し、一緒にヒッチハイクしてトリアーまで帰ったことがある。ちなみに着席形式の
試飲会では、あらかじめ供出されるワインの順番が決まっていて、当然ながら最上のワインは
最後の最後に出てくる。参加料を払った以上、それを飲まずに帰るのは悔しいので残っていた
のだが、その日は二人とも運悪くトリアーまで車に同乗させてくれる人がみつからなかった。
「かみさんを呼んでもいいんだが、もう寝ている頃だからなぁ。」と弁解ぎみにぼやく彼と一緒
に、しばらく夜中近いカーゼル村の道ばたに佇んでいた時の事を思い出す。

「いったい、いつまで学生やってるつもりだ。」ディーターは教師らしく、痛いところを突いてくる。
「あと1年の予定です。」年内に論文を仕上げるつもりなのは本当だが、それも僕の努力次第
だ。
「おまえ、今何歳だ。」年齢を答えると「それじゃ、いい加減家族を持ってもいい年じゃないか。」
と言う。またまた、痛いところだ。
「でも、財政基盤が無いですから。」と僕。
「だったら早く仕事につけよ。」と彼。
「仕事なら、昔7年間、会社に勤めていたんです。それを辞めて学生に戻ったので、こんな年で
もまだ学生なんですよ。」
彼は「ふ〜ん。」と頷くと、一呼吸おいて「なぜ会社を辞めて学生に戻ったんだ?」と聞いてき
た。


なぜって、一言では言えない。言ったところで、理解してもらえるかどうか。
20代も終わりのころ、「人生をいかに生きるべきか」で、真剣に悩んでいた時期がある。
仕事はさほど難しくもなく、配置希望通りの海外関係の職場で、残業もそこそこに切り上げて
帰っても「あいつはそういうやつだから」と、おおらかに受け止めてもらっていた。海外出張も何
度かさせてもらって、そのまま勤めていることも出来た。同じ毎日の繰り返しのようでいて、同
時に安定もし、月曜から金曜まで4回耐え抜けば、人並みの給料が入ってきた。
時々、あのまま勤めていた方がよかったかな、と思うことがある。とりわけ、ボーナスの時期に
は。

しかし問題は、人生は一度しかないということだった。
このまま同僚や上司に甘えながら仕事を続けて、やがて定年を迎える。それでいいのか?お
まえが本当にやりたいこと、やらなければならないことは一体何なのだ?おまえだけに出来
て、他には出来ないこと、それで社会に自分を役立てることこそ、おまえの人生を意味あるも
のにするんじゃないのか....?

その結論が、大学院に行くことだった。
大学院の入試の口頭試問の時、何を勉強したいんだね、と問われて「ワインの歴史です」と正
直に答え、居並ぶ教授陣に笑われた。
「ワインの歴史?そんなこと、誰もやってないよ。」と、ある教授は言った。
「誰もやっていないから、僕がやるんです。」と見得を切って入試には受かったものの、それが
果たして正しい決断だったのかどうかは、これから成果を出して証明していかなければならな
い。


「なるほどね。」とディーター。「で、ドイツで博論を書いている訳か。」
あの当時、勤めながら悶々としていた頃からすれば、夢のような話だ。
収入は無くなったが、それでもなんとか生活していけるし、こうしてワインを飲むことが出来る位
の余裕はある。だが、いつまでもこうしている訳にはいかない。

珍しく自分から話したせいで、喉が渇いた。ワインを飲もうとグラスを傾けると、空だった。
「俺が一杯おごるよ。」とディーター。「この醸造所のワインはどれを飲んでもうまいが、これが
一番うまい。結局いつも、こいつに戻ってくるんだ。」
そう言って注いでくれたのは、2002年産のリースリング・シュペートレーゼ辛口だった。
モーゼルらしくほっそりとしたボディに酸とミネラルが溶け込んで、どこかしらほろ苦いような辛
口だった。



「よかったら、俺のゼクトも一杯飲んでいきなよ。」ディーターに礼を言って帰ろうとすると、向こ
うにいた山羊髭の親父が言った。
「でも、すでに一杯ごちそうになってますし。」と遠慮しようとすると、「一杯だけじゃバランスが悪
いよ。片足だけじゃなく、もう一本の足にもワインを入れていきなよ。」という。
「それじゃ、一杯だけ。」
「そうこなくっちゃ。お〜い、旦那、こいつにグラスを出してやって。」

こういう調子だから、論文が遅々として進まないんだよなぁ....。
幸せとせつなさの入り交じった気分でゼクトをすすりながら、初夏を迎えていつまでも明るさの
残る空を見上げた。
これがドイツ最後の夏になるのかな。いや、最後にしなくちゃいけなんだよな。
それを考えると、切なかった。

(2004年5月)






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