5月中旬のある晴れた日曜日。
葡萄畑が広がる斜面の上を、雲がゆっくりと流れていく。芽吹いて間もない葡萄の樹の畝の間に、可憐な黄色い花が地面を埋め尽くす様にして咲き、草むらのタンポポとともに初夏の景色に彩りを添えていた。





(Maximin Gruenhaeuser Herrenbergの畑)

ルーヴァーの奥地へと向かう県道を途中でわき道にそれると、今回の目的地、フォン・シューベルト醸造所がある。醸
造所というよりは、昔の貴族の別荘、あるいは修道院と言った方がよい佇まいだ。館へと向かう坂道を登り、堂々とし
た石造りの城門をくぐる。中庭の散歩道に敷き詰められた砂利を踏みしめつつ奥へ向かうと、玄関の上にマリア像を
抱いた黄色い館が正面に現れる。その左隣にツタに覆われた緑の館があり、今日の2003年産新酒試飲会はここで
開催されていた。



近年、この醸造所のワインの評判は、とりわけドイツのワインジャーナリズムに芳しくない。少なくともゴー・ミヨのドイ
ツワインガイドでは厳しい評価が続いている。2003年版のコメントの一節を紹介しよう。

『....1999年以来、醸造所はそれまでのよい方向への発展とは反対の方向へ向かっているように見える。ルーヴァー
地区で一般にすばらしい生産年でさえ、グリュンホイザーのワインは、意外にも近隣の同様な著名醸造所のワインに
及ばない出来であったことは確かだ。2000年産に至っては、どうしてこうなるのか、理解に苦しむワインもあった。確
かに2000年はザールとルーヴァーにとっていわゆる良年ではない。しかしながら辛口のグーツワインは、この由緒あ
る醸造所のワインでは長らくお目にかかったことがない、ごくありきたりの出来であった。過去を振り返ってみよう。
1984年、1987年といった困難な生産年でさえ、常に信頼に足る出来のワインをもたらし、全国でその年に生産された
ワインの中でも、最も優れたもののひとつだったではないか。...昔日の栄光はどこにあるのか、テロワールは一体どこ
へ消えうせてしまったのか?』

この歯に絹着せない厳しいコメントの行間からは、ワインガイドの筆者のこの醸造所に対する愛情、そしてもどかしさ
が滲み出ているように思われる。その翌年秋に出版された2004年版では、2002年産について『終わりの見えない』
凋落という評とともに、それまで毎年2ページを割いていたのが1ページへ、醸造所評もごく短くなり、評価も4つ房か
ら3つ房へと減った。



1995年版の同ガイドブックで全ドイツ最上の醸造所に選ばれた時、オーナーのカール・フェルディナンド・フォン・シュ
ーベルト氏と共に、ケラーマイスターのアルフォンス・ハインリヒ氏が並んで写ったポートレートが大きく載った。シュー
ベルト氏はいつもの癖で左手をポケットに突っ込んだ姿勢で立ち、その右にハインリヒ氏が、まさにシューベルト氏の
右腕であることを示すかのように背筋を伸ばし、朴訥とした笑みを浮かべて立っている。1952年以来、43年間にわた
って醸造所で働いてきたハインリヒ氏は当時66歳。隣に立つシューベルトがまだ幼い頃から知っている彼は、醸造所
一番の古株−畑に植わる葡萄の樹を含めて−であった。古株ではあるが、かくしゃくとして、見事な仕事ぶりも見せ
続けていた。

昨年2003年秋に収穫の最中フォン・シューベルト醸造所を訪れた際、ハインリヒ氏はひとり事務所に座り、僕達が買
ったワインの本数と値段を、時間をかけて丁寧に計算してくれた。一人一人、ワインリストを丁寧に折りたたんでは手
渡し、計算が終わるとこれでいいかと言うかのように、相手の目を覗き込んでいた。机一つしかない狭い事務所の扉
の向こうからは、葡萄を満載したコンテナを運んで行き来するフォークリフトのたてる騒音と、水平式圧搾機を回転さ
せるモーターの低いうなり、作業指示をとばす管理者の声がかすかに聞こえてくる。部屋の外の活気に満ちたせわし
なさから、ハインリヒ氏のいる一角だけ切り離され、孤立しているような感じだった。彼が文字通り現役なのかどう
か、その時僕にはわからなかった。

『齢73歳にして未だに在職している彼は、勤続50周年という稀有な機会を祝ったのである。』
2003年版のゴー・ミヨのこの一行に、婉曲な皮肉が込められているように思われるのは、気のせいだろうか。



新酒試飲会が行われている『騎士の間』と呼ばれている部屋
では、すでに30人前後の人々が試飲しており、その間を縫う
ようにしてシューベルト氏が動き回り、休むことなく会話してい
た。彼の奥さんも時々醸造所特製のイノシシのサラミや酢漬
けのピクルスをのせたパンをサービスしながら応対に余念が
ない。新緑の見える北向きの窓に沿ったテーブルに、辛口か
ら極甘口まで26種類の2003年産が並び、二人の男がワイン
を注ぎ、質問に答えていた。一人は以前からハインリヒ氏の下
で働いている醸造主任だったが、もう一人の若者ははじめて
見る顔だった。

醸造所にとって2003年は起死回生をかけたワインであるはずだ。100年に一度の猛暑と乾燥で、糖度は軒並みアウ
スレーゼ並みに上がったが、発酵の結果アルコールは高くなったものの、酸度不足でアフタが短かいワインが多いな
かで、フォン・シューベルト醸造所のワインの仕上がりはどうだろうか。

1. 2003 Maximin Gruenhaeuser Riesling QbA trocken (1 Liter)
一番ベーシックなワインだが洋ナシや柑橘のアロマが豊かで魅力的。複雑ではないもののクリーミーな口当たり、ア
フタにミネラルがしっかり残る。他のワインへの期待が高まる。84
2. 2003 Herrenberg QbA trocken
濃いめのアロマ、完熟した柑橘のヒント。やや酸が弱いが、柑橘、洋ナシのフルーツ感は明瞭。フルーティでミネラリ
ッシュなアフタ。83
3. 2003 Abtsberg QbA trocken
フレッシュな柑橘のアロマが爽快。アフタにミネラルがしっかりと舌に残る。83
4. 2003 Herrenberg Kabinett trocken
濃いめでクリーミィなアロマ、完熟した柑橘、ほのかにマンゴー、
アフタにミネラル。84
5. 2003 Abtsberg Kabinett trocken
閉じ気味の香り、酸が弱い一方でミネラルがしっかりしており、堅
くややそっけない印象を与える。82
6. 2003 Herrenberg Spaetlese trocken
スパイシーなアロマ、軽く痛みかけたグレープフルーツのヒント、ミ
ネラル。84
7. 2003 Abtsberg Spaetlese trocken
閉じ気味の香り、かすかに栗と柑橘。柑橘のヒント、ミネラルが強
く、閉じた印象。83
8. 2003 Abtsberg Auslese trocken
完熟したグレープフルーツ、濃厚なアロマ、複雑。アルコールに乗
った華やかなフルーツのアロマ、リンゴ、パイナップル、生クリー
ム、アフタにミネラル。繊細で複雑、かつ上品。86
9. 2003 Herrenberg halbtrocken
完熟したグレープフルーツにしっかりしたミネラル。スパイシー。84
10. 2003 Abtsberg Kabinett halbtrocken
まだ閉じ気味。さっぱりとした柑橘で、ややそっけない。82
11. 2003 Herrenberg QbA
フレッシュなアロマにグレープフルーツのヒント。たっぷりした柑橘、黄リンゴ、かすかにマンゴ。アロマティック。83
12. 2003 Abtsberg QbA
香りは閉じている。クリーミィ、完熟したグレープフルーツ、青リンゴ、しっかりしたミネラル、アフタにも青リンゴ。熟し
た酸味とはこういうものか、と思わせる。84
13. 2003 Herrenberg Kabinett
発酵の香り。柑橘、グレープフルーツ、赤リンゴのヒント、ミネラルのアフタ。83
14. 2003 Abtsberg Kabinett
絶え間なく立ち上るフルーツのアロマ、黄リンゴのヒント、複雑。たっぷりとした舌ざわりの果実味、黄リンゴ、桃、生
クリーム、ミネラル。86
15. 2003 Herrenberg Spaetlese
香りは閉じている。黄リンゴ、メロン、なめらかなボディ、アフタにミネラル、たっぷりとした甘み。85
16. 2003 Abtsberg Spaetlese
シーファーのアロマ、完熟した柑橘、繊細なアロマ。たっぷりした甘みにリンゴの蜜、生クリームのヒント。85
17. 2003 Herrenberg Auslese
クリーミィな柑橘、シーファーのヒント。柑橘の蜂蜜、桃、黄リンゴ、ミネラル。ややアフタは短め。85
18. 2003 Absberg Auslese
青リンゴと柑橘のアロマ、さっぱりして繊細。軽めだが香り高い。85
19. 2003 Herrenberg Auslese Nr. 127
香りは閉じている。たっぷりとして複雑、青リンゴ、柑橘、ややこってりとまとまった果実味の塊、桃、ハーブ、見事な
一体感、アフタにミネラル。87
20. 2003 Abtsberg Auslese Nr. 122
香りは閉じている。柑橘、リンゴ、やや強いミネラルの苦味、グレープフルーツ、たっぷりした果実感。85
21. 2003 Abtsberg Auslese Nr. 70
香りは閉じている。柑橘、フレッシュ、ハーブ、クリーン。アフタに堅めのミネラル、青リンゴ。繊細で上品。85
22. 2003 Abtsberg Auslese Nr. 155
濃厚、クリーミィ、複雑、青リンゴのエッセンス、香り高い。アフタにミネラル。86
23. 2003 Herrenberg Beerenauslese
香りは閉じている。柑橘、シーファー、ボトリティス、アプリコット、濃厚、複雑、
アフタにミネラル。88
24. 2003 Abtsberg Beerenauselese
濃厚、複雑、蜂蜜、氷砂糖、ボトリティス、非常に香り高く複雑。濃厚な甘み、
長いアフタ、蜂蜜に漬けた香草のヒント。Excellent! 93
25. 2003 Absberg Eiswein
緑のハーブ、蜂蜜の甘み、長いアフタ、エッセンス。酸はやや弱いが上品。87
26. 2003 Abtsberg TBA
香草のアロマ、濃厚、アカシアの蜂蜜、凝縮した長いアフタ、アロマティック。
まだ閉じているが、舌の上で香り立つ濃厚でなめらかな甘みの塊。200エクス
レ以上。熟成のポテンシャル大。95


(2003 TBAの入った試飲グラス。長いレッグが見えるだろうか。)



ひととおり試飲を終え、最後のTBAをほっとした気分で舌の上で転がし、飲み込んだ。これはさすがに吐き出す気に
はなれなかったし、もはや素面を頑なに守る必要もなかった。会場に来たときから気になっていた、ワインをサーブし
ている若者が近くにいたので、少し話をしてみた。

「この醸造所で働いているんですか?」
「えぇ、2月からここで働いています。今は畑の世話と販売を担当していますが、6月から醸造責任者のハインリヒ氏
の後を引き継ぐ予定です。クラムルといいます。去年までは、カンツェムのフォン・オテグラーフェン醸造所で働いてい
ました。」
「え、あのクラムルさんですか?低迷に悩んでいた醸造所の評判を、一気に引き上げた?」
「はい。」

これは、驚きだった。1999年に突然辞めてしまったケラーマイスターの跡を引き継いだ、ガイゼンハイムで醸造学を修めたばかりのクラムル氏は、その後着実にフォン・オテグラーフェン醸造所の評判を高めてきた。彼がフォン・オテグラーフェン醸造所で手がけた2002年産は、辛口から甘口まで濃厚で気品があり、輝くような柑橘の果実味にミネラルがしっかりと編みこまれた、印象的なワインだった。2002年産から特に優れた一角をエアステ・ラーゲとして別に醸造するなど、品質に一層の磨きをかけ、ゴー・ミヨでの評価も2004年版で2つ房から3つ房へと上げた。それが昨年秋のことである。




(フォン・シューベルト醸造所の将来を担うシュテファン・クラムル氏。)

「オテグラーフェン醸造所のオーナーのケーゲルさんは、何と言っていましたか。」
「喜んではくれませんでしたけど、フォン・シューベルト醸造所で腕を振るう機会は非常に魅力的でしたから。」

ハインリヒ氏は今年の6月を最後に引退し、その後葡萄栽培から醸造まで、全て彼の指示によって行われることにな
る。2004年産からフォン・シューベルト醸造所のワインが変貌を遂げるであろうことは間違いない。

しかしそれにしても、フォン・オテグラーフェン醸造所はこれからというときに、貴重な人材を失ったものだ。そしてま
た、フォン・シューベルト醸造所も思い切った人材獲得に走ったものだ。醸造所の生き残りをかけた必死の闘いを、垣
間見た思いがした。



フォン・シューベルト醸造所の2003年産は、辛口・中辛口は他の醸造所と同様に酸が控えめでアフタが短い傾向が
あるが、ミネラルの堅さも同時に目立つ。よく言えばミネラルのしっかりしたワインだが、酸が少ないことも手伝って、
ミネラルと果実味のバランスが特に辛口で今一歩とれていない感がある。もっとも、これはあくまでも個人的な印象で
ある。そうした中でも1, 4, 6, 8は健闘しており、とりわけ8は大きなワインだと思うが、価格も21Euroと高価だ。甘口は
辛口・中辛口よりも完熟したフルーツのアロマが素直で楽しめる。酸の低さも辛口ほど気にならない。なかでも14, 16
のAbtsbergのカビネット, シュペートレーゼは複雑で香り高く楽しめる。17, 18の番号なしのアウスレーゼはシュペート
レーゼとあまり差がなく、17は酸の低さからくるアフタの短さが残念。番号つきのアウスレーゼは最も安い(といっても
25Euroだが)Nr. 127が、一体感と複雑さで最も魅力的だった。25のアイスワインは酸がやや弱く繊細で可憐。24,
26は偉大なワインと言ってよいと思う(それぞれ170Euro, 250Euro)。



試飲会の後、醸造所の正面に聳えるグリュンハウスの葡萄畑を散歩した。初夏の日差しの照りつける畑を斜面の中ほどから見渡すと、なだらかにうねるようにして広がっている。あと一ヶ月もしないうちに葡萄は開花を迎え、間もなく実を結ぶのだ。伸び始めたばかりの枝を見ながら、クラムル氏の指揮のもとで新生フォン・シューベルト醸造所のワインは、一体どんな品揃え、味になるのか、今から楽しみに思われた。



(Maximin Gruenhaeuser Abtsbergのリースリング。麓に醸造所が見える。)

(2004年5月)

この醸造所の以前の訪問記:2003/10, 2003/6, 2002/2, 1999/8
フォン・オテグラーフェン醸造所訪問記:2003/10




トップへ
戻る