「他に何か質問は?」
教授の問いかけに、学生は沈黙で答えた。
「では諸君、よい春休みを。」
ドイツの習慣で、拍手の代わりに拳で机を叩く音が、セミナールームに響く。
学期中の重圧から解放され、ほっとした気分でノートを鞄に仕舞い込み、翌日から僕はさっそ
く、醸造所めぐりに出かけた。

今回は、北から南へと、ドイツのワイン生産地帯を縦断するルートを選んだ。
辿った経路は、アール、モーゼル、ファルツ、バーデン。訪問した醸造所は、合わせて8軒。

2月下旬、風は冷たく、午前中晴れたかと思えば、午後に雪がちらつくか雨が降る日が多く、
天候には恵まれなかったけれど、振り返ってみると、これまでのツアーの中で、一番充実して
いた。予約をすっぽかされた所も無く、飛び込みでも、快く試飲させてくれたところもあった。

僕は、一介のワイン飲みに過ぎないから、ワインさえおいしければ、本来それで事は足りる。に
もかかわらず、あつかましく醸造所まで押しかけて、試飲させてもらって、多少のワインは買う
にしても、貴重な時間を割いてもらうだけの価値があるのかどうか、時々疑問に思うことがあ
る。

だから、この旅行記は、ある意味では、親切に応対して頂いた、醸造所の人に対する、僕の罪
ほろぼしのようなものである。まだ日本であまり知られていないけれど、業を尽くし、心をつくし
てワイン造りに打ち込んでいる、ドイツの醸造所のことを、拙文を通じてではあるけれど、多少
なりとも知ってもらえれば、と思う。







ヨーロッパ最北の赤ワイン中心のワイン生産地帯、アール渓谷は、旧西ドイツの首都ボンの保
養地だった。車か電車でボンから1時間前後、レーマーゲンから渓谷に入ると、辺りは急にひ
なびた山奥の趣になる。葡萄畑は、急傾斜に刻み込む様に造られた、段々畑。葡萄の木や支
柱が、冬枯れて茶色の景色の中に無数に林立している様子は、まるで針山の様だ。剪定と、
針金に枝を結ぶ作業をする人が、ちらほらと見えるのだが、万一足をすべらせ、下の畑に落ち
たりでもしたら、串刺しになりはしないかと想像すると、ちょっと気分が悪くなった。

アールの中心地は、アールヴァイラーという、中世の面影をそのまま残した、こぢんまりとした
田舎町である。全長25kmの渓谷唯一の繁華街―と言っても、せいぜい50mばかりの商店街
だが―があり、近隣の村の人々は、日常の買い物をここですませている。





Weingut J.J. Adeneuer (Ahrweiler)
Email: JJAdeneuer@t-online.de



最初の訪問先、J.J.アデノイアー醸造所は、この町のはずれにあった。ゴー・ミヨのドイツワ
インガイドによれば、直売は午後6時まで。あと1時間ある。しかし予約を入れていないから、
門前払いを食らっても、文句は言えない。

恐る恐る呼び鈴を押すと、しばらくして、中から人が出てきた。ドイツ人だから、背が高い。いぶ
かしげな視線で、僕たちを見下ろしている。
「何だ?」
「あの〜、試飲させて頂きたいのですが。」
「インポーター関係かね」
「いえ、ただのワイン好きなのですが…。」
彼の顔が、一瞬不機嫌になったのは、気のせいだろうか。
「ワイン好きね。まぁ、入りなさい。」
ラッキー、である。



いつも僕が参考にしている(といっても、全面的に信頼している訳ではないけれど)、ゴー・ミヨ
のドイツワインガイドでは、葡萄の房5つが最高評価で、房3つ。500年に亘る家族経営の醸造
所で、15年前に、現当主のフランクとマーク・アデナウアー兄弟が経営引き継いでから、着実に
品質を高めてきた。アールにとって難しい年だった2000年も、上々の出来栄えだったという。

難しい年に、良いワインを造るのは、あたりまえだけど、容易なことではない。
2000年の問題は、秋の雨だった。早い芽吹き、暑い夏で早めに熟し始めた葡萄が、収穫前に
降り続いた雨で痛み、相当な割合が、使い物にならなくなった。畑に入ると、酢の臭いがしたほ
どだったそうだ。

この年、高品質のワインを目指す作り手は、徹底的な選果を行った。僕たちが耳にした限りで
は、恵まれた年だった1999年の三分の一から四分の一のワインしか出来なかったという。つま
り、醸造所の収入もそれだけ減ってしまうのだが、彼らは、どんな仕事でもリスクはつきものだ
し、自然を相手にする仕事に携わっているからには、当然覚悟しなければならない事だよ、と、
こともなげに語った。



さて、試飲させてもらったのは、次のワイン。
1. 2000 フリューブルグンダー QbA
2. 2000 ヴァルポルツハイマー ゲアカマー シュペートブルグンダー QbA 辛口
3. 2000 J. J. アデノイアー No.2 シュペートブルグンダー QbA 辛口
4. 2000 J. J. アデノイアー No.1 シュペートブルグンダー QbA 辛口
5. 2000 ノイエンアーラー ゾンネンベルグ フリューブルグンダー QbA 辛口

フリューブルグンダーは、赤ワイン用葡萄の品種で、別名クレフナーとも呼。シュペートブルグ
ンダーよりも3週間ほど早く収穫できるというメリットがあるが、反面、病気や黴に弱く、痛みや
すいという、デリケートな品種である。

1番のフリューブルグンダーは、ステンレスタンクで発酵後、1000リットル入りの木樽で熟成さ
せたもの。ステンレスタンクは温度調整可能で、自動的に果帽を攪拌し、下に沈めてくれるの
で、作業は容易である。比較的多量に造るワインに用いる。

一方、2番以降のワインは、伝統的な開放桶で発行を行った。桶の材質は必ずしも木とは限ら
ず、コンクリートだったり合成樹脂だったりもするが、大事なのは、浮いてきた果帽を、柄のつ
いた板で、手作業で沈めることだ。つまり、「手作り」のワインなのである。

発酵は約20℃で、平均すると大体6から8日間で終わる。だが、それも果汁の状態と性格で、
急速に発酵が進んだり、ゆっくりのんびり、長々と発酵を続けたりしているものもある。

発酵がおわると、ワインは樽に移される。樽は、約1000リットル入りのフーダーと、約300リット
ル入りのバリックに分けられる。フーダーは、長年使うので、樽のワインに与える影響は穏や
かなのだが、バリックは使用年数によって、ワインに与える影響が非常に大きい。だから新樽
はドルンフェルダーの濃厚なワインに用い、複雑で繊細なニュアンスが持ち味のシュペートブ
ルグンダー(フランスではピノ・ノアール)には、2,3年落ちの、樽味の落ち着いたものを、とい
った具合に使い分ける。樽で寝かせる期間は、作り手によって6ヶ月から12ヶ月前後と、まち
まちである。

バリックでの熟成が終わると、ワインはアッサンブラージュされる。どの樽のワインを、どういう
割合で混ぜるか、造り手の繊細な感覚と、腕の見せ所である。配合が決まると、その量に応じ
て一度ステンレスもしくは合成樹脂の数千リットル入りのタンクに移し変えて、数日間味を馴染
ませ、均一にする。そしてようやく、瓶詰めされる。

今でこそ、アール渓谷の造り手たちの間で、バリックの使用はなかば普通のことになっている
が、その経験は、実はまだ20年に満たない。先鞭をつけたのは、デルナウ村のマイヤー・ネ
ケル醸造所の現当主、ベルナー・ネケル氏である。もともと体育と数学の教師をしていたのだ
が、実家の経営する醸造所を引き継いだのが20年前。当時、保養に訪れる観光客向けの、
軽く口当たりの良い平凡なワインが、渓谷の醸造所の生産の主流だったのを、バリック仕立て
の高品質な赤ワインの産地へと変わるきっかけを作った。

マイヤー・ネケル醸造所の後、今度は元税理士をしていたウォルフガング・ヘーレ氏が、醸造
所の娘と結婚して、ワイン造りを始めた。それがアール渓谷のトップ醸造所のひとつ、ドイツァ
ーホフ・コスマン・ヘーレ醸造所である。

2002年度版ゴー・ミヨのドイツワインガイドでは、この2つの醸造所が葡萄の房4つで、アール
渓谷の双璧と評価されている。そのどちらも、もともと醸造とは畑違いの仕事をしていた人間
が、ワイン造りに取り組んだ結果、醸造所に新しい息吹を吹き込み、評価を高めた点で共通し
ていて、面白い。さらにまた、僕たちはモーゼルでも、醸造とは関係の無い家庭から、ワイン造
りを始めて、今、新しい風を起こそうとしている人と出会ったのだが、それはまた改めてご報告
する。



話をアデノイアー醸造所のワインに戻そう。
1.のフリューブルグンダーは、フルーツというより香水に似た、揮発性の甘い香り。味もフルー
ツと柔らかいタンニンが、うまくバランスしている。

2.のヴァルポルツハイマー・ゲアカマーは、単独で名前を持つ畑としてはヨーロッパ最小の、0.
68ha。アデナウアー醸造所の単独所有。南向きの急傾斜で、真夏は黒味を帯びた細かなシー
ファー岩が熱を吸収して、地表温度は摂氏70度に達する。この畑だけでなく、アール渓谷の
方々の畑で、真夏の真昼は猛烈な暑さとなるため、到底仕事が出来る環境ではない、という。
ワインはまだ若く、舌の端にタンニンが残る。綺麗なフルーツがさらりと流れ、アフタに気品の
ある酸味が長く残る。

3.と4.は、シュペートブルグンダーをバリックで熟成させたものを、アッサンブラージュ違いでNo.
1、No.2としたもの。醸造所の人は、No.1のほうが、質が上だというけれど、僕には質というより
も、性格の違いのように感じられた。No.1のほうが確かに、スケール感はあり、香りも味もスウ
ッと広がる感じ。でもNo.2もまとまりがよく、やや濃いめで、フルーツのこってり感が美味しい。

5.はフリューブルグンダーのバリック仕立て。小樽による酸化熟成がすすんだのか、あるいは
瓶を開けてから日が経っているのか、やや熟成したかんじ。すこしクセのあるエレガントな味。

応対していただいたのは、オーナーの一人マーク・アデノイアー氏だった。彼は日本に一度招
待されたのだけれど、丁度、秋の収穫の時期で、忙しくて、残念だけど行けなかったそうだ。僕
たちは、ごくささやかな本数を購入して、試飲させてくれた親切に感謝しながら、醸造所を後に
した。

その夜は、アールヴァイラーの小さなワイン農家の経営する居酒屋で、ゆっくり飲んだ。夏場は
多くの醸造所が、シュトラウスヴィルツシャフトといって、夏の数週間だけ営業する居酒屋を開
店しているのだが、あいにく今はシーズン・オフ。200cc入りのレーマーグラスに注がれた、軽く
シンプルな赤ワインをすすりながら、アールを訪れるなら、やはり夏の方がいいな、と思った。








Weingut Deutzerhof Cossmann-Hehle (Mayschoss)
www.weingut-deutzerhof.de



翌朝、マイショース村のドイツァーホフ・コスマン・ヘーレ醸造所に向かう。その日もどんよりと肌
寒く、渓谷を上流から下流へと、強い風が吹き抜けていた。

マイショースの駅に到着し、さて、どちらへ向かったものかと頭をめぐらす。大抵、醸造所の住
所には、通りの名前と番地が書いてあるものなのだが、ここのはどの資料にも、醸造所のHP
にも、村の名前しか書いていなかった。
『ワイングート ドイツァーホフ D53598 マイショース』。
それだけ小さな村なのかな、と思って納得していたら、これがどうして、百世帯以上は家が立ち
並び、一体どちらに向かったものか、最初は途方に暮れてしまった。



この醸造所の歴史は、1574年に遡り、現在で12世代目にあたる。オーナー兼ケラーマイスター
(醸造責任者)のウォルフガング・ヘーレ氏は、もともと税理士だったのだが、醸造所の娘ヘラ
夫人との結婚を機に、ワイン造りに携わるようになった。

恐らく近年新築したらしい、温室のようなガラス張りの試飲室に通されると、携帯電話で、ずっ
と商談らしい話をしている男がいた。ワインを仕入れに来た酒販関係の人かと思ったら、彼が
ヘーレ氏その人だった。僕たちとは軽く挨拶しただけで、人となりはよく判らないけれど、土と
か、農業とは縁の無さそうな、やや内向的な雰囲気を、漂わせていた。

僕たちの相手をしてくれたのは、ルーシャウ氏という、もとハイデルベルクのルネッサンスホテ
ルでソムリエをしていた人。ワイン造りについての理解を深める為、この醸造所でかれこれ1
年間働いている。試飲させていただいたワインは、次の通り。

1. 2000 ドイツァーホフ シュペートブルグンダー QbA 辛口 
2. 2000 セレクション "カスパーC." シュペートブルグンダー QbA 辛口 
3. 2000 セレクション "アルフレッドC." ポルトギーザー QbA 辛口
4. 1997 ドイツァーホフ ドルンフェルダー QbA 辛口
5. 2000 セレクション "カタリナC." リースリング QbA 辛口
6. 2000 アルテンアーラー エック リースリング アイスワイン

1.は、言ってみればこの醸造所にとっての、フツーの赤なのだけれども、既に充分果実味が濃
い。飽きることなく、ずっと美味しく飲める。ステンレスタンクで発酵した後、容量1000Literのフ
ーダー樽で熟成。

2.は非常に素晴らしい。甘い熟したベリーの香りが、グラスいっぱいに溢れて、味もビューティ
フル。シュペートブルグンダーの古木から、30hl/haの収穫。伝統的な開放桶で、手作業で果帽
を沈めながらの発酵後、2,3年目のバリックで熟成。

"カスパーC."の"カスパー"は、この醸造所を1574年に創立した人の名前。"C"は苗字である"
コスマンCosmann"のC。3.の"アルフレッド"は先代のオーナーの名前で、このワインに用い
ているポルトギーザーの葡萄が、彼が生まれた年、つまり74年前に植えられたことに因んでい
る。畑の面積は、わずかに200平方メートル。600リットル、つまりバリック2樽ぶんしか作れな
い。

大抵のアールのポルトギーザーは、色も味も、うすっぺらなものが多いのだけれど、これは別
格。それでも、ややメリハリに欠けるきらいがあるのは、品種の個性というより仕方ないのかも
しれない。ちなみに、これもバリック仕立て。

4.のドルンフェルダーは、1997年産で、アールの当たり年のワイン。4年の熟成を経て、どっしり
と腰の据わったフルーツから、オリエンタルなスパイスの香りが、クリアに張りつめたような感じ
で立ち昇る。オーナーの奥さんの、お気に入りのワイン。残念ながら1997は売り切れ。新樽使
用というけれど、他のバリックを用いたワイン同様、樽の気配はあまりない。

試飲した限りでは、この醸造所は樽の使い方が、非常に上手いという印象を受ける。ワインの
タイプによって、巧みに大樽、小樽、新樽、古樽を使い分けて、さらにアッサンブラージュで、最
終的に調和のとれたワインに仕立てている。どのワインも非常にバランスが良く、適度な濃さ
があり、よく出来ている。

5.のリースリングは、たっぷりとしたフルーツ感の辛口。リースリングは約1haの、シーファー(ス
レート岩)土壌の畑に植えている。6.は2000年のクリスマス前に収穫したアイスワイン。マンゴ
ーの甘み、長いアフタ。でも、モーゼルにも、これくらいのアイスワインはあるなぁ、と、つい思っ
てしまう。

最後にケラーを見せてもらった。テニスコート1面分くらいの、こぢんまりとした部屋に、フーダ
ーとバリックが並んでいる。「小さいけど、上等 Klein aber Fein」な醸造所なんだよ、と、ルーシ
ャウ氏は笑った。


ドイツッアーホフ醸造所訪問記2003.5はこちら






Weingut Meyer-Naekel (Dernau)
www.meyer-naekel.de



午後、デルナウ村のマイヤー・ネケル醸造所に向かった。こちらは、ちゃんと通りの名前まで分
かっていたので、迷うことなく辿り着いたはいいものの、ワイングートの表札が無い。VDP加盟
醸造所の場合、たいていは玄関の近所に、鷲がモチーフのプレートが、誇らしげに貼り付けて
あるのだが、どこを探しても無い。通りの名前と、番地は合っているので、ここに間違いは無
い。しかし、玄関のブザーには、『Weingut』の文字はなく、オーナーの家族の名前が書かれて
いるだけだった。

予約を入れた時刻まで、通りのむこうに聳える丘一面のブドウ畑を、しばらく眺めていた。やが
て時間になったので、思い切ってブザーを押す。しばらくたっても、誰も出てこない。これは…も
しかして、やられたかな?ひさびさの大技、肩透かし一本。不安が押し寄せたが、とりあえず、
他の入り口は無いかと、角を曲がってしばらく行くと、よかった、直売試飲所の入り口があっ
た。やれやれ、である。しかし直売試飲所とはいえ、そもそもここに入るのに、予約が必要なの
だ。



オーナーのベルナー・ネケル氏は、1年半の短い間だが、ケルンの高校で数学と体育を教えて
いた。学校の先生なら、夏休みもあるし、自由に出来る時間が多いから、実家のワイン造りも
充分手伝えるだろう、と考えて教職についたのだが、それが甘かった。授業以外にも、会議や
生徒の両親との面談やら何やらで、到底ワインどころではない。結局、仕事を辞めて、1982年
に醸造所を両親から引き継いだ。当時所有していた葡萄畑は2haほど。ワインの大部分は、家
族が経営する居酒屋で飲まれていた。

翌1983年、彼はケラーにバリックを導入した。アールで最初の、バリックである。しかし2年目の
1984年は天候に恵まれず、悪夢のような年となる。「誰か6本入りのカートンを一箱買ってくれ
たら、跪いて拝みそうなくらいだったよ」という。やがて1988年、ようやく日の目を見るときが来
た。とある専門誌で、ドイツのベスト100ワインに、彼のバリック仕立ての赤ワインが、ランクイン
したのである。

1994年にフォーブス紙が、『ドイツのベストワイナリー25』のひとつにノミネートしてからは、ほと
んど毎年の様に、主としてガストロノミーやワイン専門誌で、ドイツのトップ醸造所、それもバリ
ック仕立て赤ワインのスペシャリストとしての評価を得ている。詳しくは、醸造所のHPを参照。
受賞の数を数えてみたが、途中でめんどうくさくなってしまった。



さて、試飲させてもらったワインは、以下の通り。
1. 2000 マイヤー・ネケル Nr.1 シュペートブルグンダー "イリュージョン" Deutscher
Tafelwein 辛口
2. 2000 フリューブルグンダー QbA 辛口
3. 2000 シュペートブルグンダー QbA 辛口
4. 2000 "G" シュペートブルグンダー QbA 辛口
5. 2000 "ブラウシーファー" シュペートブルグンダー QbA 辛口
6. 2000 "S" シュペートブルグンダー QbA シュペートブルグンダー辛口

2. の"イリュージョン"という名前は、葡萄の色と、ワインの色が正反対であることから付けた、
いわゆるブラン・ド・ノアール。味は、まだ若いためか、やや酸味が硬く尖っていて、きつい印
象。

2.と3.はステンレスタンクで発酵、フーダー樽で熟成したもの。2.は、香りには気品があり魅力的
なのだが、味はいま一歩。3.は、まずまずのシュペートブルグンダー。

4.から6.に来て、マイヤー・ネケル本領発揮といったところ。4.の"G"は、ドイツ語でタンニンを意
味する"Gerbstoff"に由来する。しかしタンニンが強調されることは無く、むしろ、ワイン全体の
力強さが印象的。筋肉質なピノ・ノアール。長いアフタ。

5.の"ブラウシーファー"は、畑の土壌である。フルーティでエレガントな味。6.の"S"は"セレクシ
ョン"のS。とても良いバランスで、果実味が口いっぱいにひろがる。新樽比率は70%。平均年
間生産量約8千本だが、2000年産は、それよりもずっと少ない。

この醸造所の場合、個人的な感想では、バリック仕立てとそうでないワインの個性に、明確な
差がある点で、ドイツァーホフと異なっている。

僕たちの相手をしてくれたのは、オーナーの長女マイケさん。最初は薬学部に在籍していたの
だけれど、既に2年間の醸造所で研修を済ませて、昨年秋からガイゼンハイムで醸造学を学
んでいる。彼女によれば、伝統的にVDPのオークションに出品している、ヴァルポルツハイマ
ー・クロイターベルグ以外は、畑の差にあまり拘らないで醸造しているし、ラベルへの記載もし
ていない。例えば収穫の時、複数の畑からの収穫を混ぜて、発酵することさえもあるという。



僕たちが試飲していると、4,5人の団体が奥から現れた。なんでも、ドイツの外務省の接待で、
お客さんが来ているのだそうだ。20年前は、ドイツのワイン産地に無数にある、小規模ワイン
農家の一軒にすぎなかったこの醸造所を、ネケル氏は、アール渓谷、あるいは国を代表する
醸造所にまで育て上げた、と言えるかもしれない。1998年からは、南アフリカのネイル・エリス
氏と組んで、ボルドースタイルのワインもリリースしている。

2001年には、ドイツのグルメ雑誌『デア・ファインシュメッカー Der Feinschmecker』で、今年の
醸造家No.1に選ばれ、まさに絶好調のネケル氏だが、同時に、その評価を維持する事の難し
さも知っている。「醸造所が有名になるには、マスメディアに300回位取り上げられる必要が
あるかもしれない。でも、評判を落とすのは、たった一件の記事で充分だ。」と彼は言う。

醸造所を引き継いだ当時に抱いた野心を、あらかた実現した今は、毎日が彼の正念場なのか
もしれない。







Weingut Kreuzberg (Dernau)
www.weingut-kreuzberg.de



さて、マイヤー・ネケル醸造所を後にした僕たちは、同じデルナウ村にある、クロイツベルク醸
造所に立ち寄った。J.J.アデノイアー醸造所と同じで、予約なし。一応訪問可能な時間が決まっ
ていて、その時間内だった。トラクターが駐車してある中庭の奥の、納屋のような直売所で、僕
たちはいくつかのワインを試飲して、購入した。



2年前の夏、僕は一度ここを訪れたことがある。夕刻、ドイツの遅い日没がはじまろうという
頃、夏の数週間だけ開設される、醸造所の臨時居酒屋で、夕涼みのようにして、屋外のテーブ
ルでワインを飲んだ。

そのとき、本当は最初にひととおり試飲をして、それからちゃんとワインを飲む心積もりでいた
のだけれど、あてが外れた。
「あのぉ、試飲がしたいのですが。」
「なに、あんたたち、試飲がしたいの?」と、臨時居酒屋のおばちゃん。
「そりゃ、まずいよ」 ドイツ語で"Das ist schlimm!"と言われて、ずいぶん気落ちした時のこと
は、いまだに忘れられない。
「でも、電話で確認したんですよ。そしたら、いつでも出来るって。」
「誰と話したの?」
「名前は聞かなかったですが、女性でした」
おばさんは困ったような顔をして、どこかに行ってしまうと、それきり僕たちは、ほったらかしに
された。居酒屋は、すでにどのテーブルも満席だった。

結局僕たちは、試飲をあきらめて、居酒屋のリストのグラスワインを、片端から注文していっ
た。どのワインを飲んだかは、忘れてしまったけれど、"デヴォンDevon"という名前の、シュペ
ートブルグンダーが美味しかったことだけは、よく覚えている。



でも、今回はちゃんと色々試飲できた。少し前回のあだを取ったような気がした。
1. 1999 "クラシック" シュペートブルグンダー アウスレーゼ 辛口
2. 2000 "デボンシーファー" シュペートブルグンダー QbA 辛口
3. 2000 "Ca Sa Nova" カベルネ・ソーヴィニヨン QbA 辛口
4. 2000 "キュベ・ゲオルグ" フリューブルグンダー/カベルネ QbA 辛口
5. 2000 フリューブルグンダー QbA 辛口
6. 2000 デルナウアー プファーヴィンゲルト シュペートブルグンダー QbA 辛口

この醸造所はVDPに加盟していて、ゴー・ミヨの葡萄の房も3つ。おしなべて、しっかりした良い
ワインを造っている。

1. のクラシックは、濃く、しっかりした味。ドッシリと堂々として、威厳すら漂う。2. は畑の土壌か
らついた名前。赤く熟した果実の、しっかりした味。バリック。

3. はアールでは、というかドイツでは珍しいカベルネ・ソーヴィニヨン。数年前までワイン法で、
アール地区で(クオリテーツワインもしくはラントワインとして)栽培を許されている品種に入って
いなかった。1999年からは許可になったので、1999年産が初リリース。栽培面積は0.16haと、
ほんの一角である。10月上旬に収穫、生産量約1000リットルで、750ml瓶に換算すると、約
130本にしかならない、レアなワイン。味はまぁ、ふつうのカベルネである。まだ葡萄の木が若
い為か、それほどインパクトのあるワインではない。しかし、ヨーロッパ最北の赤ワイン生産地
帯で、"ふつう"のカベルネが出来たこと自体、すごいことかもしれない。

4. はフリューブルグンダー80%とカベルネ20%のブレンド。バリック。なかなか上手い配合で、綺
麗にバランスが取れている。"ゲオルグ"は醸造所の一族で、アールで有名な画家の名前。こ
この醸造所のワインのラベルのイラストを書いている。

5.のフリューブルグンダーは、濃厚だけど、どこかのっぺりした印象。バリック。6.は畑名のシュ
ペートブルグンダーのバリック。これまで訪れた醸造所では、大部分のワインで畑名表示をあ
きらめて、キュベに仕立て、オークションに出品するワインだけ、例外的に畑名を表示してい
た。同じ畑のワインを、マイヤー・ネケル醸造所では毎年VDPのオークションに出品して、いい
値段が付いている事を考えると、お買い得かもしれない。上出来のシュペートブルグンダー。

このほか、試飲は出来なかったけれど、シュペートブルグンダーのアイスワインや、トロッケン
ベーレンアウスレーゼまでリリースしている。"Ca Sa Nova"なんていうワインのネーミングから
も、この醸造所が、ワイン造りに遊び心を加えて、楽しんで仕事をしているように思われた。



最後に、幸運なことに、ケラーを見せてもらえた。ここもドイツァーホフと同じくらいの規模で、テ
ニスコート1面くらいの広さに、バリックとフーダーが並んでいる。相手をしてくれた従業員のスト
ッデンさんと一緒に、樽をバックに写真をとろうというと、それじゃ、手にグラスを持ってないとサ
マにならないよ、と、手近にあった樽にピペットをつっこんで、望外なことに、シュペートブルグン
ダーのバリック樽から、試飲をさせてくれた。

2001年10月15日収穫のそれは、濃い赤でやや濁っており、味は濃く力強かった。ピペットを樽
に突っ込んだとき、一杯に満たしてあったワインがあふれて、樽の外に流れ出たときの光景
が、印象に残っている。

ちなみに、5月から10月の週末だけ開店する居酒屋は、おすすめである。




 




Gutsverwaltung von Schubert-Maximin Gruenhaus (Ruwer)
www.vonSchubert.com



アールの醸造所めぐりを終えたその翌日、僕たちは、ルーヴァーにあるフォン・シューベルト醸
造所を訪れた。3年前の夏にも、一回訪れたのだが、そのときは、見事に予約をすっぽかされ
てしまった、苦い思い出がある。

しかし今度は、大丈夫だった。醸造所の施設が大きいのと、どこにも表札も呼び鈴も無いのと
で、一体どこに赴けばよいのか最初は迷ったけれど、最終的にはオーナーのフォン・シューベ
ルト氏が案内してくれた。



この醸造所の歴史は、一説には、996年まで遡る。神聖ローマ帝国の創始者オットー1世が、ト
リアーにあるベネディクト派修道院、ザンクト・マキシミンに、建物と葡萄畑を含む土地を寄進し
た事が、この醸造所の起源であるとされる。一方で、その寄進文書の解釈に問題がある事
が、指摘されているのだけれど、遅くとも、14世紀前半には、この修道院の所有となっているこ
とが、史料で確認されている。

畑名『マキシミン・グリュンホイザー』の『マキシミン』は、この修道院の名前に由来する。『グリュ
ンホイザー(緑の家)』も14世紀からの呼び名であるが、その由来は、定かではない。1980年代
に行われた館のレストアで、外壁の塗装の下から、緑の塗装の痕跡が発見されたが、この建
物にちなんで畑の名前がついたのか、それとも畑名にちなんで外壁が緑に塗られたのかは−
卵が先か鶏が先か−、不明である。

1802年まで、マキシミン修道院がワイン造りを行ってきたのだけれど、ナポレオンによって世俗
化され、1810年に、プロイセンの政治的有力者だった、アントン・フリードリッヒ・ハンデルが地
所を購入した。その翌年1811年は、世紀のコメット・ビンテージだった事もあり、非常な成功を
収めたといわれる。

その次に、1882年に醸造所を購入したのが、現在の当主の曾祖父、フライヘア・フォン・シュタ
ム−ハルベルグである。90年近くデザインの変わっていない、この醸造所のエチケットの醸造
所名の一番下の行に、その旨書いてある(vormals Freiherr von Stumm-Halberg)。1901年に
彼が亡くなると、娘のイダ・フォン・シューベルトに相続された。これが、現在の醸造所『フォン・
シューベルト』の名前の始まりである。



現当主のDr.カール・フェルディナンド・フォン・シューベルト氏は、訪問当時54歳。父アンドレア
ス氏から醸造所の経営を任された1980年は、「よりによって、20世紀最悪の年」だったという。
ミュンヘン工科大学で農学を学び、『急斜面の葡萄栽培における経済的可能性について』−モ
ーゼルの様な、急斜面の葡萄畑での耕作の、経済効率について考察している−という博士論
文で、ドクターのタイトルを取得した。その後、ガイゼンハイムで2年間、醸造学を学んだ。

ケラーに降りると、水の流れる音が、長いトンネルの様な空間に木霊している。向かい合うよう
にして並んだ、約1000リットル入りの木樽(フーダー)の列に沿って、床の上を、水が流れてい
た。地下水で、降雨量で若干の変化はあるが、一年中通して、止まることが無いという。

ワインの発酵は、大部分が木の樽で行われる。長年使い込まれて黒ずんだフーダー樽で、中
にはシューベルト氏と同じくらいの歳の樽もあるそうだ。ワインが入っていないときは、水を入
れて樽の乾燥を防ぐのだが、樽がまだ使い物になるかどうかは、その水の味見をして判断す
る。

さて、試飲したワインは以下の通り。葡萄は、すべてリースリング。
1. 2000 マキシミン グリュンホイザー ヘレンベルグ QbA 辛口
2. 2000 同上 アプツベルグ QbA 辛口
3. 2000 同上 アプツベルグ カビネット 辛口
4. 2000 同上 ブリューダーベルグ QbA 甘口
5. 2000 同上 ヘレンベルグ カビネット 甘口
6. 2000 同上 アプツベルグ シュペートレーゼ 甘口
7. 2000 同上 ヘレンベルグ アイスワイン 

この醸造所は3つの畑を持っていて、すべて単独所有。呼称は、修道院のヒエラルキーに因ん
でいる。

・ブリューダーベルグ (平修士の畑 面積:約1ha)
 修道院では、修道院長を父とし、修道士達はお互いを『兄弟 Bruder』と呼び合って暮らしてい
たことから、この名がついた。スレート岩(シーファー)が風化した、細かい土壌で、アプツベル
クと似ている。ひとつながりになっている、3つの畑の中では一番東の端、斜面の向きも他の
畑より東向きである。他の2つの畑のワインと、それほど大差がある訳ではないが、それでもや
はり、どことなく素直で、朴訥とした感じの印象を受ける。

・ヘレンベルグ (修道士様の畑 面積:約19ha)
 修道院や、律院(シュティフト)、聖堂参事会(ドームカピテル)など、聖務を行いながら共同生
活を営んでいる聖職者を、尊敬の念を込めて『〜ヘレン(例えばシュティフツヘレン
Stiftsherrn)』と呼んだことに由来する名前。3つの畑の中の、西半分にあたる。土壌はブラウ
シーファー(青色スレート岩)とロートシーファー(赤色スレート岩)があり、畑の部分によって異
なる。バランスよくエレガントで、酸味が綺麗なワインを産する。

・アプツベルグ (修道院長の畑 面積:約10ha)
 もともとヘレンベルクと一緒だったのを、1976年に独立させた。3つの畑のまん中に位置し、
醸造所のほぼ正面、ぽっこり盛り上がったような按配の一角。土壌は、風化青色デボンシーフ
ァー。もっともボリューム感があり、ミネラル、酸、フルーツのハーモニーが見事なシュペートレ
ーゼ、アウスレーゼを産する。

2000年は、この醸造所にとって恵まれた年ではなかった。
5月11日午後、およそ2時間におよぶ雹によって、葡萄の若芽の80%が被害を受けた。しかし
反面、残った芽から成長した、粒と粒の間に間隔のある房は、秋口の雨でも黴の被害もなく、
間引きの効果で、味も凝縮したものとなった。

一方、平均収穫量は、平年で65hl/haのところを、35hl/haに落ち込んだ。約半分の収穫量であ
る。そこで顧客の需要をまかなうのと、収入を補う意味もあるのだろう、2000年産は例外的に、
葡萄と果汁を近隣のワイン農家から購入し、『C.フォン・シューベルト リースリング』としてリリ
ースした。QbAの辛口と、甘口の2種類である。

今回試飲した中で、最も印象に残ったのは、当然のことながらアイスワイン。2000年12月22日
に収穫、わずか約300リットルの生産。味の濃いワインで、酸味はそれほど濃厚ではないけれ
ど、紅茶、蜂蜜など、複雑味豊かなもの。価格はハーフで90ユーロと、シュペートレーゼ、アウ
スレーゼに比べると段違いに高い。並の醸造所のアイスワインが、30ユーロくらいからある事
を思えば、けっこうな値段ではある。しかし、それに必要としたリスク、労働力、生産効率からす
ると、妥当な値段だと思うがね、とシューベルト氏は肩をすくめた。



ちょうどトリアーのレストランまで、ワインを届けるのと、土曜日の家族サービスで買い物がある
からと、帰りは奥さんの運転する車で送ってもらった。19歳息子さんも一緒だった。出かけ際、
留守番の娘さんと窓越しに話しをする様子や、奥さんや息子さんとの一緒のときのシューベル
ト氏は、普通の、どこにでもいる、ファミリーの優しいパパだった。

有名な方とお目にかかれて光栄でした、とお礼を述べると、「自分が有名人だなんて、そんな
気はちっともしなんだがね」と、照れくさそうに笑った。


フォン・シューベルト醸造所訪問記2003.6/2003.10






Weingut Van Volxem (Wiltingen/Saar)
www.vanvolxem.de



その日の午後、僕達はザールにある、ヴィルティンゲン村のファン・フォルクセン醸造所に向か
った。この醸造所は、20世紀初頭からのVDPのメンバーであり、秋のオークションでも高価格
をつけていたのだが、1989年に破産してしまった。

売りに出されたこの醸造所を、90年代初めに購入したオーナーは、わずか2年あまりで再び売
りに出した。次のオーナーは、ミュンヘンで情報産業関係の会社を経営していた人で、醸造所
の名前をジョーダン&ジョーダンと変えた。彼の時代、ゴー・ミヨのドイツワインガイドで、葡萄
の房こそもらっていないものの、「おすすめ醸造所」のひとつとして、毎年あげられていたのだ
が、1999年に破産、醸造所は3たび売りに出されることとなった。

そのとき購入したのが、現在のオーナー、ローマン・ニエヴォドニツァンスキー氏だ。訪問当時
若干33歳、トリアー大学の地質学部に現在も籍を置いて、ワインのマーケティング戦略に関す
る、博士論文を書いている。もっとも、最近は多忙で、ちっとも筆が進んでいないそうではある
が。そのかわり、トリアーの醸造専門学校に通って、ワイン造りの勉強に励んでいる。



2000年産が、彼の指揮下でリリースされる、新生ファン・フォルクセン醸造所の最初のビンテー
ジである。特筆すべきなのは、その平均収穫量の低さ−26hl/ha−であろう。フォン・シューベ
ルト醸造所のように、雹の被害でそうなったのではない。意図的に抑えたのである。普通の造
り手は、剪定のとき、葡萄の枝を2本残す。しかし彼の醸造所は、1本しか残さない。結果、
VDPのトップクラスの醸造所のリースリングが、おおむね50hl/haなのに対して、その約半分の
数値となって現れる。おそらく、モーゼルのリースリングの造り手の中で、最低である。また、甘
口よりも辛口を重視している点で、他の醸造所と少し趣が異なっている。

「僕が目指すのは、土壌の個性が、はっきりとワインに現れていて、かつ、複雑で凝縮感があ
る、調和のとれた辛口リースリングなんだ。」と彼は言う。試飲してみると、その目指す味がよく
わかる。13種類リリースされた2000年産のうち、9種類が辛口から中辛口に属し、甘口はシャ
ルツホーフベルクのカビネット、シュペートレーゼ、アウスレーゼ・ゴールドカプセル、アイスワイ
ンの4種類である。

「素晴らしいリースリングの甘口なら、エゴン・ミュラー醸造所が既に作っているからね。あそこ
と競争したくない。そもそも、僕がワインを造ることを志すようになった、きっかけをくれたのが、
あの醸造所だし。」
彼の実家は、大手ビール醸造会社創業者の一族で、毎年エゴン・ミュラー醸造所の試飲会に
招待されていた。それが、彼にザールのリースリングに対する憧憬と、味覚上の基準与えたの
だ。また、実家の財政的な基盤と人脈も、最上の葡萄畑を所有する醸造所の購入と、思い切
った戦略を実行する上で、少なからぬ支えとなっているであろう事は、想像に難くない。

ちなみに、この醸造所の所有するシャルツホーフベルグは、エゴン・ミュラー醸造所の所有する
畑の西隣の2haである。また、シャルツホーフベルクと同じ続きにあるが、畑名が違うヴィルティ
ンガー・ブラウンフェルスの中の、最上の一角である、1868年のモーゼルの葡萄畑の格付けで
は、『フォルス』と呼ばれる畑も、この醸造所の古くからの所有である。もともと伝統のある醸造
所だっただけに、全部で13haある畑は、いずれも非常に良い土壌と立地条件を持っている。だ
からこそ、収穫量を抑えて、土壌の味を生かした辛口のリースリングを造ると、素晴らしいもの
となるのだ。



今回試飲出来たのは、以下のワイン。

1. 2000 ロゼ、シュペートブルグンダー&サンローラン
2. 2000 ヴァイスブルグンダー
3. 2000 ヴィルティンガー リースリング
4. 2000 ヴィルティンガー・シュランゲングラーベン リースリング
5. 2000 ヴィルティンガー・ゴッテスフス リースリング アルテ・レーベン
6. 2000 シャルツホーフベルガー リースリング カビネット
7. 2000 シャルツホーフベルガー リースリング シュペートレーゼ
8. 2000 シャルツホーフベルガー リースリング アウスレーゼ ゴールドカプセル
9. 2000 シャルツホーフベルガー リースリング アイスワイン

生産量が少ないのと、2002年版のゴー・ミヨのドイツワインガイドで、『今年の新発見』醸造所に
選ばれた−初リリースでいきなり!−こともあり、ほとんどのワインが既に売り切れている。

1.のロゼは、2000年産が最初で最後、今後はリースリングに集中するから、もう造らないそう
だ。シュペートブルグンダーとサンローランの畑は、ヴィルティンガー・クップのリースリングの
畑と交換してしまった。これも南むきの高い位置にある、非常に良い畑で、彼は非常に満足気
だった。
「モーゼルから、世界最高の赤ワインが出来るなんて、誰も考えないだろう?でも、リースリン
グなら、チャンスがある。」
ロゼの味は、まとまりの良い、夏に冷やして飲むと快適な、ストレートな辛口。

2.のヴァイスブルグンダーは、品種の個性が生かされた、充分まっとうな辛口。食事と一緒に
飲むには、とてもいい。3.はヴィルティンゲン村の、言ってみればブルゴーニュの様なネーミン
グの、村名ワイン。彼は、ザールの風景は、どことなくブルゴーニュに似ている、という。この醸
造所の、ひとつひとつの畑が、リースリングにもたらす味へのこだわりは、ブルゴーニュにおけ
るシャルドネの、プルミエ・クリュ、グラン・クリュを思い出させる。実際、彼は2001年産から、そ
うした方向のラインナップでのリリースを考えているという。

4.は、ミネラルとフルーツの味のバランスが良い辛口。ワイン法上は、中辛口にあたるが、表
記していない。「"中"辛口なんて、なんだか中途半端で、好きじゃない」と彼。5.は樹齢120歳
の、接木をしていない古木の収穫から造ったワイン。15hl/haと、収穫量は極端に低い。古木の
葡萄は粒が小さく、効率が悪いが、味には特別なものがある。やわらかい濃厚さ、ふわりと漂
う白桃の香り、ミネラルとフルーツの調和した奥行きのある味、飲み干したあとに、のどの奥か
ら湧き上がってくる甘い香り。このワインは、辛口とか中辛口とかいう区別を超越している。素
晴らしいのだけど、残念ながら醸造所では、売り切れ。来年は、3割値上げしてはどうか、とい
う声もあるそうだ。

6, 7.はシャルツホーフベルガーの畑が、ワインにどんな味をもたらすのか、よくわかる。特徴
は、洋ナシの香味。アメリカの雑誌ワイン&スピリッツに、試しにサンプルを送ったら、カビネッ
トは92点、シュペートレーゼに94点がついてしまった。「アウスレーゼのゴールドカプセルならと
もかく、カビネットとシュペートレーゼでこの点数は、ちょっと高すぎるよ」と、困惑気味だった。し
かし、いいワインであることは間違いない。カビネットは、凛々しい感じの、酸味とミネラルのバ
ランスのいい、固めで複雑な、辛口ぎみの甘口。シュペートレーゼは、やわらかく魅力的な、口
当たりの良い甘口で、桃の香りがする。

8.のアウスレーゼ・ゴールドカプセルは、収穫時の糖度が139エクスレ。「でも、テロワールの方
がエクスレよりも大事」と、彼は強調する。非常の複雑かつ濃厚、ダージリン、蜂蜜、干した杏。
今はまだメンバーではないが、VDPのオークションにもしも出品されていたとしても、全然不思
議ではない出来栄え。9.のアイスワインは、12月23日の収穫時の糖度169エクスレ。濃厚で甘
いけれど、なお全体の調和を感じさせる。



2000年産の試飲のあと、ケラーにて2001年産の樽試飲をさせて頂いた。

大抵の醸造所では、既に発酵を終えているのだが、ここのケラーの樽の多くは、2月下旬にな
っても発酵を続けていた。ひんやりとして肌寒いケラーに、ガラス管に溜まった水が、ボコリ、ボ
コリとくぐもった音をたてている。

シャルツホーフベルガー、ヴィルティンガー・クロスターベルク、ヴィルティンガー・ブラウンフェ
ルス、ヴィルティンガー・ブラウンフェルス・フォルス、ヴィルティンガー・ゴッテスフスなど、およ
そ10の樽とステンレスタンクから、白く濁ったワインの原型を試飲させて頂いた。基本的には、
毎年秋口に出回るフェダーヴァイザーと同じなのだが、しっかりとしたフルーツの味と、ミネラル
の要素など、畑毎の個性の違いがそれぞれ現れていて、非常に興味深かった。

彼はステンレスよりも、木樽での発酵のほうが、ワインに複雑味が出て気に入っている、とい
う。実際、ステンレスと木樽で発酵中のシャルツホーフベルガーを試飲すると、ステンレスは、
洋梨の風味がはっきりとして判りやすいのに対して、木樽はいっそう複雑で、洋梨の味は言わ
れればわかるけど、何も言われなかったら、何のフルーツに例えることができるか、ちょっと考
えてしまう。

2001年産からは、いくつかの葡萄農家と契約して、栽培を委託した収穫も用いている。葡萄農
家は長年ワインを造ってきているから、彼らなりの流儀がある。いわゆる、伝統的な、枝を2本
残す剪定方法などがそうだ。しかし、そこへワイン造りの経験が1年そこそこの若造が、1本だ
け残した母枝から、5〜7本伸びた枝に、ひとつだけ房を残すため、9月に健全な房まで切り捨
てるという、彼らから見ると到底信じられない様な、極端な収穫削減を指示するのだから、説得
にかなり苦労したという。

しかし、どの樽を試飲しても、この醸造所の目指す複雑で調和のとれた味のワインは、順調に
育ちつつあるように思われた。彼も、今のところ非常に満足している。



ニエヴォドニツァンスキー氏はオーナーで、畑から醸造、販売まで全体を指揮しているが、醸造
にはゲルノート・コルマン氏が重要な役割を果たしている。コルマン氏は、ハイルブロンの醸造
専門学校出身で、モーゼルのドクター・ローゼン、フランケンのカステル醸造所、そして再びモ
ーゼルのビショフリッヘ・ワインギューターで仕事をして来た。そして現在はファン・フォルクセン
醸造所で腕をふるっている。彼もまだ若く、30歳そこそこだろうか。

考えてみれば、アールのドイツァーホフ コスマン・ヘーレ醸造所、マイヤー・ネケル醸造所、そ
してザールのファン・フォルクセン醸造所と、いずれもワイン造りと縁の無い、あるいはあっても
一度他の仕事を経験してから、いわば門外漢として、改めてワイン造りに取り組み、成功を収
めている点で共通しており、興味深い。伝統と慣習にとらわれない柔軟な発想、並外れたクオ
リティへの執着と、強烈な野心が、彼らを成功に導いたように思われる。同様のケースは、カリ
フォルニアのブティックワイナリー等、世界に多数ある筈だ。



話をニエヴォドニツァンスキー氏に戻す。彼は、今年の10月、2週間オレゴンとニューヨーク州
のワイナリー巡りをするつもりだ、という。普通の造り手は、天候にもよるが、10月2週目くらい
からリースリングの収穫を始める。しかし彼は、11月に入るまで、収穫を行うつもりは無いそう
だ。それは、葡萄が最高に熟するまで、辛抱強く待ち続けなければならないことを意味する。そ
の待ち続ける辛さは、醸造所の全責任を双肩に担わないことには、到底わからない苦しさだろ
う。

「フランスの醸造所だって、収穫直前は何もすることが無いから、バカンスに行くだろ。だから、
それと同じことさ。」と彼は言う。しかし、僕たちが試飲している最中に雨が降ってきたとき、彼
の悲嘆振りははっきりしていた。畑で仕事をしていた人たちが、剪定の作業を続行できないの
である。「あぁ、ちくしょう」と、窓の外をみながら、何度もため息をついていた。剪定の時期の雨
でこれなら、収穫時期の心労は、想像するに余りある。なるほど、確かに彼は、アメリカに行っ
たほうが良いかもしれない、と思った。

僕たちが訪れたのは土曜日だったが、その翌日の日曜日も、雨が降っていなければ、彼はス
ロバキアから出稼ぎに来ている人達と一緒に、畑に出て仕事をするという。
「だけど、この辺の人たちは保守的だから、日曜日に畑仕事をしているのがみつかると、文句
を言われるんだよね。それで見つからないように、シャルツホーフベルクの畑の一番上の方
の、下から見えない所で仕事するんだ。」と、物陰に隠れるしぐさをして、いたずらっぽく笑っ
た。

ともあれ、この醸造所の成功は、モーゼルの他の造り手にも影響を与えずにはおかないだろ
う。今後の展開が楽しみである。


ファン・フォルクセン醸造所訪問記2003.2/2003.8/2003.10/2004.8









Weingut Dr. Buerklin-Wolf (Wachenheim/Pfalz)
www.buerklin-wolf.de



日曜日、僕たちはモーゼルからファルツへと移動した。ノイシュタット・アン・デア・ワインシュトラ
ーセで、ローカル線に乗り換える。列車が発車してほんの数分で、車窓の両側に、ファルツの
葡萄畑が一面に広がった。なだらかな起伏の平地が、遠くの山まで続いていて、アルザスの景
色によく似ている。

間違えて一つ手前のダイデスハイムで降りてしまい、1時間電車を待たねばならなくなった。こ
この村には、フォン・ブール醸造所があるが、試飲所が日曜日も開くのは、3月からである。僕
たちがもともと目指していたのは、ビュルクリン・ヴォルフ醸造所。ここの試飲所は、年中日曜
日も営業している。ただし月・火は休み。



この醸造所も、テロワールにこだわった辛口リースリングをリリースしている。ブルゴーニュの
畑の格付けになぞらえて、『エディション P.C. (Premier Cru)』と『エディションG.C.(Guradze
Christian、オーナーの名前にちなんだ、とはいうものの、やはりGrand Cruを意識している)』と
いう、独自の畑の格付けによる、リースリングの辛口だ。以前から畑の格付けには熱心で、エ
アステス・ゲヴェクス AとBという形でリリースしていたが、1999年からは、P.C.とG.C.になった。

所有する畑全体の85.5haのうち、約12.5haの畑が『エディションG.C.』、約24haから『エディション
P.C.』が造られている。

『エディションG.C.』の自主基準は、
・収穫高上限 45hl/ha
・100%リースリング、選別しながらの手摘み
・伝統的な木樽で温度を調整しながら発酵
・アルコール度12%以上、補糖なし
・リリースは収穫の翌年9月1日以降
・酸と糖分の比率がおおむね1対1
・畑1つにつきワイン1種類

一方『エディションP.C.』の自主基準は、
・収穫高上限 55hl/ha
・伝統的木樽もしくはステンレスタンクで、温度を調整しながら発酵
・アルコール度11.5%以上、補糖なし
・リリースは収穫の翌年5月1日以降
という点以外、エディションG.C.と同じである。

この2つのカテゴリーの下には、複数の畑のワインからなる村名リースリングがあり、その下に
複数の村のワインをブレンドした、醸造所リースリングがある。エディションG.C.とエディションP.
C.は、毎年必ずリリースされるとは限らない。例えば2000年は、10月中旬の湿気の多い天候で
黴と病気の被害を受け、エディションG.C.はりリースを断念している。エディションP.C.も、6つあ
る畑のうち、ヴァッヘンハイマー・ゲリュンペルの畑のワインのみとなった。エディションG.C.、P.
C.の基準に満たないと判断されたワインは、村名もしくは醸造所名ワインにブレンドされた。



試飲したワインは、以下の通り。
1. 2001 リースリング 辛口
2. 2000 ヴァッヘンハイマー リースリング カビネット 辛口
3. 2000 ヴァッヘンハイマー・ゲリュンペル エディションP.C.
4. 1999 ヴァッヘンハイマー・レヒベッヒェル エディションP.C.
5. 1999 ルッパーツベルガー・ホーヘンブルグ エディションP.C.
6. 1999 ガイスボール ルッパーツベルグ エディションG.C.
7. 1999 カルクオーフェン ダイデスハイム エディションG.C.
8. 1999 ペッヒシュタイン フォルスト エディションG.C.
9. 2000 ドルンフェルダー
10. 2000 シュペートブルグンダー
11. 2000 ビュルクリン エステート赤

1.は、なんと2001年産、2月なのに既に瓶詰めされて、発売されていた。若々しい、フレッシュな
青りんご、少し苦味。快適。2.は本来エディションP.C.となる筈だったワインが、格落ちして複数
の畑がブレンドされたもの。オレンジの香り、調和がとれて複雑、ボリューム感もあり、アフタも
綺麗に続く。3.は2000年産唯一のエディションP.C.。エレガントなのだが、少し硬い。4,5は99年
産のエディションP.C.、エレガント、ミネラル豊富、広がりのある香り。上々の辛口リースリング
なのだけど、どこかまだ、そっけない。

6.はようやく期待していた味に、めぐりあった感じ。濃厚でがっしりとしており、複雑でバランスが
とれている。ファルツの辛口リースリングの好例だろう。7.はフルーツよりミネラルが勝った味。
石灰質の混じった土壌に由来。8.はフルーツ感のたっぷりした、上々の辛口。いずれのワイン
もスケールが大きい。

9.のドルンフェルダーは、濃いけど、香りに比べると味がややシンプル。10.は30%バリック。11.
はカベルネ・フラン、メルロ、サンジョベーゼ、それにアコロンという、聞きなれない品種のブレ
ンド。品種はドイツでは珍しいものばかりだし、バランスはとてもよいけれど、こういう味なら、ド
イツでなくても、世界のどこでも出来そうな感じ。

試飲所はワイン街道沿いにあるのだが、ちょっとわかりにくい。ヴァッヘンハイムの村の教会よ
りも北、バート・デュルクハイム寄りの、とある建物の中庭の奥にある。暖炉のある大きな洋館
の一室で、英国調の古びたソファに座っての試飲だった。








午後、僕たちはフライブルクに移動した。ホテルにチェックインして、近所のレストランで夕食を
とり、少し街中を散歩しても、まだ夜9時。部屋に帰っても、テレビを見るくらいしか、する事が
無い。だったら、どこかで少しワインを飲もうという事になった。

とある居酒屋の入り口脇に張り出してある、メニューと協同組合ものばかりのワインリストの片
隅に小さく、『このリスト以外に、ワインギャラリーで、気に入ったワインを見つけて下さい。』と
書いてあった。シーズン・オフの日曜の夜で、大抵の店は休業しており、他に行くあても無かっ
たので、とりあえず、そこに入ってみた。確かに、店の奥のカウンターの近くには、バーデンの
ワインを中心に、50本くらいボトルが林立している。どれにしようか、眺めていると、キッチンか
ら出てきた男が、声をかけてきた。

「気に入ったのは見つかったか?」
「いや、迷っています。これだけあると、流石に。」片隅に、Dr.ヘーガーのちょっと古めのワイン
や、ブルゴーニュ、ボルドーもちらほらしている。
「じゃ、とりあえず、こいつを試してみなよ。ボトルじゃなくても、グラスで出しているから。」
といって出てきたのが、名の知れない醸造所の、シュペートブルグンダーのアウスレーゼ辛
口。なかなか上等で、いいワインだった。聞けば、彼はホテル・ツム・シュバルツェン・アドラー
のオーナーの元で修行したそうだ。ワインは俺の生きがいなんだ、という。

連れが、将来ソムリエを目指していると知ると、「それじゃ、ソムリエに相応しいボトルを持たな
くちゃ」と言って、びっしりと埃が積もった、64年産のグートエーデルを、彼に渡した。「液面から
言っても、たぶんもう飲めないけど、お客さんに見せるぶんには差し支えないだろ。持っていき
なよ。」という。さらに、彼の誕生年を聞くと、カウンターの向こう側の、ワイン用冷蔵庫の中か
ら、78年のラインガウのリースリング・アイスワイン・アウスレーゼをひょいと出してきて、いくら
なら買うか、と聞いてきた。20ユーロ以上なら売る、という。若いリースリング・アイスワインで
も、25ユーロ前後するものが多いから、20ユーロは、間違いなく安かった。
「ソムリエに必要なのは、タブリエと、上等のソムリエナイフ、それと自分の見識を示す様なボト
ルだよ。」
修行の末、やっと手に入れた自分の店で、彼は年中無休で、午前1時まで働いている。ソムリ
エとしてではなく、オーナー兼料理人として、である。

結局僕らは、閉店時間の午前1時まで、そこで話しながら飲んでいた。店の外に、ワインにこだ
わりのあることを、もっとはっきり示してくれればいいのに、と言うと、それじゃ面白くない、まず
店に入ってもらって、お客さんにちょっとびっくりしてもらうのが、狙いなのだそうである。

店の名は、ガストハウス ツム クランツ Gasthaus zum Kranz (Herrenstrasse 40)。
ワインの話になると、とどまる事を知らないオーナーは、ウルウグール氏という。多分ハンガリ
ーあたりの出身だろう。ワイン好き大歓迎の、外見は普通の居酒屋である。






Weingut Dr. Heger (Iringen/Baden)
www.heger-weine.de



Dr.ヘーガー醸造所のあるイーリンゲン村は、フライブルクから電車で20分ほどである。バーデ
ンの銘醸畑である、カイザーシュトゥールの段々畑が車窓を横切ると、目的地は間もなくだ。

この醸造所は、日本ではバリック仕立てのシュペートブルグンダーで、知られているかもしれな
い。しかしその他にも、実に多様な品種をリリースしている。ライン河を挟んだ対岸の、アルザ
スでも栽培されているシルバーナー、リースリング、ゲヴルツトラミーナー、ヴァイスブルグンダ
ー(ピノ・ブラン)、グラウブルグンダー(ピノ・グリ)をはじめ、ムスカテラー、ショイレーベ、ケル
ナー、ミュラー・トゥルガウ、シャルドネまであり、そのうちのいくつかは、バリックで仕立てられ
ている。意外なことに、ワインリストにある52種類のうち、赤はわずかに2種類−"Mimus"とシュ
ペートブルグンダーのセレクション−のみだったが、栽培面積としては、シュペートブルグンダ
ーが15haのうち、約4分の1を占めている。



Dr.へーガーの"ドクター"は、創始者のマックス・ヘーガー氏が、イーリンゲン村で医者をしてい
た事に由来する。ワイン村だけに、患者にはワイン農民が多かった。彼らから色々話しを聞くう
ちに、この村の近郊の葡萄畑が、ワイン造りには最高の条件を備えていることを知るとともに、
以前からワイン好きだったこともあって、1935年に醸造所を設立したのである。

1949年に、マックスの息子フォルフガング―ニックネームが"Mimus"=おどけ者―が醸造所を
引き継いで、1992年からは、現在のオーナー、ヨアキム・ヘーガー氏が指揮を執っている。彼
はDr.ヘーガー醸造所のほかに、ワインハウス・ヨアキム・ヘーガー(1986〜)と、フィッシャー醸
造所(1997〜)を設立し、積極的な事業展開を行っている。いずれの醸造所のワインも、イーリ
ンゲン村のDr.ヘーガー醸造所の試飲所で購入できる。

さて、試飲したワインは以下の通り。
ワインハウス・ヨアキム・ヘーガー
1. 2000 ヴァイスブルグンダー カビネット辛口
2. 2000 グラウブルグンダー カビネット辛口
3. 1999 "Vitus" ヴァイスブルグンダー 辛口 バリック
4. 2000 "Vitus" グラウブルグンダー 辛口 バリック
5. 2000 ブラウアー・シュペートブルグンダー 辛口
6. 1999 "Vitus" シュペートブルグンダー 辛口 バリック
7. 1999 シュペートブルグンダー☆☆☆ 辛口 バリック

フィッシャー醸造所
8. 1998 シャルドネ 辛口 バリック

Dr.ヘーガー醸造所
9. 2000 リースリング シュペートレーゼ☆☆☆ 辛口
10. 1997 シュペートブルグンダー ヴァイスヘルプスト シュペートレーゼ 辛口
11. 1998 シュペートブルグンダー ヴァイスヘルプスト ベーレンアウスレーゼ 甘口
12. 2000 グラウブルグンダー☆☆☆ シュペートレーゼ 辛口 バリック

試飲した12種類のうち、11種類までが辛口だった。"☆☆☆"は、セレクションの意味だそうだ。

ワイインハウス・ヨアキム・ヘーガーは、契約栽培農家による収穫を用いており、価格もDr.ヘー
ガーより手頃。しかしバリック仕立てのワインは、本家に勝るとも劣らない。

1,2は食事向きの、品種の個性がよく出た辛口。3.のヴァイスブルグンダーのバリックは、濃
い。蜂蜜、ヴァニラの香りが、高めのアルコールもあり、ふんぷんと立ち上り、もう、バリバリの
バリック。一方4.のグラウブルグンダーのバリックは、ややおとなしい。5.は若いシュペートブル
グンダー、フルーティ。6.はタンニンとフルーツががっしりと組み合わさった、力強い赤。7.のシ
ュペートブルグンダーのセレクションは、6.よりもエレガントで、フルーツに気品がある。

8.はバリック仕立てのシャルドネ。やはり北のシャルドネで、やや酸味があり、スリム。9.はバー
デンのリースリング。モーゼルを飲みなれていると、酸味が物足りなく感じてしまう。全体のバラ
ンスは良く、食事と一緒に楽しむには、文句なし。10.はシュペートブルグンダーのロゼ。酸味が
やや目立ち、全体にやせ気味か?

11.はなんと、シュペートブルグンダーのロゼのベーレンアウスレーゼ。お目にかかったのは、こ
れが初めて。シュペートブルグンダー、つまりピノ・ノアールだから、貴腐ではないが、収穫時の
糖度が、ベーレンアウスレーゼのレベルだったという事。色もほとんど白で、赤色をみつけるの
は難しい。相当慎重に圧搾したのか。味は、いわく言いがたい甘口。ぼわんとして、のっぺりと
して、甘い。変なワイン。12.はまだ若いということの外、あまり印象に残っていない。



試飲が終わりかけた頃、直売所にオーナーが顔を出したので、ダメもとで、声をかけてみた。
「あの、すいません、ヘーガーさん、ご一緒に写真を撮っていただけませんか。」
「あ、いいよ。じゃ、ケラーで撮ろう。」と気さくに承諾して頂けた。
「あら、ヨアキム、あなた有名なのねぇ」と、試飲の相手をしてくれていた従業員の女性が言う
と、彼はウィンクして笑っていた。

ケラーは、アールで見た醸造所よりも大きく、縦横に広がるトンネルに、ステンレスタンクとバリ
ックが無数に並んでいる。僕たちはバリックの積み重なった一室で、肩を組んで写真に納まっ
た。彼はとあるインポーターに招待されて、近々日本に来るという。日本人なら、伊藤眞人氏、
フランツ佐伯氏を知っているか、と聞かれた。もちろん、知っているけど、名前と、その仕事だ
けである。

Dr.ヘーガーでは、予約を入れてなかったので、オーナーと挨拶出来たのは、望外の幸運だっ
た。さらに、みやげだ、と言って、1999年産のリースリング シュペートレーゼのセレクションをく
れた。ここまで気さくで、気前のいいオーナーも珍しい。もしかすると、彼を日本に時々招待して
いる、インポーターの方のお陰かもしれない。こういうのも、棚からぼた餅、あるいは漁夫の
利、と言うのだろうか。


Dr. ヘーガー訪問記:2003.7



おわりに


この報告を書きながら、ヘーガー氏に頂いたリースリングを飲んでいる。どことなく、アルザス
のリースリングに似た趣の、バランスの良い、酸味の控えめな、飲みごたえのあるリースリング
だ。でもやはり、エレガントな酸味と、土壌に由来するミネラルの風味が複雑さを与えている、
モーゼルのリースリングのほうが、一枚上手かな、と、自分勝手なのだけど、感じてしまう。

アールからバーデンまで、いくつかの醸造所をまわってみて感じたことが、いくつかある。まず、
従来のドイツワイン法では最も重要な基準といっても良い、収穫時の糖度とは、別の所に、目
指すワイン像を持つ造り手が、今回の訪問では多かった。

「別の所」とは、具体的には、リースリングと、それ以外の品種によって、大きく二つに分けるこ
とが出来る。

まず、リースリングに関しては、何よりもまず、『テロワール』である。エアステス・ゲヴェクス、あ
るいはビュルクリン・ヴォルフ醸造所が行っている、P.C. (Premier Cru),G.C. (Grand Cruを意識
したネーミング) といった、畑の格付けは、現在のところ、もっぱらリースリングに関して、意識
的に行われているように見受けられる。

逆に、シュペートブルグンダー等、主としてフランス系葡萄品種では、畑の名前、およびプレデ
ィカートは、ほとんど意味を失っている。その代わりに、バリックなどの樽と、その配合によって
作り出される、作り手の味が、重視されている。

数百年の栽培の伝統があり、また、ドイツのテロワールでこそ、真価を発揮するリースリング
と、試みが始まって、ようやく20年ほどのバリック仕立てのワインとでは、取り組みの姿勢が異
なって、むしろ当然といえるかもしれない。

この背景には、ドイツ国内での輸入ワインの消費が、増えているという事情がある。フランスや
イタリア、あるいは新世界のワインと競合し、いかに勝つか。それに対する、野心的な造り手達
の答えが、リースリングにおけるテロワールであり、フランス系品種におけるバリックなのだ。
そしてどちらも、現行のドイツワイン法の範疇の外に、目指すべき方向性を見出している点で、
共通している。

しかし、百聞は一見にしかず、ワインは飲むにしかず。
この旅行記を読んだ方が、新しいドイツワインに興味を持っていただいて、ご自分の感覚でそ
れを確かめていただければ、と願っている。


(補記:この訪問記は2002年3月にNiftyServe 酒フォーラムFsakeに報告したものですが、Fsake閉店によりFsake上
の報告も消滅したため、2004年3月HP用に改訂、改めて公開しました。)




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