その日は7月にしては肌寒く、灰色の雲が空一面を覆い、雨で水かさの増したモーゼル河は、
ツェルティンゲン村の河沿いにある駐車場を兼ねた公園に、今にもあふれそうな水位で流れて
いた。

今回最初の訪問先であるゼルバッハ・オースター醸造所は、河沿いの公園から道路一つ隔て
た先にある。1993年12月の大洪水では、地下蔵はもちろん母屋まで大規模な改修を余儀なく
されるほどの被害を受けたという。唯一昔と変わっていない一角が、スレート岩で出来た階段
を上がり、道路と扉を一枚隔てた来客用の試飲室だ。テーブルが二つあり、それぞれを椅子と
ソファが囲んでいる。少しして、バーバラ・ゼルバッハさんが現れた。オーナーであるヨハネス・
ゼルバッハ氏の奥さんである。



バーバラさん(左写真)は、ヨハネス氏とアメリカ留学中に知り合った。二人ともケルン大学で経営学を学んだ後の留学で、ヨハネス氏はバーバラさんがドイツへ帰国した後も留学を一年延長し、出来ればモーゼルへ戻ることなく、そのままアメリカで就職することを考えていた。

実家である1661年以来続く醸造所は、父の醸造の腕前と母の経営の才覚で順調だった。祖父の代には自家用蒸気船を所有し、モーゼルからライン河を下って北海沿岸の港湾都市まで樽を積んで運んだという。

ヨハネス氏が将来を模索していた当時、ドイツの片田舎に縛られ、急斜面の葡萄畑での重労働に追われる一生から、なんとか逃れたいという願いを、大部分のモーゼルの若者が持っていた。ヨハネス・ゼルバッハ氏もまたその一人だったのだ。しかし最終的に彼は、モーゼルに戻る決心をした。1988年のことだ。

アメリカから帰国したヨハネス氏は、大学で経営学を修めてはいたが、醸造学校など専門の施
設で醸造学を学んだことはなかった。そこでトリアーにあるビショフリッヒェ・ヴァインギューター
をはじめとする醸造所で実習しながら、もっぱら父から畑の世話と醸造のノウハウを学んだ。

1989年にバーバラさんと結婚し、1995年に父から醸造所の経営責任を引き継ぎ、現在に至っ
ている。醸造責任は父のハンス氏とクラウス=ライナー・シェーファー氏が継続して担い、ヨハ
ネス氏は世界中を旅してワインをプレゼンテーションしてまわっている。約14万本生産されるワ
インのうち、その三分の二が輸出される。数年前からのリースリング人気もあり、経営は順調
のようだ。昨年も2haほど畑を買い足している。先月は韓国へ行ってきたばかりで、確かな手ご
たえを感じたそうだ。



合計約16haを所有する畑は、ツェルティンゲン村にはシュロスベルク、ゾンネンウアー、ヒンメ
ルライヒの3つの畑、ヴェーレン村にはゾンネンウアー、グラーハ村にはドームプロプスト、そし
てベルンカステル村にはバートシュトゥーベの畑がある。97%がリースリング。

この醸造所が目指すのは、繊細で調和のとれた典型的なモーゼルなのだが、2003年は意に
反して「ボリューム感のある」ワインになってしまった、とバーバラさんは言う。100年に一度とい
われる猛暑がヨーロッパを襲ったその年、モーゼルだけでなくドイツ全体の葡萄畑のほとんど
がダメージを受け、ゼルバッハ・オースター醸造所の畑も例外ではなかった。

その対策として、まず例年通り家畜の糞混じりの麦わらを畑に敷いた。これは土壌の生態系を
整えるとともに、水分の蒸発を防ぐ効果がある。昨年はさらに給水を行った。しかし急斜面の
シーファー土壌の畑では、単に放水しても土壌の表面を麓まで流れ落ちるだけで意味がない
ため、苗木を植える時に使う棒で地面に沢山の穴を開け、そこに水が溜まるようにした。収穫
は10月の中旬から開始したが、その3週間前の9月末にまとまった降水があり、それで葡萄は
収穫直前にストレスから快復することができたという。



実際に試飲してみると、確かに2003年らしく熟した柑橘の酸味が柔らかい。しかしボリューム感
があっても決して重くはなく、むしろ調和を保ちつつ軽やかに広がるように感じられる。収穫時
の糖度はQbAから既に85エクスレ以上、ほとんどは90から100エクスレ前後に達した。現行のド
イツワイン法上はシュペートレーゼ、アウスレーゼを悠々名乗ることができるが、顧客のニーズ
に対応してQbA,カビネット、シュペートレーゼへと格下げを行った。

1. 2003er Zeltinger Schlossberg QbA trocken
ほのかに桃が香る、軽くしなやかなフルーツ、ミネラルもしっかり。残糖7g/Liter。84
「モーゼルの辛口には適度な残糖が必要不可欠」とバーバラさんは言う。「南のワインはアルコ
ールが甘みを与えるが、アルコールが低いモーゼルにとって、残糖がアルコールの甘みの代
わりになって全体のバランスを整える」そうだ。

2. 2003er Zeltinger Schlossberg Riesling Spaetlese trocken
繊細で張りのある果実味、目の詰まった完熟した柑橘、白桃のヒント、アフタにミネラルがバランスよく残る。86
青色デヴォンシーファーが混じったシュロスベルクのワインは、燻したようなアロマとがっちりし
たボディが特徴だという。

3. 2003er Zeltinger Himmelreich Riesling Kabinett halbtrocken
香りは閉じている。この醸造所らしく繊細で調和がとれており、熟した酸味が魅力。アフタにミネラル。84
ヒンメルライヒは食事にあわせて飲むタイプのワインに向く畑だという。

4. 2002er Bernkasteler Badstube Riesling Kabinett
2002年らしく落ち着いた柑橘とミネラルの香り。ミネラリッシュで香り豊か。グレープフルーツ、しっかりしたミネラル
感。85
この畑の土壌はシーファーと粘土質Lehmの土壌で、バロックな個性のワインがとれるそうだ。

5. 2003er Zeltinger Sonnenuhr Riesling Kabinett
内気な香り、繊細。軽くアロマティック、リンゴのヒント。アフタに柑橘と
リンゴの中間、熟した酸味、ミネラル。クリーンなフルーツ感。軽くスイ
スイ飲めて、それでいて物足りなくない。85
ゾンネンウアーからはほっそりとしたワインが出来る。

6. 2003er Wehlener Sonnenuhr Riesling Spaetlese
アロマティック、フルーティ、リンゴや桃のヒント、しなやかな甘み。86

7. 2003er Zeltinger Sonnenuhr Riesling Auslese
蜂蜜、ピュア、広がりのある綺麗なフルーツ感、完璧な調和、白桃の
ヒント。89

8. 2003er Graacher Domprobst Riesling Auslese**
気品のある、クリーミィな舌触り、紅茶、リンゴのヒント、きっちりと編み
こまれたミネラル、軽さを保ちつつ力強い。ボトリティスのついた収穫
を約2割使用。90
9. 2003er Zeltinger Himmereich Riesling Eiswein
セメダイン、複雑で緻密で上品、完熟したグレープフルーツの甘み、オレンジの蜂蜜、長いアフタ。92
10月25日と12月31日大晦日早朝の収穫をブレンド。前者は160エクスレに達した。
アイスワインの収穫は、早朝から行われる。
気象予報で翌朝の最低気温がマイナス8度を越えそうな夜、2回から3回葡萄の様子を見て回
る。夜12時ころはまだ葡萄は凍っていないが、早朝5時頃収穫を開始するころには、まるで乾
燥した豆のようにカチカチに凍っている。太陽はまだ昇っていない。暗闇の中、農道に置いた
スポットライトと畑に向けて駐車した自動車のヘッドライトの光の中での作業だ。氷点下の寒さ
で透き通るような静寂の中、聞こえてくるのは発電機と車のエンジンの低い唸り声、収穫チー
ムの雑談だけだ。およそ1時間ほどで収穫は終了。溶ける前に一抱えほどの大きさの小型圧
搾機に投入、細長い穴から滲み出すように果汁が流れ出る。それが発酵を経て、アイスワイン
となる。



あっという間に時間が過ぎて、次の醸造所の予約の時間が迫っていた。
気に入ったワインを数本あたふたとカートンに入れてもらって買い込み、僕達は大急ぎでライ
ヴェン村へと向かった。

(つづく)

Weingut Selbach-Oster
Uferallee23
54492 Zeltingen/Mosel
Tel. +49(6532)2081
Fax. +49(6532)4014
Email: info@selbach-oster.de
訪問には事前の予約が必要です。

(2004年7月)




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