ブルゴーニュ地方では一番の都会と言えるディジョンは、コート・ドールの北の端から少し離れ
た所に位置している。少し離れた、というのは曖昧な言い方だが、ロマネ・コンティの畑まで、自
転車でゆっくり走って約4時間、と言えば大体お分かり頂けるだろうか。そう、2001年の夏、僕
は友人と二人、自転車でブルゴーニュを走ったのだ。
もっとも、最初からそう決めていた訳ではなかった。いくつかの事情が重なって、半ばやむを得
ず自転車に乗らざるを得なくなったのである。まずディジョンの観光案内所でドメーヌ巡りのツ
アーに申し込もうとした所、定員8名という小さな枠は既に満席。それじゃレンタカーを借りよう
という事になったのだが、ヨーロッパで運転できる免許を持っている友人が、レンタカー会社で
受け付けるクレジットカードを持っていなかった。路線バスの時刻も停留所も、観光案内所で聞
いても駅で聞いてもさっぱり要領を得ない。ディジョンに来た目的は、コート・ド・ニュイの葡萄
畑、それもミーハーながら、ロマネ・コンティの畑を自分達の目で確かめる事だったので、最後
の手段として町外れのレンタルサイクル屋で、自転車を借りる事になったのである。
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自転車のレンタル料は半日で62フランだったから、千円もしない。ただ問題は、ヨーロッパでは自転車は基本的に車道を車と一緒に走らなければならない事だ。自転車で歩道を走るのは、条件の無い限り道路交通法違反。左折(日本では右折)の時、トラックや自動車と並んで大通りのレーンを堂々と曲がる自転車を見て、最初は目を疑ったものだ。
しかし実際やってみると、猛スピードで飛ばす車やトラックの脇を、えっちらおっちら、慣れない自転車を漕ぐのは、想像していた程難しくはなかった。後日、ボルドーの街も自転車で走ってみたのだが、あちこちが道路工事で道幅が狭くなっていて怖かった。しかしディジョンはボルドーほど交通量も多くは無く、およそ10分ほどで郊外の住宅地に入った。
(クロ・デ・ラ・ロッシュの畑と僕の借りた自転車。)
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その日、ブルゴーニュの夏空は雲一つ無い快晴で、昼過ぎに出発した事もあり、かなりの暑さ
だった。しかし最初の葡萄畑が、なかなか見えて来ない。マルサネのあたりでやっとなだらかな
平地の彼方まで広がる葡萄畑が現れ、ブルゴーニュに来たんだ、という実感が湧いてきた。デ
ィジョンから約20分ほどだったと思う。
僕たちが走ったのは、"Route des Grands Crus"という、
グラン・クリュの畑の中を貫くようにして、フィサン、ジュブ
レイ・シャンベルタン、モレ・サン・ドニ、シャンボール・ミュ
ジニィ、ヴージョ、ヴォーヌ・ロマネをつなぐ田舎道。村に
入ると右に左に曲がったりするが、要所要所に街道の
標識があり、それに従っていけば、まず迷うことはない。
圧巻はシャンベルタンからヴォーヌ・ロマネに至る間の、
グラン・クリュの畑のオンパレードだった。地図を見なくて
も、葡萄畑に看板が立っているのでそれと判るのだが、
おぉ、これがシャンベルタン!こっちがクロ・ド・ベーズか
と思えばここはボンヌ・マール!という具合で、その昔友
人知人に飲ませてもらった時の味を、朧に思い返しなが
ら夢中で畑を眺めていた。実際眺めてみて判ったのは、
石ころの混じり具合、土の色とかが、畑ひとつひとつ、ほ
んとに違うことだ。フランス人がテロワールを強調する訳
が、少し判ったような気がした。
(シャンベルタン・クロ・ド・ベーズの畑)
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シャンボール・ミュジニィからヴージョの間で、いつの間にワイン街道を外れて、猛スピードで車
が飛ばす国道74号線に出てしまった。危なかったので、葡萄畑の中の農道に自転車を乗り入
れて、彼方に見えるシャトーと思しき建物を目指して葡萄畑を突っ切る事にしたのだが、建物
に近づくにつれて、それがクロ・ド・ヴージョの修道院である事が判った。
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あれが、ブルゴーニュに葡萄栽培を広めた修道院。いつか訪れたいと考えていたのだが、こうして葡萄畑の中からアプローチする事になろうとは。しかし、葡萄畑の中の農道は真っ直ぐには修道院に通じてはおらず、右に行ったり、左に行ったりしているうちに、畑を囲む石の壁にぶちあたって、またもとに戻ったり。まるで迷宮庭園だった。そういえば、クロ・ド・ブージョのクロは、石で囲まれた畑、という意味だったっけ、と畑の名前の由来を思い出した。
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炎天下の葡萄畑を右往左往することしばし、よ
うやく修道院に辿り着いて建物の中を一通り
見学して一休み。喉が乾いたが、あたりには
葡萄畑が広がるばかりでカフェも無く、僕達は
そのままロマネ・コンティの畑を目指す事にし
た。ヴォーヌ・ロマネ村はもう、すぐそこだ。
(修道院でかつて使用されていた葡萄圧搾機。)
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しかし、えいやっと勢いをつけて自転車をこぎ出したとたん、葡萄畑を囲む石壁が途切れて、
そこから畑に囲まれた修道院が見える、素晴らしい景色が出現した。あ、写真にとらなけれ
ば、と思い、とっさに急ブレーキをかけたところ、前輪のブレーキが効きすぎてバランスを崩し、
掌から地上に転げ落ちてしまった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫....あ、血だ。」砂利で両掌に出来た傷から、血がにじんでいた。
「あ〜あ、しっかりして下さいよぉ。」
「いや、すまん。つい見とれてしまって。しかし、両掌から血を流して、まるで聖痕みたいじゃな
いか?主よ、哀れみたまえ!なんちゃって。」
「やれやれ、その様子なら、大したことないですね!」
元修道院で手を洗ってハンカチを巻いて、再出発。念願だった修道院を訪問出来て、少し気が
ゆるんでいたのかもしれなかった。
エシェゾーの畑を抜けて、ヴォーヌ・ロマネ村に入ると、心なしかこれまでの村とは少し違って、
こぎれいな雰囲気。通り過ぎるドメーヌも、どこか裕福な様子が漂っている気がした。
案内板で位置を確かめて、村の上へ出る一本の小径を抜けた突き当たりが、その日の僕たち
のゴールだった。時に午後6時半。強烈だった日射しも傾き、夏の夕暮れの中に佇むロマネ・
コンティの十字架が、僕たちを出迎えてくれた。
「やったなぁ、おぃ!」
「ついに着きましたね!」
「ホントに来たんだ!」
「すごいですよ、目の前がロマネ・コンティで右がリシュブー
ルでしょ、後ろを村まで広がってるのがロマネ・サンヴィヴァ
ンで、斜面の上がラ・ロマネ。このへんの畑で採れるワイン
全部、一本づつでいいから毎年飲みたいですねぇ。」
「そうだなぁ、これだけ葡萄の木があるんだからなぁ。俺達
の分もとれそうなもんだけどな。」
「でも、高いですからねぇ。」
「そうだなぁ、高いよなぁ。」
「ま、写真とるだけならタダだから、せめて記念写真でも。」
「そうするか。」
という訳で、写真を撮って帰途についた。
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しかし、ロマネコンティとリシュブールは、ホントに畝ひとつ隔てただけで、見た目には土壌から
も葡萄からも、ほとんど違いが判らなかった。一度DRCリシュブールとロマネコンティを、ゆっく
り比べて飲みたい.....しかし、いつになることか。
帰りは、偶然にもバス停が見つかり、しかも上手い具合に、ものの数分でディジョン行きのバス
が来た。乗るのか、どうするのか?とパッシングで合図しながら近づいて来て停まったバスの
運転手に、自転車を載せてくれるかどうか聞くと「ノー・プロブレム!」との答え。天の助けとは、
正にこの事だった。もしも帰りも自転車だったら、ディジョン着は早くても夜の10時。暗くて道も
判らなくなっていたかもしれなかった。
4時間かけて走り通した道も、バスだと、ものの30分にすぎなかった。午後7時半、まだ明るい
ディジョンで親切なバスの運転手にただただ感謝して別れ、ホテルに帰り着く。二人ともすっか
り日に焼けて、Tシャツも汗くさかった。それでも達成感とともに、快適な疲労に満たされてい
た。
(補記:この訪問記は2001年8月にNiftyServe 酒フォーラムFsakeに報告したものですが、Fsake閉店によりFsake上
の報告も消滅したため、2004年4月HP用に改訂、改めて公開しました。)
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