1. 安ウマワイン

年の瀬である。この時期とくに忙しいのは借金取りだと昔から言われているが、ドイツに住んで
いても変わらない。先日郵便受けにアパートの管理会社から手紙があり、何かと思ったら年間
暖房光熱費の不足分の請求だった。がちょ〜ん、これで今月のワイン代はパァである。外に飲
みにいくこともままならないというのに、おりしもクリスマスシーズンとあって、あちこちの醸造所
からはワインの案内が送られてくる。それをながめながら、あぁ、これ飲みたいなぁ、何本か手
元におけたらなぁ、とため息をつきながら眺めている。

財布がピンチの時、お世話になるのが安ウマワインである。日本にいたときからそうだった。
大型スーパーに行くと1本2ユーロ(約260円)前後から選択肢があるが、大部分は海外の大手
メーカーのものが多い。先週日本円にして400円くらいのオーストラリアのシラーを買ってみた。
Hardysというメーカーのもので、実家の近所のスーパーでも380円くらいで売っていて、しばしば
買っていたものだった。土臭く、上品ではないが充分な果実味で、この値段なら不満はない。
満足した。

味をしめて、今日も再び安ワインを買ってきた。1999 Sangiovese di Romagna Superiore 
Riserva (Le Rocche Malatestiane Soc. Coop. a R.L./ Rimini)。リミニにある協同組合醸造所の
サンジョヴェーゼ。リミニといえば、ドイツ人には地中海リゾートの代名詞みたいな町であるが、
ワインの産地とは知らなかった。3.99ユーロだから、520円位か。牛肉をソテーしながら、仕上
げに使おうとグラスに注ぐと、意外といい色をしている。飲んでみると、へぇ、てなもんで、ウマ
イ。この位フルーツ感のしっかりした赤は、ドイツワインなら4ユーロでは無理だろう。酔い心地
も素直で穏やかだし、複雑さや気品、力強さは別にしても、充分にいいワインである。

近年ドイツ人はビールよりもワイン、それも赤ワインを飲むようになったというが、むべなるか
な。一方で、急斜面の葡萄畑を手間隙かけて世話したモーゼルの小規模農家のワインが、こ
のコストパフォーマンスに競合できるかといえば、正直なところ、少なくとも赤ワインに関しては
無理だ(キッパリ)。そのうえ、大型スーパーで10セントでも安い食材を探している時、1ユーロ
の差は決定的である。ネギや豚肉をせいぜい1ユーロ以下で探している中で、その3倍以上も
するワインは間違いなく贅沢品だ。そこにあえて4ユーロ前後のワインを買うとなると、磐石の
動機、絶対的な理由が無ければならない。そうでなくても、安ワインの購入は半ば博打みたい
なものである。たとえハズレたとしても、「ま、この値段なら仕方ないよね。」と、笑ってすませる
ことが出来るくらいの価格であることが必要だ。逆にちょっと高くても、「この味なら当然だな」と
思えるワインもあるが、それは飲んでみて初めて納得できることである。

ともあれ、今日のサンジョヴェーゼは『あたり』だった。シアワセである。同じワインをもう2, 3本
買っておこうか、それとも別の安ワインを冒険してみるか。懐具合との兼ね合いで、悩ましいと
ころである。

(2003年12月)


2. クリスマス


『初めに言があった。
 言は神と共にあった。....言の内に命があった。
 命は人間を照らす光であった。
 光は暗闇の中で輝いている。.....』(ヨハネによる福音書1:1-5)

クリスマス・イブの夜、イルミネーションで飾られた街路樹は、闇の中で燃え立つように輝いて
いる。しかし明かりが眩しければ眩しいほど、背景の闇もまた底なしに暗く、冷たい。

クリスマス・イブ。一年中で一番、孤独を惨めに辛く感じる日だ。
アパートの窓からもれる光も数少なく、ほとんどの住人が実家に帰り、家族ととに暖かな食卓を
囲んでいる一方、ドイツ人のおよそ15人に1人は、クリスマスを嫌っているという。孤独が身に
しみるからだ。

普段は教会に行かない人々も、この日ばかりはミサに赴く。
大抵は夕食をすっかり終えた夜11時ころ、満ち足りた気持ちで家族とともに。居間には色とり
どりに輝く飾りつけがされた背の丈ほどのクリスマスツリーが飾られ、その枝の下にはプレゼ
ントのカラフルに包装された箱が散らばっている。

夕食の前、一家の主は合図の鐘を振る。すると楽しげに談話していた家族全員がクリスマス・
ツリーの前に集まり、プレゼントの交換が始まる。それぞれの思い、気持ちを込めて選んだ贈
り物に、誰の心も温かな感謝の気持ちに満たされ、幸せを実感するひと時。

『愛する者たち、互いに愛し合いましょう。
 ...愛するものは皆、神から生まれ、神を知っているからです。
 ...神は愛だからです。...わたしたちが互いに愛し合うならば、
 神はわたしたちの内にとどまっていてくださり、神の愛がわたしたちのうちで
 全っとうされているのです。』(ヨハネの手紙4:1-12)

愛しあうこと、それがキリスト教で最も肝要な教えである。

『神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまって
 くださいます。』(ヨハネの手紙4:16)

それでは愛と光の暖かさと眩しさを憧れつつも、暗闇と孤独に留まらなければならない者は、
一体どうしたらよいのだろうか。凍てつくような寒さに震えながら、路上で眠らなければならない
人々は、わずかでも孤独をまぎらわすために、ラジオのボリュームをいっぱいに上げていた。
乾いた寒気の中に広がるポップミュージックは、周囲の静寂の中で一層寒々しく響いている。
今夜、最低気温は氷点下10度に達する見込みだ。

『愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、
 すべてに耐える。愛は決して滅びない。』(コリントの信徒への手紙13:4-8)

ここで言う愛とは、カリタス−互いに慈しみあうことである。男女の恋愛とはニュアンスが違う。
より広く、より深く、至るところに見出すことができるが、心の目が開けていなければ、その真っ
只中にあっても気がつかない。光に満ちた世界にいても、目を閉じていれば暗闇である。

『「光あれ。」こうして、光があった。』(創世記1:3)

クリスマスのイルミネーションは、光に満ちた世界を現出させる。
色とりどりに瞬く電飾、ゆらめく蝋燭の光、喜びに輝く子供達の笑顔。
モミの木の緑は永遠の生命を象徴し、贈り物は慈しみを−愛を現す。
しかし贈り物を受け取る当ても無く、まして贈る相手すらいない孤独な者は、どうしたらいいの
か。

『天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えらられる大きな喜びを告げる。
 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」』
 (ルカによる福音書2:10-11)

今夜、あちこちの教会では幸せに満ち足りた人々が、ミサの中でこの一節を耳にしていること
だろう。しかし本当に救いと愛を必要としている人達に、主の恵みは届いているのだろうか。

「悲しみに逢った人々の心の傷が早く癒されますように。
 困難の真っ只中にいる人々が、一日も早く喜びで満たされますように。
 救いの手を差し伸べた人々が、さらに大きな幸せで満たされますように。」

そう祈ったとき、心の中に光が見えた。
その光は暖かな輝きを放っていた。
それが愛なのかもしれない、と思った。

(2003年12月)


3. ジルベスター(大晦日)


クリスマスから一週間もしないうちに、大晦日が訪れた。
クリスマス・イブと同様に、町中の店という店は午後2時で閉店し、爆竹やロケット花火の音が
ちらほらと聞こえはじめると、お祭りムードが高まってくる。ベルリンやケルンなど主要都市では
大規模な年越しイベントが開催されるが、地方都市トリアーではそれもなく、新年の夜空を彩る
のは人々が思い思いに打ち上げる小さな花火だけだ。

夜、友人達とのパーティの後、町が一望出来る葡萄畑の山の上に登った。煌々と輝く半月が
散歩道をぼんやりと照らし、厚く氷の張った池を青白く浮かび上がらせている。雲ひとつ無い漆
黒の夜空に、オリオン座がひときわ大きく見えた。氷点下の寒気の中で靴底の土の感触はカ
チカチに固く、霜のついた枯葉が踏みしだかれて乾いた軽い音を立てた。

午前0時の15分ほど前、葡萄畑の広がる丘が南に向かって突き出した一角の山頂に到着し
た。僕達の他には誰もいなかった。視界ほぼ270度のパノラマの様な夜景の中で、気の早い花
火があちこちで散発的に打ち上がり、家々の明かりが沈む闇に束の間の小さな光の花を、ぽ
つり、ぽつりと咲かせていた。

花火の数は午前0時が近付くにつれ、まるで湯が沸点に近づいていくかのように急速に増え、
一面に広がっていった。手にしたゼクトのフォイルを外し、針金を取り除き、新年の到来に備え
る。あと3分、あと2分、あと1分。花火の頻度はますます多くなり、景色は次第に明るく、賑や
かになっていく。

午前0時!
見渡す限りに光の花が咲いた。夜の底が湧き立ち、浮かび上がり、うねるようにして次から次
へと赤、青、黄色、緑、色とりどりに輝く光の絨毯が広がった。花火の弾けるくぐもった破裂音
が空を覆い、ゼクトの栓が飛び、思い切り勢いよく泡が溢れた。
「新年おめでとう!」「おめでとう!」
あたり一面に広がる華やかな光景は、まるで僕たちのために数万人の住民が演出しているよ
うでもあった。僕たちもまた持参した花火に火をつけて、ささやかながら光の競演に加わった。
「みんな、よい年を!」「新年おめでとう!」
聞こえるかどうかわからないけど、眼下で花火を打ち上げている人々にむかって声を張り上
げ、針金の先で勢いよく弾ける火花を振った。

およそ20分ほどして、静寂が次第に戻ってきた。火薬の匂いがあたりに漂い、町並みにうっす
らと靄がかかっているように見えた。すっかり高揚した気分で歌いながら山を降りた僕達は、真
っ白に凍りついた状態で路上駐車してあった車のフロントガラスに、指で『新年おめでとう!』と
落書きした。午前1時近く、気温は氷点下をずっと下回っていたはずだったが、寒いとは思わ
なかった。

皆と別れて一人で家路を辿る間、脳裏にいつまでも花火の色彩が踊っていた。ひとつひとつは
小さな花火でも、一斉に打ち上げると、あれほど壮大な光景になろうとは。トリアーのあちこち
に住む人々と僕達が一体となって感じられた、素晴らしい体験だった。


(2004年1月)


4. 安ウマワイン・その2


それにしても、最近の安ワインはあなどれない。
以前は安かろう、悪かろうで大抵間違いはなかったのだが、懐具合でやむなく買っている4ユ
ーロ以下のワイン、いまのところハズレらしいハズレに当たっていない。イタリア、オーストラリ
ア、チリ、スペイン、フランス、ルーマニアなどなど、手当たり次第に試しているが、赤でも白で
もそこそこバランスがとれていて、こりゃ、葡萄をとことん搾りきったな、という様な味気ないワイ
ンには出くわしていない。醸造技術がそれだけ進んできた、ということなのかもしれないが、一
消費者にとっては喜ばしいことである。

そんな調子でいつもの様にワインをすすりながらテレビを見ていたら、気になる情報を伝えて
いた。それはドイツの食文化最前線についてのドキュメンタリーだったのだが、とあるフードメッ
セで"Wine up"という、一種のワイン用添加剤が出展されていた。白でも赤でも、その無色透明
な"Wine up"をほんの少し加えるだけで、ワインの味が格段に向上するというのだ。合成ポリフ
ェノールとグリセリン、あとは発色剤と香料かな、と推測する。添加は法的に許されている、と
出展者は語っていたが、法的規制が最新技術に追いついていないというのが現状だろう。

すると気になるのが、果たして今口にしているワインに、その添加剤が使われているのかどう
か、という点である。おそらく健康に害は無いのだろうが、ワインは自然の賜物、よい味は生産
者の志の表れである、と信じている立場からすると、ほんの少量加えるだけで味がよくなるとい
う添加剤は、半ば背信行為である。しかし、現状では表示義務が無いので、消費者がそれを
見分ける術が無い。安くても美味しいワインがあったら、まず添加物を疑わざるをえないという
のは、どうも落ち着かない。一体何を信じてよいのか、わからなくなってくる。

考えてみると、最近飲んでいる安ウマワインはどれも安定して美味しいが、葡萄と産地の個性
に欠けているような気がする。スペインはカスティーリャVdTのテンプラニーニョとガルナッチャ
のブレンドと、イタリアはサリーチェ・サレンティーノDOCのネグロアマーロを使ったワインの味
にそれほど差が無く、どちらもたっぷりした赤黒いベリーのフルーツ感とこなれたタンニンに、
ほのかな甘みが心地よくてそこそこ美味しかったら、それを素直に喜んでいいのか、それとも
添加物を疑うべきなのか、少し悩ましい。

疑心難儀といってしまえばそれまでだが、気になる。その一方でそこその値段−12〜15ユーロ
前後だから、せいぜい2000円くらいなものだが、それでも安ウマワインの4倍の値段−の定評
あるドイツの造り手のワインをたまに飲むと、すばらしく美味しく感じられる。見事な奥行きとス
トラクチャ、調和とバランス、明確な品種、産地、生産年と造り手の個性が、まるで刻印された
かのようにくっきりと浮き彫りにされたワインは、飲み飽きることがない。だからあっという間に
ボトルが空になってしまい、懐が一層苦しくなるのだが。

上述の添加剤の効用は実際に確認した訳ではないので断言は出来ないが、ワインの製造技
術もそろそろ清涼飲料の域に達してきたということだろうか。不味いワインが無くなり、どのワイ
ンもコーラかオレンジジュースなみに快適な飲み物となる一方で、明確な個性を持つワインが
希少かつ高価となる、という傾向が今後ひろがることだろう。それは生産コストを考えれば当然
ではあるが、消費者としてどこまでその価格を妥当とみなすべきかどうか。資本主義の本能に
由来する最大の利益を引き出す為の価格付けと、消費者個人の好みと価値観に見合った価
格の妥協点をいかにして見出すか。既に舌の肥えた顧客と、これからの顧客へのワインの区
分けと価格設定を工夫する必要があるだろう。

今、1.45ユーロのルーマニア産のメッチェントラウベ−ドイツから導入された品種−を飲みなが
ら書いているが、ミュラートゥルガウのシュペートレーゼに似ている。もったりと甘く、何杯も飲
みたくなるようなものではないが、ワインを飲みつけてない消費者には、そこそこ素直に受け入
れられそうな味と価格だ。果たしてこのワインに添加剤が使われているのかどうか判らない。し
かし同程度の価格設定は、モーゼルの小規模生産農家には不可能なことは確かだ。

安いことはありがたい。その上美味しければさらにありがたい。しかし、それにも限度というも
のがある。確かな品質と個性には、それに見合う報酬が必要だ。しかし、その価格が品質に見
合うものであるかどうかは、飲み手一人一人の見識と価値観に依存している。その見地からす
ると、現地価格と日本での小売価格の差に対する認識も広がってしかるべきかもしれない。そ
れによって、消費者はインポーターの心意気を知ることが出来ると思うが、どうだろうか。

ちなみに、ドイツの代表的な造り手のワインとその価格は、ゴー・ミヨGault MillauのWeinguide 
Deutschland に毎年出ている。www.amazon.deなどで日本からも注文できる。ワインのコストパ
フォーマンスは、ドイツの消費者にとっても最大の関心事なのだ。また、ドイツのワイン屋www.
pinard-de-picard.dewww.fub-weine.deをはじめ、多数のワインショップのサイトでも知ることが
出来るとともに、ゴー・ミヨのサイトwww.gaultmillau.deから、個々の醸造所のサイトへ行くと、ドイ
ツ国内向けのページで醸造所直売価格が出ていることも多い。あるいはgoogleなどの検索サイ
トで醸造所名をキーワードに検索すれば、かなりの情報を得ることが出来るだろう。

もっとも、そこまでしなくても、気心の知れたワインバーや酒屋でおすすめのワインを飲んでい
れば、それで充分幸せになることは出来るのだけれども。

(2004年1月)



5. アイヒェルマンのドイツワインガイド


買うべきか、買わざるべきか。
昨年末からずっと購入を悩んでいるものがある。
といっても、それほど高価なものでも希少なものでもなく、入手も簡単なものだ。
アイヒェルマンのドイツワインガイド2004年版。それが、悩みの種である。

価格は28ユーロくらいだから、約3200円。どこの本屋に行っても大抵何冊か置いてある。
今日も買い物ついでに本屋に立ち寄って、パラパラと中身に眼を通しながら、買う必要が本当
にあるのかどうか、15分ほど悩んでいた。



なぜそれほど悩むのか、それにはいくつか訳がある。
第一に、ぱっと見たところ2003年版とほとんど変わっていないように見えるという点。
モーゼルのトップにランクされている醸造所も、産地についての概略のコメントも、個々の醸造
所についての解説も、2002年産についてほんの数行付け加わっただけで、そのまま使われて
いる部分が目に付いた。勿論試飲されているワインは大半が2002年産に入れ替わっている
し、前年から変わっていない点−たとえば醸造所のプロフィール−にまで手を加える必要が無
いのはわかる。それならそれで、価格が安くなっていればまだしも、逆に3ユーロほど値上げさ
れているのだ。

彼が2001年に初めてドイツワインガイドを出した時は、ゴー・ミヨとは傾向の異なる評価がとて
も新鮮だった。個々のワインを点数でしか評価していないゴー・ミヨに対し、「ワインの評価は点
数のみにあらず」として、ティスティングコメントを添えた点もまた斬新だった。そしてワインの素
性を明かして試飲し評価するゴー・ミヨ方式に対し、より客観的な評価を目指して、ほとんどを
ブラインドで試飲してコメントするという方針にも、志の高さを感じたものだった。

2002年版から出版社がハルヴァグという大手に替わり、装丁も立派に、見かけも分厚く内容も
充実した時は、迷わず買った。醸造所の解説も筆者が直接見聞きした内容が盛り込まれ、ワ
インについてもよかれ悪しかれ主観的で、著者の意見がはっきりしていて面白かった。影響力
の大きさを配慮してか、半ば公式発表ぎみで味気ないゴー・ミヨの解説に比べて、ずっと生き生
きとして感じられたものだった。ワインの評価についても、その大半は僕の印象と一致していた
し、アイヒェルマンのお陰で見つけることのできたお気に入り醸造所−例えばクリュセラート・ヴ
ァイラー醸造所−もいくつかある。

彼はもともと経営コンサルタントが本業で、いわば素人の趣味が昂じて始めたワイン評雑誌
『モンド』が出発点だから、醸造所との関係も一般消費者の立場に近い。それが端的に表れて
いるのが、アイヒェルマン2003年版でのエゴン・ミュラー醸造所の項目だ。

『ワインをあなたの本に取り上げて下さるとのお申し出、大変ありがとうございます。残念なが
ら2001年産は非常に生産量が少なく、一本も無駄にすることができませんので、試飲用にワイ
ンをお送りすることは断念させていただくことにしました。.....云々』

という、エゴン・ミュラー氏がアイヒェルマン氏に宛てた手紙が引用され、当然ながらワインの評
価は出ていない。その一方で同年版のゴー・ミヨにはQbAからTBAに至る2001年産10種類とと
もに2000年産7種類が堂々と試飲に供され、モーゼル最高の醸造所のひとつという評価を獲
得している。ワインガイドに取り上げられるということは、醸造所のワイン造りの努力が認めら
れることであると同時に、彼らのワインの宣伝の場でもある。しかし、エゴン・ミュラー醸造所に
は、いまさら改めてアイヒェルマンに評価してもらう必要性が全く無かったのだ。

そんな愛すべきアイヒェルマンのドイツワインガイドではあるが、全体の醸造所ランキングをざ
っと見た限りでは、そして少なくともモーゼルに関する限りでは、2004年版ではさほどの変化が
見受けられない。(もっとも、まだ丹念に読み込んでいる訳ではないのだけれど。)ゴー・ミヨが
編集主幹2人に加えて7人のチームで執筆されているのに対して、アイヒェルマンは前書きな
どから判断すると、もっぱら一人で、ほとんどのワインを自宅で試飲し、コメントし、執筆してい
るようだ。その上、彼はドイツワインだけでなく、世界各国のワインを試飲しコメントした雑誌『モ
ンド』を隔月で刊行している。ドイツワインだけで4月から10月にかけておよそ8000種類−毎日
休み無く試飲を続けたとして、一日平均40種類−を試飲して、醸造所の概要を執筆するのは、
精神的にも体力的にも相当きつい作業に違いない。それを思えば前年からの流用が多くて
も、止むを得ないのかもしれないが.....。



一方ゴー・ミヨの2004年版は、巻頭の『今年の造り手』などのポートレートを始めとして、昨年版
との違いがはっきりしている。各産地についてのコメントも毎年書き改められており、それまで
断片的に見聞きしていた2002年産の情報がコンパクトにまとまっている。また、醸造所のラン
キングも入念に行われているという印象を受ける。例えばフォン・オテグラーヴェン醸造所やヴ
ァインホフ・ヘレンベルク醸造所の評価の変化にもそれは見て取れるし、僕の印象とも一致し
ている。逆にカールスミューレ醸造所の格下げなど、一概に共感できない面もあるが、一応の
全体像と動向を把握するためには欠かせない本だ。こちらは毎年買っているし、2004年版も迷
うことなく購入した。



さて、どうしたものか、アイヒェルマン。
所詮ガイドブックの評価は目安でしかなく、読み手自身の価値観・経験・嗜好と対置させながら
批判的に読むべきものである。ゴー・ミヨ、あるいはアイヒェルマンで取り上げられていても、そ
の醸造所のワイン全てが必ずしも自分にとって素晴らしいワインとは限らない。ワインの評価
は嗜好と密接に関わっている。アイヒェルマンは濃厚で複雑なワインを高く評価する傾向があ
り、ゴー・ミヨはどちらかといえばクラシックでエレガントなタイプを高く評価する傾向がある。そ
れはJ.J.プリュム醸造所(アイヒェルマン2つ星、ゴー・ミヨ5つ星)やフリッツ・ハーグ醸造所(ア
イヒェルマン3つ星、ゴー・ミヨ5つ星)などに対する両ガイドブックの評価の違いにも現れている
ように思う。一方、どちらも高く評価しているマルクス・モリトー醸造所(それぞれ5つ星、4つ星)
に関しては、2回醸造所の試飲会を訪れているが、僕にはまだピンとこない。ワインの嗜好は
経験とともに変化するものだ。いずれ、その素晴らしさが僕にもわかるようになる日が来るの
かもしれない。

とはいうものの、それぞれのガイドブックで4つ星以上にランキングされている醸造所は、好み
に合うかどうかは別としても、品質的にはまず信頼して間違いない。これらのドイツで出版され
ているワインガイドは、ドイツワインの深奥へと分け入るにあたってもっとも確かな案内役であ
る。蛇足になるかもしれないが、アメリカで出版されているワイン雑誌−ワインスペクテイター、
ワインアドヴォケイトなど−のドイツワイン評を元にドイツワインを選ぶのは、アメリカ人にドイツ
の観光案内を任せるのに等しい。彼らの手元に届くドイツワインの品揃えがごく限られている
上、散見したところでは辛口ドイツワインには手厳しい反面、甘口の評価は過剰に甘い。蛇の
道は蛇というが、案内役はやはり地元出身者か在住者で、醸造家と直接コンタクトのある人が
いい。出来ればゴー・ミヨ、アイヒェルマン、あるいはシュトゥワート・ピゴットの著書(彼はイギリ
ス出身のワインジャーナリストだが、ドイツ在住20年以上、ドイツ人以上にドイツワインに詳し
い)などを参考に、ドイツワインを知り、選ぶのが正解だと思う。

ちなみに、日本語でドイツ各地でしのぎを削る醸造所を的確に把握できるドイツワインガイド
は、僕の知る限りでは残念ながら無い。ドイツ在住のワインジャーナリスト、フランツ佐伯氏が
かつて酒類専門誌『ウォンズ』に新進醸造所を毎号2ページレポートしていたが、あれが単行
本で出版されれば、ドイツワインに対する日本での知見も向上するのではないかと思う。ある
いはまた、1年以上におよぶケラー醸造所での体験を生き生きと綴った『おいしいワインが出
来た!』(講談社文庫)の著者、岩本順子さんが各紙に書き綴ったドイツワインエッセイが単行
本になれば、きっと素晴らしい本になることだろう。



参考までに、いくつか信頼に足るドイツワインガイドの書名あげておこう。ドイツ語が読めなくて
も、星の数と点数でおおざっぱな見当はつけることができる。また、以前も書いたが、ゴー・ミヨ
の内容はインターネットでも見ることが出来る。

書名:Gault Millau Wein Guide Deutschland 2004
編集者: Armin Diel, Joel Payne
出版社: Christian Verlag
出版年: 2003年
価格: 27 Euro前後

出版年は古いが、ゴー・ミヨの英語版もある。
書名:German Wine Guide
編集者: Armin Diel, Joel Payne
出版社: Heyne Verlag
出版年: 1999年

書名:Eichelmann Dutschlands Weine 2004
著者:Gerhard Eichelmann
出版社:Hallwag
出版年: 2003年
価格: 28 Euro前後

書名:Die fuehrende Winzer und Spitzenweine Deutschlands
著者:Stuart Pigott
出版社: Econ Verlag
出版年: 1998年(絶版だが、インターネットの古本屋で入手可能。個々の醸造
所の解説は最も詳細)
価格: 20 Euro前後(中古価格)

(2004年2月)





6.ワインをどうやって日本に持って帰るか


昨年の夏、留学していた友人が日本へ帰る時、自然に集まったワインをどうしたものか困って
いた。およそ50本前後で数はたいしたことないものの、丁度100年に一度と言われた猛暑の真
っ最中で、発送したら暑さで膨張したワインがコルクと瓶の間から吹き出ることは、容易に予測
できた。
「すいませんが、涼しくなってから実家へ送ってくれませんか。」
そうして預かったワインを昨年暮れから発送して、あと1箱ぶんくらい残っている。



ドイツからワインを日本へ送る時、まず最初に問題になるのが、梱包箱だ。
数年前までは瓶が納まるよう成型された発泡スチロールに納めたワインを、比較的厚手のボ
ール箱に入れるタイプが、醸造所で入手できるワイン輸送用の箱−PTZ(ペー・テー・ツェット)
カートンと呼ぶ−の主流だった。しかしこの発泡スチロールは薄手で壊れやすく、モーゼル下
流のとある醸造所からトリアーに送ってもらった時でさえ、瓶が割れていたことがある。

最近では発泡スチロールではなくダンボールで仕切りを施したPTZカートンが増えてきた。外
箱もかなりがっしりしており、フタも左右の翼を重ねて閉めた上から、折り曲げて二重になって
いる上下の翼を閉じるようになっている。これに一本一本ワインを新聞紙でくるんで仕切りに入
れて、瓶が動かないように上下に詰め物をし、ガムテープでしっかりと封をするのが、僕の知る
限りでは現状で一番確かな梱包である。大抵の醸造所では6本用か12本用をおいている。日
本まで送る場合、郵便局で受け付けてくれるのは20Kgまでだから、1箱フルボトル12本が上限
だ。通常は日本でSAL便にあたる手段で送られ、大体10日位で届く。送料は12本だと約17Kg
で、2004年2月現在10Kgから20Kgまでにあたるので80ユーロ。6本の場合は10kg以内なので50
ユーロだが、一本あたりに直すとやや割高になる。船便は2kg以下の郵便物のしか受け付けて
くれない。



長期滞在する場合もそうだが、ドイツに来てワインを買った後問題になるのが、どうやって日本
まで持って帰るかだろう。重い上にワレモノと来ている。そんな時は醸造所でPTZカートンを譲
ってもらえないか、聞いてみるといいかもしれない。郵送料がかかるが、発送した後は肩の荷
をおろしてさっぱりした気分になるはずだ。醸造所によっては、当然そこのワインに限るが、日
本までの発送を請け負ってくれるところもある。

老婆心まで付け加えておくと、手書きだとドイツと日本ではアルファベットと数字の書き方のク
セに違いがあり、ドイツ人に誤読される可能性がなきにしもあらずだ。例えば、数字の『1』はド
イツ人はひさしにあたる部分を長く伸ばして書くので、まるで『7』のように見える。ドイツの『7』
は縦軸の真ん中あたりに短い横線を入れる。活字で印刷された住所を持っていけば、誤読さ
れることも避けられるだろう。また、一部の有名醸造所を除いてほとんどの醸造所ではクレジッ
トカードは使えない。現金か振り込みになる。



しかし自分で郵便局に持ち込むにしても、醸造所に依頼するにしても、万一割れて届いたら、
日本の郵便局に自分でクレームしなければならない。また、12本で80ユーロだから、一本あた
り1000円近い送料がかかることになる。そうしたリスクとコストを考えると、無理をしてでも手荷
物で機内に持ち込んだほうが、安上がりで確実なのかもしれない。

だが、何より一番容易なのは、酒屋で既に日本まで届いたワインを買うことだろう。もっとも今
度は、品揃えと値段と保存状態の良し悪し−安ければ良いというものでもない−が問題になる
のだけれど。
(2004年3月)




7.ワイン商を始めないワケ


「いっそのこと、ワイン商になったらどうだ?」
時々知人にいわれる事がある。
「直接日本のお客さんに送ってあげれば、喜ばれるんじゃないのか?」
まぁ、それはそうかもしれない。価格よりもむしろ、日本市場で手に入るドイツワインの選択肢
の幅の狭さに対する解答のひとつにはなりそうではある。地道に気鋭の醸造所を紹介している
インポーターも、『ドイツワイン=甘いだけ』という頑固な先入観にはばまれ苦戦しているよう
だ。売れ行きが伸びて資金的に余裕が出れば、もっと多様なドイツワインを日本へ紹介しやす
くなるのだろうけれど、フランスワインに比べて日本のドイツワイン市場の成熟にはまだ時間が
かかりそうに見受けられる。

仮に僕が試飲して気に入ったワインを、醸造所から直接取り寄せて日本の愛好家に直送した
ならば、ワインが売れて醸造所はハッピー、消費者も日本の価格よりもずっと割安に入手出来
てこれまたハッピー、そこそこ手数料をいただければ僕も学費・生活費が助かってハッピー
の、いいことずくめじゃないか、と考えることがないではない。しかし、事がそう簡単ではないこ
ともまた見当がつく。例えば、以下の点である。



1.どうやって信頼してもらうか。

代金を払ったのに、商品がいつまでたっても届かないといった例は枚挙に暇が無い。長年実
績のある業者ならともかく、海外に住むどこの馬の骨とも知れない貧乏学生なぞ送金したが最
後、家賃生活費あるいは飲み代−ワインはいくらお金があっても足りない趣味である−に使わ
れてしまって、結局なしのつぶてにならないとも限らないではないか?そもそも、送金からして
2000円近い郵便為替手数料がかかる上に、約1週間の送金時間がかかる。そんな手間ひま
かけるぐらいなら、多少高くて選択肢の幅が狭くても、国内のワインショップで買ったほうが確
実である。

2.割れたらどうする。

何と言ってもドイツは遠い。普通に送れば2週間近くかかるし、送料だって12本で80ユーロ(1本
1000円前後)と馬鹿にならない。その長旅の途中、何かのはずみでボトルが割れないとも限ら
ない。PTZカートン−ドイツの郵便局公認のワイン発送用梱包箱−でも、100%確実とは言えな
い。割れるだけでなく、箱ごと紛失という場合が絶対ないともいえない。また、郵送上のトラブル
が発生した場合、受取人が郵便局にクレームして補償を請求しなければならない。貴重な時
間とお金をかけて、さんざん待たされたあげくに自分でクレームまでしなければならないとは、
何と理不尽であることか。そんな面倒をこうむるくらいならば、近所の酒屋か国内のインターネ
ットショップで買ったほうがマシではないか?

3.本当にうまいのか。

ソムリエでもワインアドバイザーでもなく、ドイツワインケナーの資格もない、たかだか6年ドイツ
に住んでいるだけのワイン好きが気に入ったワインが本当に美味しいかどうか、すこぶる怪し
いものである。ワイン選びはやはりその道のプロ、公認団体の資格を持った人に任せた方が
確実なハズだ。いくら数をこなしているといっても、味覚はどうしても主観によって左右される。
彼の美味しいというワインが、自分にとっても美味しいとは限らない。ワインは自分で飲んでみ
るまでは、わからないものなのだ。その点、良心的なインポーターが主催している試飲会で実
際に飲んで気に入ったものなら、他人の舌をあてにするよりはるかに確実である。

4.本当にお買い得なのか。

上にも書いたが、郵送料だけで1本1000円前後もする。1000円なら、探せば安ウマワインが手
に入るではないか。きょうびインターネットを駆使すれば、何もわざわざドイツから取り寄せなく
ても、またドイツワインでなくても国内で充分満足のいくワインが買えるはずだ。また、インポー
ターはドイツの付加価値税16.5%抜きの価格で仕入れることができるが、僕を経由する場合
は、EU居住者なので免税は出来ない。

5.品質管理は。

しっかりしたインポーターなら、定温輸送−リーファーコンテナ−で輸送途中の品質管理に気を
つけている。普通に郵送した場合、高温にさらされるかどうかは季節と運次第だ。通常便ならト
ラックと空輸だが、優先順位が航空便より落とされ、空港の倉庫で数日保管される。そこがど
のくらいの温度なのか、知る由も無い。数ヶ月はかかる海上輸送より、短期間であるとはいえ
郵送途中で高温のダメージをうけないとも限らない。とくに日本が暑い7月下旬から9月いっぱ
いは、ドイツ国内はともかく日本国内の配送車内の高温が心配だ。やはり、品質管理に気を配
っているインポーターが入れたワインを、信頼できるワインショップで買うのが一番確実だろう。
また、ワインがコルキーだった場合、良心的なワインショップなら長期的な視点からクレームを
受け付けてくれて、そこから信頼関係が生まれることだってあるかもしれないが、僕の場合補
償は無理である。



以上、思いつくままに挙げてみた。何事にせよ、お金と信用を同時に得るのは並大抵なことで
はない。

.......もっとも、こうしたリスクを承知したうえで、それでもあえてご希望でしたら、喜んでお役に立
たせて頂きます。

(2004年6月)



8. クネーベル醸造所からの訃報



モーゼル下流にあるクネーベル醸造所のラインハルト・クネーベルさんが亡くなった。
去る9月18日、自ら死を選ばれたそうだ。

『完璧なワインの質を絶えず求める事から来る心理的な重圧と高度の負担が、私の夫を、最
終的に自らの人生に終わりを告げる以外に、道を見出せなくしたのです。』

醸造所を共に経営して来た奥さんのベアーテさんは、顧客に宛てた手紙に書いている。

『それを実感を持って受け止めることは出来ませんし、その事実を認めたくないという思いで
す。私達家族は、亡くなった後も彼が身近にいてくれること、そして私達の彼に対する愛がいつ
までも絶えないということを、ただ心の中に抱いてこれから生きていきます。』

彼女は共に築いて生きた醸造所を、今後息子達と共に引き継ぎ、これまでの質の高いワイン
造りの維持に全力を尽くす所存だという。夫ならきっとこうしたに違いない、あの人ならどうした
だろう....。醸造学校に通った経験の無いベアーテさんは、ラインハルトさんの意見を心の中で
求めながら、あと1ヶ月ほどで始まる2004年産の収穫に立ち向かわなければならない。



見当外れかもしれないが、ラインハルト・クネーベル氏を憂鬱にさせたであろう一つの材料が、
9月8日に発売された雑誌『ヴァイン・グルメ』付録小冊子『ドイツトップクラスの醸造所700選』の
2003年産に関するコメントである。

『(クネーベル醸造所は)少し不調な時期にある....2003年産は調和を欠き、大雑把な味わいで
ある。辛口も甘口も前年産までの上等な仕上がりには及ばず、ありきたりの質に留まる。』

クネーベル醸造所だけでなく全般に辛口の評価が多い小冊子だが、骨身を削ってワインを造
っている身には相当応えたのかもしれない。

「2003年はあまりもに暑すぎたし、乾燥しすぎた」年だった、と2003年を振り返って同じヴィニゲ
ン村の同僚ヘイマン・レーヴェンシュタイン醸造所のオーナーは語っている。しかし5月末の新
酒試飲会で醸造所に行った際、クネーベル氏は「特別な事は何もしなかったよ。収穫を念入り
に選別したくらいで。」と、こともなげに言って、いつもの笑顔を見せていた。過ぎた苦労は特に
語らなくてもワインが全てを語ってくれる筈だという自信と、自らの作品へのゆるぎない信頼が
感じられた。

彼の亡くなる4日前、ベルンカステルで開催された競売会で、クネーベル醸造所のアウスレー
ゼは116ユーロ(フルボトル)の値をつけた。同時にリリースされた同じ畑の樽違いのアウスレ
ーゼが醸造所価格で19ユーロ(500ml)だったことと比べても、満足のいく価格だと思うのだが、
どんな思いで彼はこの結果を受け止めたのだろうか。今となっては、知る由も無い。



「ついこの間、ベルンハルト・ブロイヤーさんが亡くなったよ。」
僕が5月末に醸造所を訪れた際、彼はぽつりと語った。その時は、あのブロイヤー氏が亡くな
ったという衝撃が大きくて、その他には思いも及ばなかったのだけれど、既にその時からクネ
ーベルさんの心中には、死への思いが芽生えていたのかもしれない。

今僕の目の前には、2003年産のヴィニンガー・ロットゲンのシュペートレーゼ・アルテ・レーベン
が、グラスの中で静かな輝きを放っている。

ラインハルトさんの遺作となってしまったそのワインは、舌の上でどっしりとした重みを感じさせ
る濃厚な甘口で、彼が丹精込めて造ったことが如実に現れている見事なワインだ。毎年ここの
試飲会を訪れる度に、これ以上、どうやって質を向上させるのだろうかと思うのだが、それを確
実に成し遂げてきたのがラインハルトさんだった。

「やぁ、よく来たね。」
1999年6月、初めてこの醸造所を訪れた時、ラインハ
ルトさんはそう言って気さくに握手を求めてくれた。以
来顔をあわせる度に、いつもの宇野重吉を思い出させ
る笑顔を見せてくれていた。その笑顔にも、もう出会う
ことが出来ない。人間である以上、いつかは永久の別
れを告げざるを得ないのは知っているものの、その唐
突な訪れには、いつも心を乱される。

ため息をつきながら、彼のワインを飲んでいる。飲む
ほどに見事なワインだ。ヴァイン・グルメのジャーナリス
トは一体何を試飲したのだろう?彼のワインは彼の野
心であるとともに、彼の命の滴でもあったのだ。丹精こ
めたワインを否定されること、それは彼の全人格を否
定されるに等しかったのかもしれない。

舌の上で、彼のシュペートレーゼは長い余韻を残している。たかがワインジャーナリストにけな
されるくらいで、何も死ぬことはないじゃないですか。ねぇ、クネーベルさん。違いますか?違い
ますか.......?

(2004年10月)





9. 新ドイツワイン事情


最近たまたま目にとまった新聞・雑誌の記事やドイツのインターネットサイトの情報を自分なりにまとめてお伝えしま
す。今回は赤ワインと代替コルクについて、です。


(1) ラインラント・ファルツ州、赤ワインの産地に? 2004年収穫の三分の一を赤が占める


ドイツ全国に13あるワイン生産地区のうち、ラインヘッセン、ファルツ、モーゼル・ザール・ルーヴァー、ナーエ、ミッテ
ルライン、アールの六地区が属するラインラント・ファルツ州では、2004年産の全収穫の約3分の1にあたる2,300万
リットルを赤ワイン用果汁が占めた。これは2003年の1,600万ヘクトリットルと比較しても143%の大幅増である。

赤ワインの産地のトップはラインヘッセン、続いてファルツ。この数年で従来ミュラー・トゥルガウやケルナーといった量
産型の白ワイン品種が、ドルンフェルダー、シュペートブルグンダー、レゲントといった赤ワイン品種に植え替えられて
きた。

モーゼル・ザール・ルーヴァーでも同じ傾向が認めらる。1987年までは生産の100%が白ワインだったのが、1993年に
62haの赤ワイン用葡萄の栽培が公認されたのを皮切りに、1997年には216ヘクタール、現在では774ヘクタールと増
加を続けている。2004年の赤ワイン用果汁の生産は総生産量の8.6%に相当する87,000ヘクトリットルに達した(リー
スリングは570,000ヘクトリットル)。赤ワイン用品種のうち最も生産量が多いのはドルンフェルダー、次いでシュペート
ブルグンダーである。赤ワイン用品種の栽培面積が増える一方で、モーゼル全体の栽培面積は8,941ヘクタールと
10年前に比べて約3割減少している。

モーゼルを代表する高品質なワインはリースリングであることに今後も変わりは無いだろうが、主にドイツ国内で消費
される日常用ワインに赤が増える傾向にあるといえそうだ。夕食にはスーパーで買った冷凍ピザ(1,99ユーロ,約280
円)をオーブンであたため、一本3ユーロ(約420円)のドルンフェルダーで一杯。これがドイツで定着しつつある新しい
ライフスタイル....なのかもしれない。



(2)コルク抜きはもういらない?普及しつつある王冠、スクリューキャップ


初めてワインを開けようとした時、ぴっちりと嵌ったコルクをどうやって抜いたものか、ひとしきり悩んだ。やがてコルク
抜きの存在を知ったが、酒屋でもらった安物のコルク抜きは、これが本当にコルクを抜くための道具なのか不信を抱
きたくなるほど扱いにくかった。なんとかねじ込み、満身の力を込めて引っ張ったあげく、抜けた瞬間に赤ワインが飛
び散ったり、コルクが途中で折れたことが何度あったことか。しまいにはコルクを抜くのがめんどうで、ワインを避けて
いたこともある。

一般にはコルクはワインが熟成するのに必要な微量の酸素を通過させる唯一の素材であると言われている。しかし
慣れるまで開けにくいこと以上に、コルク臭と言われる香りがワインにつくことが問題だ。それは乾いた木材に似た匂
いで、かすかで判別の難しいものから明らかなものまで程度に差があるが、味においても多かれ少なかれ果実味の
伸びやかさを阻害するとともに、乾いたような渋みに似た印象を与える。一説によれば全体の5%〜10%のボトルでコ
ルク臭がワインに付いているというが、被害にあっているかどうかは開けてみなければ判らない。コルク臭のするワイ
ンは言ってみれば不良品だ。しかしクレームしても取り替えてもらえるかどうかはその判別が難しいこともあり、お店
の人の感覚と良心次第である。


そんな厄介者ながらも欠かせなかったコルクだが、次第に代替品を採用する醸造所がドイツでは増えつつある。ザー
ルのヴァインホフ・ヘレンベルク醸造所(www.lochriesling.de)では2004年産からQbAからトロッケンベーレンアウスレ
ーゼに至る全てのワインを王冠で封をしたボトルに詰める。王冠といっても普通より厚手のステンレスで、合成樹脂の
内張りが施されている。オーナーのロッホ氏の意見では、コルクを通してワインが呼吸するというのは伝説に過ぎず、
瓶内に残されるわずかな空気で熟成には充分なのだと言う。きちんと熟成する上コルク臭のリスクも無く、普通の栓
抜きで容易に開けることが出来る王冠は、ワインにとっても消費者にとってもメリットのみをもたらすと彼は信じてい
る。ラインガウのクエアバッハ醸造所(www.querbach.com)が特許を持つこのワイン用王冠は、既にいくつかの醸造所
で採用されているが、10年以上の熟成に対する影響が明らかになるのはもうしばらく先である。

王冠に次いで注目を集めているのはオーストラリアで開発されたワイン用スクリューキャップで、ワインとの接触面に
は錫の内張りが施されている。ルーヴァーのライヒスグラーフ・フォン・ケッセルシュタット醸造所では、2004年産から
畑名を名乗らないワインにこれを採用する。また、ザールのヴィルメス・ヴィルメス醸造所の長女でガイゼンハイム高
等専門学校で醸造学を学んだカロリン・ヴィルメスさんは、卒論のテーマにコルクに代わるワイン用ボトルの栓が消費
者に与える印象を取り上げた。ワイン商やレストラン関係者から聞き取り調査した結果、コルクの代替品として最も好
印象を与えるのはスクリューキャップであるという結論に達し、実家の醸造所で採用を決めた。モーゼルのフリッツ・
ハーグ醸造所でも、オーストラリアとニュージーランド向けにスクリューキャップを用いた瓶詰めを行っている。



この他天然コルクの代替として、合成樹脂製のコルクが既に普及している。しかし天然コルクに比べると弾力性にや
や欠ける為、瓶詰めしたワインがことごとく液漏れをおこしたことがある、とミッテルラインのラニウス・クナブ醸造所の
ご主人は悔しそうだった。一方ラインガウのシュロス・フォラーツ醸造所ではガラス製の栓に合成樹脂のリングを施し
密閉度を高めた、開閉の容易な栓を採用し話題となった。

このように天然コルクに替わる栓が普及しつつあるとはいうものの、大半は長期熟成を要しないワインに採用される
に留まっている。高品質なワインにはやはり高品質な天然コルクが好まれており、それは熟成のロマンとともにこれ
からも変わる事はないだろう。

(2005年1月)




10. 『天然純粋』とドイツワインの現在


先日とある醸造所を訪れた際、日本のインポーターは天然コルクをしたボトルでないと受け付けないという話を聞い
た。ドイツ国内や他国向けには合成樹脂のコルクを使っているワインでも、日本向けには特別に天然コルクにするそ
うだ。安物に見えるのを避けたいのもあるだろうが、『天然純粋』たるべきドイツワインに合成樹脂のコルクを用いるの
はそぐわない。そんな配慮が働いているのかもしれないな、と思った。

天然純粋を意味するナチュアラインNaturreinの語は既に19世紀から存在するが、1930年施行のドイツワイン法で的
に規定された。具体的には補糖Verzuckerungされていないワインを意味するが、1971年の法改正で同様の意味を
持つ高品質肩書き付きワインQualitaetswein mit Praedikat(略称QmP)のカテゴリーに吸収され、それ以来『ナチュ
アライン』の語はラベル上に表記することを禁じられている。なぜなら、ほとんど全てのワインは醸造過程で糖分以外
にも二酸化硫黄(亜硫酸)を用いているため、『天然純粋』という表記は事実に反するとともに消費者の誤解を招く為
だ。念のため申し添えると、補糖及び二酸化硫黄の添付は、一部ビオワインを除いて世界のどこの産地であろうと普
通に行われている。また、旧ドイツワイン法が施行された1930年当時、『純粋』であることはイデオロギーでもあった。
純粋なアーリア人こそドイツ民族であり、そうでない人々は差別・迫害された。1971年の法改正で『ナチュアライン』
の表記が廃止されたのも、EU全体のワイン法との整合とともに、恐らくそうした歴史的事実に対する反省と政治的配
慮があったのではないかと思う。

一方、現代の優れた造り手の関心は天然純粋にこだわってワインを造ることではなく、いかに畑が葡萄にもたらした
味をワインに表現するかである。その方法論の一つがビオやエコをはじめとする有機農法によるワインだが、彼らの
意識は自然が本来持っている生命力を葡萄栽培に生かすことであって、天然純粋はその結果でこそあれ、目標では
ない。ステンレスタンクの普及に伴う発酵温度のコントロール、それぞれの産地に適した培養酵母の開発、品質向上
の為の面積あたりの生産量の削減といった醸造技術と醸造哲学の革新をはじめ、ドイツワインをとりまく環境はここ
20年で大きく様変わりしつつある。



ドイツワインの戦後から現在へ至る歩みを知るには、岩本順子(著)『ドイツワイン 
偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)を読むといい。前作『おいしいワインが出
来た!』でケラー醸造所の一年を生き生きと描いた著者が、今度はドイツを代表す
る三人の造り手たち−ミュラー・カトワール醸造所の前ケラーマイスター、ギュンタ
ー・シュヴァルツ氏、カルトホイザーホフ醸造所の現ケラーマイスターであるルート
ヴィヒ・ブライリング氏、そしてエゴン・ミュラー醸造所の前ケラーマイスター、ホルス
ト・フランク氏の人生を通して、ドイツワインの今昔をしっかりと捉えている。

「ふつうはほんのちょっと濁っているものなのに、1959年のワインに限って、何も
しないうちから見事なくらいに透明だったんだよ」ファルツのミュラーカトワール醸造
所で40年間ケラーマイスターを勤め、醸造所を第一線に押し上げたハンス=ギュ
ンター・シュヴァルツ氏はそう語ったという。また、現在は気品に満ちた甘口で著名
なエゴンミュラー醸造所も、1930年代から1950年代にかけては主に辛口ワインが
生産されており、甘口ワインは試行錯誤の段階だったと聞けば、「え、そうだった
の?」と思わない人は少ないに違いない。「ワインの発酵をタイミングよく止めるこ
とができ、甘味と酸味のバランスがとれたワインができれば、それはとても幸運な
ことだった。例えばパパの1949年のワインは、それがとてもうまくいったケースだ
ったんだよ」現オーナーのエゴン・ミュラー4世はそう証言している。著者が直接取
材して聞いた情報を、時代背景とともにそれぞれの人生とオーバーラップさせる叙
述は実に生き生きとして説得力がある。



「多くのケラーマイスターが、そしてさまざまな分野の職人が、師と仰ぐ人を持ち、師に続こうとする。伝統はあたかも
継承されているかのように見える。しかし、時の流れとともに伝統技術はその姿を変えていく。伝統というものは、実
は常に破られ、刻々とその姿を変えているのだ。」

筆者のこの一節は、僕がこのHPを通じて訴えたいことでもある。ワインは人が造るものであり、彼らは競合の中で生
き残っていかねばならない。自らの経験を通じて守り続けるべきことと、移り変わる環境の中で積極的に変えるべき
こと見抜いて実践する醸造家の意思の強さが、これからも偉大なワインを造り続けて行くことだろう。岩本氏のこの本
が前著とともに広く読まれ、とりわけ日本のワイン愛好家と専門家のドイツワインに対する先入観を変えていくことを
願っている

岩本順子著 『ドイツワイン 偉大なる造り手たちの肖像』 新宿書房 2004年  定価2000円(税別)

(2005年1月)




11. ドイツワイン法と畑の個性


ドイツワインをわかりにくくしている原因のひとつは、畑の呼称ではないだろうか。
村名の後に畑名が続き、長たらしく見える上に、時々ひどく読みにくい髭文字で書かれていたりする。ワイン通や地
元民なら所在地の見当はつくかもしれないが、約2600あるという畑名から味の見当をつけることは至難の技である。
それをさらにややこしくしているのが、1971年のドイツワイン法によるアインツェルラーゲ(単一畑)と複数の村に跨る
グロースラーゲ(総合畑)である。

例えば
ピースポーター・ゴルトトレプヒェン=単一畑 
ピースポーター・ミヒェルスベルク=総合畑
といった具合である。

ゴルトトレプヒェンは湾曲するモーゼル河をかかえこむようにして広がる一つながりの畑だ。ところが総合畑の呼称で
あるピースポーター・ミヒェルスベルクには、ピースポート村以外の近隣の村にある畑もこれを名乗ることが出来る。当
然その土壌も立地条件も様々で、洪水になると水没しそうな低地にある畑もあれば、川を遠く離れて山を越えた所に
ある畑もある。つまり、総合畑の名前から畑の個性を語ることは不可能であり無意味なのだ。生産者や販売する立
場からすれば、合法的に有名な畑に似た名前を名乗ることが出来るというメリットがあるが、消費者にとっては誤解を
招くもとでしかない。



なぜ畑の個性を軽視する呼称システムが成立したのか、歴史を振り返ってみよう。1950年代から60年代にかけて、
ドイツでは戦後の経済復興が進むとともに急速な経済成長を遂げた。当時は口当たりのいい甘口が大いにもてはや
され、供給が需要に追いつかないほどだったという。
『ワインが足りない!葡萄を植えよう!』
という中小農民からワインを買い上げる大手醸造所の広告が地元紙に掲載され、葡萄は立地条件におかまいなく至
るところに植えられた。しかもそれが確実に利益をもたらし、副業の葡萄栽培で家を新築出来た所帯も多かったそう
だ。また、当時はどんな土壌・立地条件であっても、条件にあった品種を選びさえすれば高値で売れるワインが出来
た。そしてところかまわず葡萄を植える様な生産者は、質よりも量、手間のかからず早熟する交配品種を選択した。
その結果、ドイツワインは多様な品種で溢れた。一見するとバラエティ豊かで楽しそうに見えるが、大半の交配品種
によるワインは土壌の個性と品種の個性が組み合わさって発揮される魅力から程遠いものである。

やがて1960年代末から価格は下落をはじめるが、丁度その時期に施行されたのが1971年のワイン法だった。本来
葡萄栽培には適さない畑からのワインを売りやすくするため、上等な畑と紛らわしい呼称を名乗ることが許されるとい
う栽培奨励策がこの規定の背景にはあった。というのも、栽培面積が増えればトラクターや農薬の売り上げを伸ばす
ことが出来、関連業者は潤うからだ。さらに収穫時の糖度さえ−ワインの品質を決める要素は他にもあるにもかかわ
らず−基準を満たしていれば、高値で売れる格付け−シュペートレーゼ、アウスレーゼなど−を名乗ることが出来ると
いう規定もまた、熟すのは早いが品のない交配品種を普及させた。ヘクタールあたりの収穫量の上限は一応規定さ
れているが、その約半分でようやく土壌の個性が発揮される味になるといわれている。やがて70年代から供給過剰
が始まり、市場価格は崩壊をおこし、82年に底値に達した。80年代を通して葡萄産業はゆっくりと没落への道をたど
り、収益のあがらない多くの葡萄畑は放置され、荒れるに任され、現在に至っている。



こうした状況に対する改革の動きは、醸造所団体の自主規制のかたちで80年代後半から現れているが、近年VDP
高品質ワイン醸造所団体を中心に葡萄畑の格付けと呼称制度の見直しが行われた。

『グローセス・ゲヴェクス』、『エアステス・ゲヴェクス』、『エアステ・ラーゲ』

と呼ばれる畑の格付けがそれだ。全国レベルで統一がとれておらず、地区によって差があるのがややこしいが、ドイ
ツワインの没落に歯止めをかけるコンセプトとの期待が高い。ちなみに、『エアステス・ゲヴェクス』はラインガウの、
『エアステ・ラーゲ』がモーゼルの、『グローセス・ゲヴェクス』がその他の地区の優れた畑に植えられた伝統的品種
から低収量で仕立てたワインに対する呼称で、いずれもブルゴーニュの『グランクリュ』に相当する。また、モーゼル
以外は格付け呼称付きワインを辛口に限定しているのに対し、モーゼルは伝統と産地の個性を守るとの見地から甘
口にも格付け呼称を適用し、カビネット、シュペートレーゼなどの肩書きと併記する。
(格付けの詳細はwww.vdp.deを参照願います。)



ドイツにおける葡萄畑の格付けは実は目新しいものではなく、200年以
上昔から行われている。

モーゼルでは1780年にトリアー選帝侯の命により行われた二段階の格
付けが最初だ。1804年にナポレオン政権のもとで10段階に細分化され
たが、プロイセン政府の委託により1868年に作成された格付け地図
(右図参照)では、畑に課せられる固定資産税により葡萄畑は3段階に
格付けされ、それぞれ色分けされて表示された。地図作成の目的は租
税徴収とともに、畑の購入を考えている醸造所やワイン商に役立てられ
ることだったという。そしてこれが現在、VDPモーゼル・ザール・ルーヴァ
ーによる格付けのもととなっている。1971年に廃止された畑の小区画
の呼称や、現在では無名だが当時は最高ランクに格付けされていた畑
などもあり、とても興味深い。

ちなみに、オリジナルはトリアー市立文書図書館Stadtarchiv und
Stadtbibliothek Trier, 所蔵番号Signaturen Kt 3/105及びKt 3/105a。
1990年代に復刻され、2004年に再度復刻版が発行された。トリアーの
書店インターブックwww.interbook.deで入手できる(35Euro)。

右は1868年の格付け地図の一部で、ベルンカステルからヴェーレン。
一つながりの斜面の中でも細やかに格付けされており、区画ごとにワイ
ンの品質評価が緻密に行われていたことを示している。現在ではこうし
た小区画を見直し、通常の畑名の後に続けてあえて表記する例も一部
に見受けられる。ドイツワイン法では禁じてはいるが。




「ドイツワインは甘いだけ」「初心者向き」という意見は、現在のドイツワインに対する認識不足でしかない。
土壌と畑の個性を充分に引き出すことのできる伝統的品種と、造り手の真摯な取り組みの成果が、近年英語圏で
『リースリング・ルネッサンス』として注目を集めつつある。カリフォルニアのワイン産地を舞台にした映画『サイドウェ
イ』で主人公のピノ好きのワイン通マイルスは、メルロとシャルドネは基本的に嫌いだが、リースリングには興味をひ
かれる、と言っていた。繊細でニュアンスに富むピノが好きなら、格付けされた畑のリースリングもきっと面白いはず
だ。ドイツでも高めの価格設定(約20Euro前後から=2700円位)だが、自己主張のはっきりした個性的なワインが多
い。試飲会などで見かけたら一度試してみていただきたいと思う。

(2005年3月)





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