ファルツの醸造所を巡った翌日、僕達はモーゼルへ移動した。ハイデルベルクからフンスリュ
ック山地を貫くアウトバーンを飛ばして、およそ2時間半ほどで、ベルンカステルの近郊に出
た。なだらかな葡萄畑が彼方まで広がるファルツの景色に馴れた目に、モーゼルの葡萄畑が
渓谷の斜面を埋め尽くすようにして展開する光景は、とても新鮮で雄大に見えた。



モーゼルの醸造所巡りは、まずルーヴァーのフォン・シューベルト醸造所から始まった。
トリアーからモーゼルを並行して走る道を下流に向かって進み、ルーヴァーの町で左折する。
右手に森、左手に渓谷を見ながら5分ほど走ると、突然開けた場所に出る。正面に渓谷の奥
まで葡萄畑の斜面が続き、左手にメルテスドルフ村の集落、そして右手にマキシミン・グリュン
ホイザー・ブリューダーベルクの葡萄畑が聳えている。

約束の時間より少し早く到着すると、ブリューダーベルクの畑では、
およそ10人ほどで収穫作業を行っていた。葡萄の列の下から上へ、
ほぼ横一列に足並みを揃えながら、ほとんど無言で手早く房を切り
取っては、足元の四角い箱に放り込んでいく。誤って地面に落ちた房
もことごとく拾い、彼らが通り過ぎたあとはほとんど全くと言ってよい
ほど、葡萄は残っていない。
「すいません、写真を撮ってもいいですか?」
作業者の一人に聞いてみた。彼は黙ってうなづくと、そのまま作業を
続けていた。
「毎年収穫に来ているんですか?」
「あぁ、もう10年以上になるな。」東欧系の訛りがあった。おそらくポー
ランドからの出稼ぎの人たちだろう。「あいつら、ドイツ語しゃべれるじ
ゃねぇか。」「日本人かな。」といった雑談が、隣の畝の収穫をしてい
る人たちから始まった。

すると間髪をおかずに「おい、そこ、作業が遅れているぞ!」と、畑の下の道路から、全体を見渡して監督している男から注意が入った。作業者達は再び黙々と仕事にとりかかり、みるみるうちに斜面の上の方へと移動していった。

下の道から上の農道まで一通り終わると、今度は新しい畝に一人一列づつきちんと整列して、また同じ様に一斉に作業を開始した。そうしている合間に畑の中を横切る道をトラクターが右往左往し、畑の目の前にある醸造所へと四角いコンテナ一杯に入った葡萄が運ばれ、フォークリフトが休む暇もなく積みおろしては破砕機へと運んでいき、そのままパレットをひっくりかえして上から投入する。

その際少しでも床にこぼれたら、一粒残らず拾ってコンテナに戻す。破砕
機を通ってグシャグシャになった葡萄は、醸造所の片隅にしばらく放置さ
れる。コンテナが圧搾機の容量に充分たまった段階で、再びフォークリフト
で持ち上げられて、中身は水平式の圧搾機に投入され、果汁の圧搾がは
じまる。一連の作業にはほとんど無駄がなく、無駄口も聞こえない。全てが
分刻みで計画されているかのように、機械的に処理されていく。




(パレットをひっくり返して収穫を破砕機に投入)

圧搾機で絞られた果汁はホースを伝わってそのまま階下の清澄タンク
へと流れ込み、一晩静置され、沈殿物と分離する。圧搾直後は白茶色
に濁っていた果汁は、この段階でほぼ透明になる。

(水平式圧搾機で圧搾中。果汁は下
のバットにたまり、手前のホースから
階下の清澄タンクへ流れる。)
(破砕後の葡萄)
(地下2階にある冷却タンク。常時水が注いでいる)

クリアになった果汁は、さらにもう一階地下にあるケラーの冷却タンクで冷やされた後、伝統的なフーダーと呼ばれる約1000リットル入りの木樽か、スティールタンクなどに入り、年間を通じて気温9度前後、湿度ほぼ100%の環境で、長いものは6月ころまで発酵を続ける。



オーナーのDr.カール・フェルディナンド・フォン・シューベルト氏は、ミュンヘン工科大学で『急斜面のブドウ栽培における経済的可能性について』という論文で農学博士号を取っている。またガイゼンハイム専門高等学校でも2年間醸造学を学んでおり、醸造所経営に関しては最善の教育を受けたと言ってよい。曽祖父が1882年に醸造所を購入して以来、4代目として32歳で経営を引き継いだのが1980年。それからわずか3年目の1983年産でドイツでも指折りの銘酒としての評価を獲得し、1995年にゴー・ミヨのドイツワインガイドで『今年の醸造家』に、ケラーマイスターのアルフォンス・ハインリヒ氏ととも選ばれている。その時二人が並んだ写真のキャプションは、記憶によれば「ドイツワイン界のドリーム・チーム」−確かオリンピックでアメリカのバスケットボールチームがそう呼ばれて、間もなかった頃だと思う。この醸造所のワインは、どれをとっても非常に美味で個性的だから、安心して注文して間違いない。そういう手放しの絶賛が一般的な、順風満帆の時期が1998年まで続いた。
(Dr. カール・F・フォン・シューベルト氏。背景はヘレンベルク。)

しかし1999年産から、評価が分かれるようになる。複数のワインジャーナリストが1999年産に
落胆し、それまでの生産年に比べて「破滅的」「理解不能」という表現さえ見受けられた。ある
醸造家は、この年のシューベルト家のワインのある種の苦味は、それが醸造上の問題に由来
するものなのか、熟成で消えるものなのかはっきりしないが、致命的な失敗を示すものだと見
た専門家もいたそうだ。その年の葡萄は非常に果皮が薄く、10月上旬からすでにかなり黄色く
熟した色を示し、部分的には茶色に変色していた。平年ならば10月中旬から収穫を始めるの
だが、それを繰り上げて大急ぎで収穫を開始。しかし、それでも遅すぎたという。

2000年もまた、苦難の年だった。5月11日夕方の激しい雹で若芽の8割がやられ、収穫は通年
の65hl/haから35hl/haにまで落ち込んだ。シューベルト氏によれば、その反面房の密度が低く
風通しが良かったので、収穫期の長雨にもかかわらず健全な収穫が得られたという。しかし雹
による収穫減を補い、固定客(特にレストラン関係)のニーズに応える為、近隣の葡萄農家か
ら葡萄を購入して醸造したワインの評判は、あまり思わしいものではなかった。「フォン・シュー
ベルトらしからぬ、ありきたりのワイン」という声すらも聞かれた。

2001年産では、辛口に関しては1999年以来の厳しい評価が続いているが、甘口についてアイ
ヒェルマンのワインガイドは「2000年とは大違い」という好意的な見方をしている。一方でゴー・
ミヨは「かつての栄光はいずこへ?」と、相変わらず手厳しい。しかし、ガイドブックの意見はあ
くまでも参考意見である。ワインジャーナリストがなんと言おうと、最終的に判断するのは自分
の感覚だ。



見学の最後に例によってセラーの一角で、2002年産を中心に試飲した。

まずヘレンベルクQbA トロッケンの2000, 2001, 2002という垂直上昇で始まった。続いて水平飛行に移り、2002アプツベルクQbAトロッケン、ヘレンベルク・カビネット・ハルプトロッケンと来て、1985のヘレンベルクQbA甘口というひねりをひとつ挟んでから、再び2002水平に戻った。ヘレンベルクのカビネット、シュペートレーゼ、アウスレーゼへと上昇していく様は、まるで音楽や映画がクライマックスを迎えるようにスリリングな体験だ。最後のフィナーレは高貴な甘口3連発−レンベルク・アウスレーゼNr.149、アプツベルク・アウスレーゼNr. 93、そしてヘレンベルク・アイスワインで長い余韻を残しつつ幕を閉じた。記憶を頼りに思い出しながら書いているので、もしかすると水平にもういくつか加わっていたかもしれない。しかしいずれにせよ、素晴らしい試飲だった。
(訪問見学の最後は、ここで試飲することになる)

ワインの印象としては、畑の個性がくっきりとしていて、いずれも品が良い。やや素朴なブリュ
ーダーベルク、フルーツの綺麗なヘレンベルク、調和と奥行きのアプツベルク。1985 ヘレンベ
ルクQbAは、綺麗に熟成したほのかに甘い香りが心地よく広がり、味は甘みがそこそこ枯れて
スパイシー、料理と一緒に飲むと一層の調和を期待できそうな感じ。シューベルト氏の言う「こ
の醸造所の全てのワインは、20年以上の熟成能力があることを保証します」という言葉を裏付
けていた。QbAトロッケンの垂直は、いずれも綺麗というか可憐な、品の良いリースリング。ル
ーヴァー産のそれぞれの年のQbA辛口としては上出来の部類に入る。アプツベルクのアウス
レーゼNr.93のエキゾチックで濃厚なフルーツ、アイスワインの複雑で繊細なニュアンスは、他
の醸造所では出せない味だと思う。

色々と取り沙汰されてはいるが、いずれにしても畑のポテンシャルは最上であることは、ローマ
時代から折り紙つきである。例えほんの数年あれこれ言われたとしても、本領を取り戻すのは
時間の問題だろう。2002年産もまた、個人的には伝統的なスタイルの、素直な気品のある良
いワインだと思う。



地上に戻り、最後に知人がワインを購入。圧搾機のある空間の片隅にある小さな部屋で、ケ
ラーマイスターのアルフォンス・ハインリヒ氏−ドリーム・チームの片方−に希望のワインと本
数を伝え、伝票を書いてもらっていた。ゆっくりとしたペースで、一つ一つ確かめるようにワイ
ン名と価格と本数を記入し、計算している。その部屋の中と外では、まるで違うテンポで時間
が流れているかのようだった。
今年で74歳になるハインリヒ氏は今も現役で、昨年勤続50年を祝ったという。ということは、現オーナーのカール・フォン・シューベルト氏が5歳の頃から、既にここでワインを造っていた訳だ。グリュンホイザーの畑の木も、そのほとんどがハインリヒ氏よりも新米である。言うなれば、彼は生え抜きの古木なのだ。古木を大切に守り、数十年の時の流れに耐える銘酒づくりを目指しているこの醸造所の、彼は生きた象徴であると言ってもよいかもしれない。効率や利益の追求を越えた哲学が、そこに現れているように思う。
(醸造所の敷地に入る門。伝統の重みを感じさせる。)

ランスのヴーヴ・クリコ醸造所では、迷宮の様に広大なカーヴの区画ごとに、長年勤めた従業
員の名前と勤続年間を書いた看板が張ってある。その最長記録が確か52年だった。ハインリ
ヒ氏の勤続記録も、あと一年でそれに追いつくことになる。そしてまたひとつ、伝説が生まれる
ことになるのだろう。

今年は猛暑で葡萄が熟すのが早かったが、酸度も6g/Lから8g/Lの範囲で問題ないという。
少し気が早いけれど、2003年の仕上がりが今から楽しみだ。


Gutsverwaltung Von Schubert - Maximin
Gruenhaus
Maximin Gruenhaus
54318 Mertesdorf
Tel. +49 (0)651 5111
Fax. +49 (0)651 52122
Email: info@vonSchubert.com
訪問可能時間:月−金 8:00-12:00, 13:00-16:30 土 9:00
-12:00 要予約


(2003年10月)





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