10月中旬の朝のひんやりとした空気の中を、僕達は昨日に引き続いてザールへと車を走らせ
た。陽が高く上るにつれて朝もやが薄れ、真っ青な秋空が頭上に広がってきた。日曜日にモー
ゼルに来て以来、この3日間快晴が続いている。

先週末から本格的に始まった2003年産リースリングの収穫作業は、次第に山場を迎えつつあ
り、ザールほとんどの畑では、収穫開始の時点で葡萄の糖度は既に85エクスレから90エクスレ
で、ドイツワイン法で定めるアウスレーゼのレベルに達していた。地理的にはワイン生産地帯
モーゼル・ザール・ルーヴァーの南部に位置しているが、それにもかかわらず最も寒冷な地区
がザールである。葡萄の成熟は他のどこよりも遅く、従って恵まれない年には糖分が充分に乗
らず、アウスレーゼが造れないこともある。それから比べれば、今年は非常に恵まれている。



今回、僕達は幸運にも収穫時期の真っ最中に、醸造所のオーナー、ニエヴォドニツァンスキー
氏の案内で、ファン・フォルクセン醸造所の所有する畑をひとつひとつ見て回ることが出来た。
19世紀末創業のこの醸造所は、ヴィルティンゲン近郊に最上の畑を複数所有している。

古ぼけたランドローバーに乗り込み、村はずれから葡萄畑を斜めに
登る農道へ入り、一番最初に見学したのがヴィルティンガー・ブラウ
ンフェルス。大半はまだ収穫していないが、一部は丁度収穫作業中
だった。

彼が熱心に土壌と葡萄の仕立方について説明していると、斜面の下
の方から呼び声がした。
「ごめん、ちょっと待ってて。」そう言うなり、わっせわっせと枝を掻き
分けるようにして、葡萄畑を下りていってしまった。
5分ほどして、再び大またに駆け上がって来た。軽く息を弾ませてい
る。「いやぁ、まいったよ。契約農家が早く収穫させろって、せっつくん
だ。葡萄は充分熟したから、もういいだろうって。」
(収穫作業チームの若者)
この醸造所では、およそ13万本の生産量のうち7万本を『ザール・リースリング』という名前で、
ヴィルティンゲン村近郊にある複数の葡萄農家に栽培を委託した収穫を用いて醸造している。
葡萄の仕立方は、自家所有の畑と同じく一本の母枝に5〜7芽を残し、8月に果房のおよそ半
分を未熟な状態で切り捨ててしまう、『グリューンレーゼ』という作業を行っている。普通の農家
は母枝を2本残し、モーゼルではよく見られるハート型に曲げて固定し、グリューンレーゼは行
わない。それからすれば、相当ドラスティックな収量削減である。

「でも、まだこれからだよ。これから葡萄のアロマが深まっていくんだ。葉っぱもまだ緑だし、そ
れにこの素晴らしい快晴。『あぁ、太陽だ〜!』って、葡萄が喜んでいるような気がしないか?」
そういって、彼は両手を広げて笑った。

「畑が持つポテンシャルを最大限に引き出したいんだ。葡萄がアロマを極限まで高め切った、ギリギリのタイミングを見計らって収穫する。それは葡萄が熟しきってポトリと落ちる瞬間、地面に落ちる直前をさっと受け止める感じかな。」ニエヴォドニツァンスキー氏は例によって、受け止めるしぐさをしながら快活に語った。しかし、収穫を遅くすればするほど、果汁の酸度は落ちてくるはずである。糖度とともに、それにバランスするだけの酸味がなければ、いいワインにはならないと言われているが、その点について彼は「ザールのワインは、酸味について心配する必要はない」と言い切った。求めているのは、テロワールとアロマであって、糖度でもなければ甘酸のバランスでもない。従来のザールのリースリング像から離れた、新しいスタイルの提案である。

(葡萄の摘み取り時期を推し量るローマン・ニエヴォドニツァンスキー氏)

「彼のワインはザールのワインじゃないよ」「アルコールが高くって厚ぼったいだけ」「ドイツワイ
ンというより、アルザスのワインに近いね」とは、ザールの他のいくつかの醸造所で聞いた、現
在のファン・フォルクセン醸造所のワインについての意見である。収穫を遅らせてアロマを高め
るという考え方にも異論がある。「果実が一定の糖度まで熟したら、それが完成された状態な
んだ。それ以上待っても腐敗のリスクが高くなるだけで、意味が無いと思うけどなぁ。」と、とあ
る醸造家は肩をすくめて「何を考えているんだか、理解に苦しむよ」と頭を振った。葡萄はもう
充分熟したから、早く収穫させてほしい。そう直訴してきた契約農家の方が、むしろザールのワ
イン造りの常識からすれば当然なのだ。

しかし、ニエヴォドニツァンスキー氏は頑ななまでに理想を追求して譲らない。「僕は偉大なワイ
ンを造りたいんだ。その意味で、今年はビック・チャンスなんだ。」と意気込んでいる。彼の視野
はザールをはるかに越えて、世界のトップクラスを見据えているのだ。かつて20世紀初頭、ベ
ルリンの超一流ホテル『アドロン』のワインリストで、ザールのリースリングはボルドーの5大シ
ャトーよりも高価であったという。その当時の評価に迫り、醸造所の名声を世界的なレベルで
確立し、ひいてはザール全体のワインの世界的評価を引き上げること。それが彼の野心であ
る。



古ぼけたランドローバーに乗って次に向かったのが、シャルツホーフベルク。エゴン・ミュラー醸造所の西隣の区画を所有している。他の畑では既に茶色を帯びた粒も多いのに、ここでは葡萄は一粒一粒丸々としてまだ緑色をしたものが多く、健全そのもので美しい。レフレクトメーターで糖度を図ると90エクスレ前後だが、さらに熟し続けそうな余裕を漂わせていた。部分的に見受けられる貴腐のついた粒は、軽く100エクスレを超えている。

「う〜ん、素晴らしい」と満足気にうなづきながら、「ほら、食べてみなよ」と、一房僕達に摘んで
くれた。先ほどブラウンフェルスで試食したのよりも、一段とアロマがくっきりとしていて、ワイン
になる前からそのポテンシャルの大きさを感じさせる。偉大な畑の葡萄は、見た目も味も優れ
ている。あるいは、普通の畑よりも奇跡的なほど長期にわたる健全な熟成を可能にする稀な
畑が、偉大な畑であるのかもしれない。

(右は1868年に作成され
たザールの葡萄畑格付け
地図をもとに、ファン・フォル
クセン醸造所が所有する
畑の位置を書き加えたも
の。赤色の濃い部分が特
級畑で、中央やや下がシ
ャルツホーフベルク。右上
からヴィルティンガー・クッ
プ、ゴッテスフス、クロスタ
ーベルク、クロスターベル
ク”ミリヒベルク”、クロスタ
ーベルク。左上からヴィル
ティンガー・ブラウンフェル
ス、ブラウンフェルス”フォ
ルス”、シャルツホーフベル
ク、シャルツホーフベルク”
ペルゲンツクノップ”。)

シャルツホーフベルクの一角には昔『ペルゲンツクノップ』と呼ばれていた区画があり、そこか
らの収穫が2002年産の中では、今一番美味しい。気品のあるしなやかなフルーツ感にアプリコ
ット、洋梨のヒント、ミネラルのほのかな苦味が折り重なった複雑な味で、アフタの長い充実し
たワインだ。

ラベルにも、この昔からの呼称が記載されているが、現
行のドイツワイン法では実は許されていない。『ペルゲン
ツクノップ』の他、ヴィルティンガー・ブラウンフェルスの
『フォルス』、ヴィルティンガー・クロスターベルクの『ミリヒ
ベルク』も同様に、ワイン法ではラベル上の表記が認め
られていない呼称であるが、テロワールのもたらす個性
を重視する姿勢を明確に打ち出す為、あえて表記してい
る。
("Braunfels"の下に赤い印字で"VOLS"とあるのが、昔の区画名。)

ラベルの記載条項で検査官からクレームがついた場合、ちょっとやっかいだ。
とある醸造所が、醸造したワインを自分の醸造所で瓶詰めしたにもかかわらず、ラベルに『エ
アツォイガー・アプフュルング(製造者瓶詰め)』と表記することを忘れてワインを販売してしまっ
た。ある日検査官がやってきて、ラベル上の不注意を咎めるだけでなく、醸造所の帳簿や生産
記録、収穫量と醸造量など一切合財すみずみまで、鵜の目鷹の目で不正がないか調べつくし
たあげく、罰金を請求して行った。良心的にワインを造ることだけに力を尽くしていたその醸造
家は、かなり不愉快な思いをしたという。「でも、ファン・フォルクセン醸造所のバックには、ビッ
トブルガーの優秀な法務部門がついているから、ああいうリスクを背負えるんだよ」と、彼は冗
談交じりに語った。ローマン・ニエヴォドニツァンスキー氏は、ドイツ最大のビールコンツェル
ン、ビットブルガー創業者の孫である。彼がファン・フォルクセン醸造所のオーナーとなったの
も、母親−つまり創業者の娘−が投資として醸造所を購入したのがきっかけだったという人も
いる。



きっかけがどういう形であったにせよ、醸造所を指揮する手腕には、その才能を認めない訳にはいかないだろう。2000年の初リリース以来注目を集め、毎年売り切れが続いている。今回僕達が訪れた翌日には、ドイツ全国をネットするテレビ局ZDFが取材に訪れ、翌週夜のニュース番組で放映された。3分間ほどの簡単なレポートだったが、星の数ほどある醸造所の中から白羽の矢が立ったということは、ひとつの快挙に違いない。(参考までに、この報告を書いている2003年11月現在、放映されたレポートはZDFのサイトのストリーミング・ビデオで見ることが出来る。http://www.zdf.deのホームの左端の項目をReise&Lebensart>Essen&Trinken>Deutscher Weinと辿り、右端のストリーミングビデオの中から"Jahrfundert Wein von Mosel-Saar-Ruwer?"というタイトルがそれ。)
彼ならば醸造所に限らず、どんな事業であっても、きっと成功に導
くのではないだろうか。人当たりがよく快活で、誠心誠意物事にあ
たる姿勢に感心させられるとともに、信念と理想には決して妥協し
ない頑固さがあり、同時にどこかナイーブでもある。近くにいると感
電しそうなエネルギーに満ち溢れていて、放たれた矢がまっすぐに
標的に向かって飛んでいくように、目標をクリアしていく力を持って
いる。

「この仕事は毎年面白くなっていくよ。」ヴィルティンガー・クロスター
ベルクから醸造所へ帰る途中、彼は車を運転しながら言った。今
年、一部の畑にアルザスの造り手、マルセル・ダイスのリースリン
グのクローンを植樹したという。その若木が収穫をもたらし、真価
を発揮するには10年以上必要だろう。「一生ワインの造り手を続け
るつもりですか?」と聞いてみた。彼は少し間をおいて、「できれば
ね。」と答えた。
(いつも温和だが、時折鷹のように目線がきつくなる。)



その日、時間の都合で行くことが出来なかったヴィルティンガー・ゴッテスフスの畑を、同じ週末に見に行った。崖っぷちのような急斜面で、足を踏み入れたが最後、斜面の下まで転がり落ちそうな危険を感じる畑だ。その丘の頂上に十字架が立っており、その麓の斜面ということから「神の足」という名前がついたのだろう。醸造所のフラッグシップである、ヴィルティンガー・ゴッテスフス・『アルテ・レーベン』−古木の意−の一角の周りには、イノシシ除けに青いネットが張り巡らされ、中にはシャルツホーフベルクで見たのと同じか、それ以上に緑を帯びて丸々とした房が、たわわに実っていた。
(ゴッテスフスの畑。斜面はザール川に吸い込まれていくかのような急だ。)

ネットは写真を撮るには邪魔だったが、仕方ない。絵になりそうな房をさがしていると、膝の高
さ辺りに、葡萄が一房、ぽつんとネットにひっかけるようにぶら下げてあった。丁度イノシシの
鼻先にくるような按配だ。さらにそこから1mほど、ネットが横に裂かれて、格好の入り口になっ
ていた。醸造所の成功を妬んでの、いやがらせの可能性が高い。僕はおとりと思しき房を取り
上げ、せっかくなのでイノシシの代わりに食べた。アプリコットと青リンゴが混ざったような、ゴッ
テスフスのワインに通じるアロマがあり、甘く、美味だった。切り裂かれたネットを簡単に結び合
わせ、枝だけになった房をザール川めがけて放り投げると、それは弧を描いて葡萄の茂みの
向こうに消えていった。



以前、ファン・フォルクセン醸造所はザールにルネッサンスをもたらしつつあるように思われる
と書いた。しかし現状では、ローマン・ニエヴォドニツァンスキー氏は自己の理想を実現するた
めに、ザールの人々の持つ固定観念と闘っているように見える。それはある程度、無理からぬ
ことかもしれない。醸造所の出身でもない、ワインに関してはわずか3年前まで全くの素人だっ
た30歳そこそこの若造が、ザールのワインのあるべき姿をあれこれ言えば、抵抗を受けてむし
ろ当然だろう。彼が引き起こそうとしているのはルネッサンスと言うより、保守勢力を圧倒して
初めて達成される『革命』なのだ。

2003年産の収穫も、11月も半ばになった今頃は、ほぼ全て
醸造所の樽の中に入っている筈である。大半が伝統的なフ
ーダー樽で、自然酵母によりゆっくり、なかには8月まで発酵
を続けるものまである。リリースは来年の8月末だ。果たして
革命を成功に導く様な「偉大な」ザールワインに出会えるの
か、僕の期待は今から高まっている。

(ファン・フォルクセン醸造所のケラー。樽はどれもピカピカに磨かれて、果汁
で満たされるのを待っていた。)


Weingut Van Volxem
Dehenstr. 2
54459 Wiltingen
Tel. +49 (0)6501 16510
Fax. +49 (0)6501 13106
Email: vanvolxem@t-online.de
訪問可能時間:月−土 8:00-19:00 (要予約)


(2003年11月)





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