ファン・フォルクセン醸造所を後にした僕達は、今回の醸造所めぐりの最終目的地、シュロス・
ザールシュタインがあるゼーリヒ村へと向かった。この村は地理的にはザールのワイン生産地
帯の最南端に位置しているが、気候的にはモーゼル・ザール・ルーヴァーの中で最北端に相
当する。この村を境にしてザールの上流方向には、葡萄畑はほとんど見られず、次第に山奥
の景色へと移り変わっていく。

ゼーリヒ村における葡萄栽培の歴史は浅く、せいぜい100年ちょっとである。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ザール産ワイン、特にゼクト(発泡性ワイン)がドイツでブームとなり、資産家たちが投資の対象として競うように醸造所を設立した。シュロス・ザールシュタインはそのひとつである。運送業と石炭の取引で成功したトリアーのハンゼン家が1904年に設立したのだが、繁栄も長くは続かず、1920年代の不況、そして第二次世界大戦という逆境の中で、没落への道を辿らざるを得なかった。
(バロック様式の面影のある醸造所の玄関。)



醸造所を1956年に買い取ったのが、現オーナーの父親であるディー
ター・エバート氏だ。第二次大戦までブランデンブルク地方で農業で
成功を収めていた彼は、次第に迫り来る赤軍と共産主義政府による
財産没収を恐れ、終戦間近の1944年、ゼーリヒ村へと逃れてきた。
根っからの農民だった彼は、新天地でも農業に携わることを志し、土
地の代表的な農作物である葡萄栽培を選んだのである。実際、彼は
他のどの醸造所よりも熱心に土を耕し、南西向き斜面という恵まれた
畑の立地条件もあり、葡萄は非常に勢い良く成長した。あまりにも成
長が良すぎて収穫量が過剰に増え、その抑制に苦労するほどだった
という。

醸造所の経営を始めてから間もなく生まれた息子クリスチャン氏が、
1985年にガイゼンハイムでの勉強を終えて醸造所に戻ってきた。
1989年に醸造責任を息子に譲った数年後、フランケンの名門ヴィル
シング醸造所の娘、アンドレアさんとクリスチャン氏の結婚を機に、デ
ィーター氏は経営責任もまた息子へと譲り渡した。
今から丁度10年前のことである。
(現オーナーのクリスチャン・エバート氏とアンドレアさん。)

「一ヶ月前、その親父も亡くなってね。」醸造所の歴史を伺っている最後に、クリスチャン氏がつ
ぶやくように言った。どことなく疲れているように見えたのは、まだ癒やし切れていない悲しみの
せいだったのかもしれない。
「それは....ご愁傷様です。」僕達にはそれしか言うことが出来なかった。



秋晴れの午後の醸造所のテラスからは、ゼーリヒの村が葡萄畑の向こう側に隠れるようにして遠くに佇んで見えた。河沿いからはまるで葡萄畑の上に聳える要塞のように見えるこの建物は、第二次大戦末期の1945年に連合軍の砲撃を受け、その日僕たちが試飲していたテラスと屋根が破壊された。かつてはバロック風に装飾を施され、優美なガラス窓に囲まれていたというテラスは、その後簡素な形で再建されたが、もはや窓よって風が遮られることなく、床の上には土埃と枯葉が吹き溜まっている。赤く紅葉したツタが手すりに絡まっているが、その鉄枠には所々赤錆が見え、どこか侘しい。しかしそれでも、ぬくぬくとした陽光にあたりながらの見晴らしは素晴らしく気持ちが良かった。
「こんな所にお住まいとは、まったく羨ましい限りです。」眺めを堪能してしみじみとクリスチャン氏に言うと、
「醸造所の見た目はいいけど、ワイン造りの仕事は大変だよ。」と、少し疲れたように笑った。
(ザール河沿いから見上げた醸造所。)
僕達が訪れた日も、朝から収穫作業が行
われていた。試飲しながらお話しを伺って
いる間も、畑では収穫チームが作業を続
けており、テラスの真下にあるケラーで
は、圧搾マシンが回転しながらゆっくりと
果汁を絞っていた。低圧で行われる搾汁
には約1時間半から2時間かかる。その間
に接客をこなし、圧搾が終わる頃に再び
醸造作業に戻るという段取りだ。

(醸造所のテラスからゼーリヒ村を望む。)

発酵は伝統的な1000リットル入り木樽とステンレスタンクの両方を使うが、発酵後の熟成はス
テンレスタンクもしくは合成樹脂タンクで行う。「木樽は蒸発で自然に樽内上部に空洞が出来
て、ワインの酸化が進みやすい。だから熟成には向いていないと思う。実際に経験した事実な
んだ。経験は最も優れた教師だよ。」とクリスチャン氏は言う。



11haの畑のうち、ゼーリガー・ザールフェルザー・ザールシュタインはこの醸造所の単独所有で
ある。栽培品種のうち93%がリースリング、6%がヴァイスブルグンダー。年平均約6万本を生
産、8割が輸出され、近年ロシアとの取引が増えているという。辛口と甘口の生産比率は半々
である。

2002年産を5種類試飲させていただいた。2種類の辛口(ヴァイスブルグンダーとリースリング
QbA)はいずれも軽く繊細で、酸味がはっきりしており、リースリングはアフタにミネラルが長く残
る。甘口カビネットは上品な柑橘、甘酸の調和が綺麗。シュペートレーゼはミネラルが前面に
出て、やや繊細ながら快適な甘酸。最後のアウスレーゼ・ゴールドカプセルは実に見事なワイ
ンだった。充実したフルーツ感、夏みかんに太陽の滴、蜂蜜、美しい酸味が気品を醸し出して
おり、アフタも非常に長い。



醸造所を後にする時、玄関ホールの壁一面に無数に飾られ
ている鹿の角に気がついた。
「狩猟をなさるんですか?」「少しね。ほとんどは親父が仕留
めた獲物だよ。腕の良いハンターだった....。さて、そろそろ仕
事に戻らないと。わざわざ来てくれて、どうもありがとう。」
彼は笑顔を浮かべ、一人一人と握手し、あちこちに祖先の肖
像画が飾られた重々しい建物の奥へと去っていった。

訪問から2ヶ月近く過ぎた11月下旬、ゴー・ミヨのドイツワイン
ガイド2004年版が出版された。最も影響力の大きい、フレン
チレストランで言えばミシュランに相当するこのガイドでの評
価は、毎年注目の的である。その中でシュロス・ザールシュタ
イン醸造所は葡萄の房2つから3つへと上昇していた。
「(2002年産の)これほどクリアな辛口はこの醸造所でこれま
で試飲したことがなく、その素晴らしいアイスワインはドイツ全
体で最上の部類に入る」という好意的なコメントが添えられて
いた。それを読んだとき、僕は疲れと悲しみの影がすっかり
消えた、エバート氏の晴れ晴れとした笑顔が脳裏に浮かん
だ。
(ケラーでポーズをとってくれたクリスチャン・エバート氏。とても親切だった。)

Weingut Schloss Saarstein
54455 Seerig
Tel. +49 (0)6581 2324
Fax. +49 (0)6581 6523
Email: Weingut@Saarstein.de
訪問可能時間:予約のみ

(2003年12月)

(醸造所訪問記10月 終わり)





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