トリアー大学有志が集まって、剪定から収穫まで葡萄畑の作業を定期的に体験させてもらえる
ことになった。畑はトリアラー・ザンクトマキシミーナー・クロイツベルク。トリアー国営醸造所の
所有する、もっぱら実験的栽培に利用されている畑だ。先日3月16日に、第一回目の作業であ
る剪定を行った。



3月半ば、ドイツにようやく春が訪れた。
朝方モーゼル渓谷に溜まっていた霧は、太陽が高く昇るにつれて次第に晴れ上がり、真っ青
な青空が広がった。先週まで雪が積もっていたとは信じられないほど暖かく、あちこちで小鳥
達が賑やかにさえずっている。強い日差しの中には既に夏の気配があったが、日が陰ると風
が冷たく、去り行きつつある冬の存在が感じられた。

その日、僕はトリアーの町外れ、ローマ時代の円形劇場跡を見下ろす葡萄畑の中にいた。
「なぁに、そんなに難しい作業じゃないよ。」
僕達−トリアー大学の学生10人ほど−に向かって、畑の世話をしているトリアー国営醸造所の
エルツ氏と同僚が、今回僕達が体験させてもらえる剪定作業について説明していた。
「畝に張り渡してある針金の、一番高いところに近い芽から先を2cmほどのこして剪定すれば
いいんだ。あとは不要な小枝を出来るだけ短く切り詰めること。ただし、芽に傷をつけないよう
にね。」

剪定といえば、秋の収穫量を決める大事な作業と聞いている。もしも切り詰めすぎたらそのぶ
ん収穫がへってしまうし、多すぎてもワインが味気なくなってしまう。その決定的に重要な作業
を、僕たちのような初心者にやらせていいのだろうか?

「どのみち後から調整するからね。雹や遅霜の心配が無くなったら、今は2本残してある母枝
のうち、一本を切ってしまうんだ。それでも、大体10hl-12hl/haの収穫が見込めるよ。」

なんと、それではドイツワイン法の上限収穫量ではないか。切りすぎる心配もないと判って、僕は気が楽になった。畑の斜面に整列しているリースリングは、既に母枝2本を残してあり、根から切り離された枝が畝に沿って上下平行に張り渡してある針金にからみついて残っていた。それを取り除きながら、残っている方の枝の上端を一番上の針金−1m80cmくらいだろうか−の高さにあわせ、その近くにある芽の2cmほど上に剪定鋏を入れる。そうすると、母枝一本につき自然に大体10芽位が残ることになる。芽の反対側には弦や小枝がすこし出ていて、それも丁寧に切り取っていく。枝ぶりを見ながらの作業は、なんだか盆栽に似ていた。ザクリと枝を切ると、若緑色をした断面から滲み出した樹液が指先を濡らした。

(葡萄の芽。ここから今年の枝が伸びてくる。)
シーファーが散らばり下草の生えた斜面
は、午後の太陽に照らされて汗ばむ陽気
だった。時折吹き抜ける乾いた春風が心
地よい。のんびりと、まさに盆栽の世話を
するように剪定していたところ、ふと他の
畝の剪定にあたっている連中の声が、斜
面の上の方から聞こえてくることに気が
ついた。僕の畝が一番作業が遅いのだ。
すこしあせって枝を切るテンポを速めた
が、なかなか追いつかない。そのうち、エ
ルツ氏がサポートに来てくれた。
彼は流石に手馴れたもので、葡萄の木一本あたり30秒もかからずに次々とこなしていく。それ
に比べて僕は考え考え、残されている枝と既に切られた枝を区別するため、先端から付け根
まで辿っていったり、残す長さを吟味したりで、だいたい2分くらいはかけていただろうか。ボラ
ンティアの体験作業でなければ、どやされていたことだろう。

こうして葡萄の樹は、今年の新しい成長に備えてすっきりとした姿に変わった。ひととおり剪定
が終わった後は、残っている枝を弓のように曲げて針金に結わえる作業−整枝−が行われ
る。


作業に一区切りついた所で、休憩になり、国営醸造所のワインが2種類ふるまわれた。2002
『トレヴェラー』−「トリアーの」という意味のラテン語−リースリング辛口は、この醸造所のベー
シックなワインで、国内価格3.60Euro。しかし春風のせいか、葡萄畑の真ん中というロケーショ
ンのせいか、あるいは畑仕事の後のせいか、それは非常に美味しく感じられた。ほのかな甘
みに少しパイナップルのヒントすら感じる凝縮した果実味に、ミネラルのアクセントが効いてい
た。もうひとつは2002トリアラー・ザンクトマキシミーナー・クロイツベルクのリースリングQbAハ
ルプトロッケンで、僕達が作業した畑で出来たワイン。トレヴェラーより果実味は大人しく渋好
みだが、料理にはこちらのほうが抵抗無くあわせることが出来そうだった。4Euro。

午後4時、本日の作業終了。太陽はまだ空高く、シャツは汗ばみ、顔は日焼けしたように火照
っていた。素晴らしい好天に恵まれた、夢の様な春の午後だった。


(2004年3月)



 



剪定を体験した2週間後、今度は針金に枝を結わえる作業を行った。

2本残した母枝のうち一本を、逆U字型に曲げ、先端を固定する。樹液には常に上へ上へと登ろうとする性質がある。弓形に曲げずに放置した場合、樹液は枝の上部に集中し、先端に近い芽から発芽した枝ほど勢いよく伸びる一方、下方の芽から発芽した枝はあまり成長しない。しかし弓型に曲げることで、上へ向かおうとする樹液はカーブの頂点で滞り(Saftstau:樹液停滞と言う)、その結果均等に各芽に行き渡るのだ。枝は基本的に斜面の下の方に向けて曲げる。

作業の日まで晴天が続いたせいで、枝は比較的堅かった。バキバキと音を立てさせながらも
慎重に曲げ、針金の上をまたぐようにして枝を通し、30cmほど下を渡るもう一本の針金の先に
先端の一芽がくるようにして、結びつける。結ぶ素材は昔は一晩水につけてしなやかにした枝
だったが、今はワイヤーである。
最新式の結枝器はホチキスのような按配に一度枝と針
金の向こうで閉じて、手前でもう一度閉じて、手前に引く
と自動的にワイヤーが切れて作業完了。馴れれば作業
効率は向上しそうだが、それまでは普通に、腰にぶら下
げた円筒形の大きな糸巻きのようなワイヤーの束から、
手で適当に引き出して結んでは、剪定用の鋏で切るほう
が楽だった。

仕立方によって枝の結び方も違うし、手間も違う。モーゼルでよく見かける棒ハート型に仕立てるのが、2本の枝を同時に固定するので、一番手間がかかりそうだ。一本、ツアップフ・シュニットと呼ばれる仕立方は、曲げるほど長い枝を残さず短く切り詰めるので、結枝を必要としない。その分作業は楽であるが、葉が出てから樹勢をコントロールするのに注意が必要なのだそうだ。

結枝が終わると、あとは葉が出るのを待つばかりだ。天候にもよるが、5月中には葡萄畑は緑に染まり始めることだろう。
(上:ツァップフ・シュニット。背景に見えるのはローマの円形劇場。
右:葡萄の畝の間に一列おきに植えられた菜の花は、急斜面の土壌流出と乾燥を防ぐ。)

(上・右とも4月9日撮影。右は剪定された
葡萄の枝の先端から滴る樹液。葡萄の
樹が冬眠から覚め、一年の活動を始めた
しるしである。)


(2004年4月)







4月も下旬に入り、木々の緑が日増しに濃くなっていく。ぼんやりと若草色の霞のようにみえた
葉が、次第にその存在感を強め、トリアーの景色は夏の装いをまとい始めた。

6月まで葡萄畑での作業手伝いはこれといって無いのだ
が、畑の様子が気になって見に行くと、ついこの間まで固
い皮に覆われていた芽がほころびて、小さな葉がまるで
開きかけた花のつぼみのように顔をのぞかせていた。

葡萄の展葉は、他の樹木に比べて遅い。ア
ーモンドや桜が花が散ると早々に葉を広げる
のに対して、葡萄はまるで寒さを警戒するか
のように葉を堅い皮の下に覆い隠し、守り続
けていた。それがようやく、5月が近付いてよ
うやく、太陽の下に露にされたのだ。

小さな葉のつぼみは産毛で覆われて、赤みを帯びた色で縁取りされている。それが剪定後に残された目の数だけ、点々と枝に芽吹いている。葡萄農民はその様子を髪飾りに例えるという。

この芽が成長して、今年の果実が実る枝になるの
だ。いままで周囲の木々に遅れを取っていたぶん、
勢いよく枝を伸ばし、やがて葡萄畑が一面の緑に染
まると、6月には開花がはじまる。それまで遅霜など
の被害の無いことを祈ろう。(撮影4月25日)

(2004年4月)






5月2日夕刻、午後8時過ぎの葡萄畑。空にはまだ明るさが残り、東空高く月が昇っている。月光に照らされた葡萄畑は昼間とは雰囲気が変わり、一層生命感に満たされているような気がした。展葉からおよそ一週間、新しい枝が伸び始めている。

葡萄畑は行く度に違う。4月にあれほど一面に咲いてい
た菜の花はすっかり姿を消し、5月9日はけしの花だろう
か、赤い可憐な花があちこちに咲いていた。葡萄は葉を
広げ、益々勢い良く成長している。雨がちな天候の為
か、恐らく病気の始まりだろう、下の写真の葡萄の葉の
ように赤っぽい斑点がみられた。葡萄農家にとって、病
気や害虫との闘いの始まりである。数日後、農薬を散布
していた。

左はシーファー土壌に咲くけし。英語でポピー、フランス語でコクリコというらしい。上は葡萄畑に咲く花にいたてんとう虫。ドイツ語ではマリーエンケーファーという。
てんとう虫の他にも、バッタや蜂なども
みかけた。右の写真では、くまんばちが
けしの花を覗き込んでいるのがわかるだ
ろうか?


葡萄畑の一年・夏へつづく




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