今年のドイツは昨年とは打って変わった冷夏で、雨勝ちなどんよりと曇った日が多い。曇って
いるうちは肌寒いのだが、それでも太陽が出ると数分のうちに一気に気温が上昇し、猛烈に暑
くなる。湿度は日本ほど高くは無いが、それでも葡萄の病気の発生しやすい環境で、農家にと
っては薬剤散布に忙しい今日このごろだ。



先日、モーゼル中流にあるユルツィヒ村のメンヒ
ホフ醸造所が、毎年7月の第三週末に開催する
祭りに行ってきた。昼は醸造所前にテントが張ら
れ、仮設スタンドで出されるワインとともに、グリ
ルで焼かれたソーセージや肉が販売され、土曜
の夜は花火があがる。土曜の午後、訪れていた
のは醸造所の顧客に通りすがりの観光客も含め
て3〜40人程度。すぐそばを流れるモーゼル河を
ながめながら、メンヒホフ醸造所とJoh.Jos.クリス
トッフェル醸造所-2001年からハンス・レオ・クリス
トッフェル氏の引退を機に、メンヒホフが管理運
営を引き受けている-のワインを落ち着いて飲む
にはいい機会だった。

お客が少ないのは時間が早かったこともあるが、交通の便が悪いということもある。土曜日に
ユルツィヒ村を通るバスはわずか4本。また、最寄の鉄道駅までは徒歩1時間ほどかかる。醸
造所に辿り着くには車か、さもなければ多少の体力と気力が必要だ。しかしその途中通るの
は、見渡す限り葡萄畑が埋め尽くした斜面である。葡萄の様子やユルツィガー・ヴュルツガル
テン、エルデナー・プレラート、トレプヒェンといった名だたる畑を目前にするだけで心が浮き立
つ。

手前がユルツィガー・ヴュルツガルテン、中央岩場の麓がエルデナー・プレラート、そのむこうがエルデナー・トレプヒェンの葡萄畑。右下の集落がユルツィヒ村。

その日、路線工事のためヴィットリッヒの駅で代理運行するバスに乗り換えた。
ユルツィヒで降りたい旨、運転手にあらかじめ伝えておいた。そろそろ目的地が近付いたところ
で、バスが不意に道端に止まった。
「あんたたち、ユルツィヒへ行くんだろ。」
「ええ、河沿いの醸造所へ行くんです。」
「だったら、ここで降りなよ。その方がずっと近いよ。」
運転手の言うとおり、そこはユルツィヒの葡萄畑の斜面が始まる頂上に近い所だった。気を利
かせて停まってくれたのだ。彼に感謝して降りると、バスはそこから河とは反対の方向むけて
走り去っていった。歩けば30分はかかる距離を節約できたことになる。

少し歩くと、すぐに葡萄畑に入った。ユルツィガー・ヴュルツガルテンだ。斜面の下方には葡萄畑の懐に抱かれるようにして佇む村が見える。16世紀以来の趣と由緒のある建物も多い。この村が商業的に栄えたのは蒸気船や鉄道の登場で遠隔交易が容易になり、大手ワイン商が台頭する19世紀以降だ。左手下流の方角にはエルデナー・プレラート、さらに遠くにトレプヒェンの畑が見える。頭をめぐらして右手上流にはツェルティンゲンの畑が見えるが、北東向きの斜面に上等な畑はない。左右幅およそ2kmに渡って広がるヴュルツガルテンの畑の最上の南向きの一角が、メンヒホフ醸造所の背後に広がっている。斜面の上から川縁まで徒歩の場合、車道をショートカットして葡萄畑を貫く階段を、まっすぐに集落に向かって降りていくことが出来る。行きは下りなので楽だが、帰りの登りはかなりきつい。ワインの酔いで足元がふらついていれば、なおさらである。




メンヒホフ醸造所は、その名前の示す様に1177年以来ヒンメロートの修道院によって運営され、1804年にナポレオンによる聖界所領解体で現オーナーであるアイマエル家の手に渡った。1509年だから築およそ500年。近年補修工事を終えたばかりの建物は輝くばかりで、それほど古い−もちろん500年の間に何度も増改築を繰り返して来ているが−ようにはとても見えない。
醸造所の半地下には酒蔵がある。ほとんど地上と言っても
いいくらいの高さなのだが、河から20mと離れていない岸辺
にあることと、分厚い石壁のため、中に入ると真夏でもヒン
ヤリとして涼しい。ワインは全て伝統的なフーダーと呼ばれ
る千リットル入りの木樽で醸造される。「木樽は生きた素材
です。」と醸造所の管理者のひとりであるフォルカー・ベッシ
ュ氏は言う。生き物であるワインは、木樽の方が無機質で生
命の無い素材であるステンレスよりいい結果が出ると考えて
いるそうだ。


(醸造所の酒蔵。洪水で水没したときも樽が浮かないよう、ワイヤで床に固
定してある。)



醸造所の看板葡萄畑であるユルツィガー・ヴュルツガルテンは、13世紀の古文書にwurzegardの綴りで現れる。その由来は、修道院がもともと香草(ゲヴュルツ)の栽培に日当たりのよい斜面を利用していたことによる。中世から近世にかけて、ワイン造りと香草栽培は密接に結びついていた。というのは、香草で香り付けされたワインが好まれていたからだ。15世紀のレシピによれば、3.5リットルのワインに香草入り蜂蜜500gを加えて一煮立ちさせ、サフラン8g、生姜16g、クローブ16g、りょうきょう8g、胡椒8g、シナモン8gをしばらく漬けたあと、透明になるまで布袋でよく濾すべし、とある。現在でもヴュルツガルテンの斜面の一角には香草畑が広がっている。綴れ折りになった散歩道を下ると、風に乗って様々な香草の匂いが漂ってくる。
ユルツィヒ村の香草畑。



記録的な猛暑と水不足が襲った昨年、醸造所の収穫は平年のおよそ半分になった、とオーナーのアイマエル氏は言っていた。ベビーフェイスの気さくな親父だが、同時にビジネスライクな一面もある。2003年産の一般消費者向けの価格を約2倍に引き上げたのだ。例えば2002年産ユルツィガー・ヴュルツガルテンのシュペートレーゼは9.8ユーロだったのが、2003年産はなんと18.50ユーロである。収穫時の糖度はQbA以上全てアウスレーゼ並みであること、生産量が少なかったことなど顧客にはよく説明したから、これといって値上げによる苦情はなく、売れ行きもいいよ、と言っていた。


(オーナーのロバート・アイマエル氏。祭りではワインだけでなく、ビールも売られていた。)

2003年産は大概の醸造所が値上げをしているが、ほんの数セントから1,2ユーロ前後が大半で
ある。2倍というのはどう見ても極端だ。にもかかわらず反発がないのはおかしいと思っていた
ら案の定、レストランやワイン商向けの価格は値上げをしていないことを、とあるワイン屋の店
長から聞いた。醸造所からすれば、一般消費者への直売は些細なものだし、長年のお得意様
には業者向けの価格で納得していただいて、ワイン商へは利ざやの大きさで商品としての魅
力をアピールしようということなのだろう。ちなみに、最近醸造所のサイト(www.moenchhof.de)
でもワインが注文できるようになった。基本的にドイツ国内のみの出荷だが、海外への場合は
「電話で」問い合わせて欲しい、とある。



醸造所の一角に設けられた試飲カウンターで2003
年産をいくつか試飲してみた。いずれも果実味の綺
麗な調和の取れた味わいで、酸度不足など猛暑の
ネガティブな影響はほとんど感じられない。果実味
も2003年産にしばしば見られる焼きリンゴのヒント
は少なく、完熟したグレープフルーツのたっぷりし
た、アフタにミネラルと酸味のキレが残るいいワイン
である。給水は行わず、堆肥を畑に敷いて保水を
心がけた程度だというから、恐らく根が地下深くまで
伸びた古木が多いことが幸いしたのだろう。しかし
同時に、2002年産とのワインそのものの出来栄え
に差はあまりない。だから、値上げされた価格に見
合った味であるかどうかは、一考の余地がある。願
わくば、極端な価格は今年限りであってほしいと思う
し、それは販売量の半分を占めるドイツ国内の消費
者の反応次第だろう。



午後4時すぎ、醸造所を後にした。久しぶりに晴れた空高く、真夏の太陽が輝いていた。葡萄
畑を貫く急な階段を、ユルツィヒの駅に向かって登った。心臓は破裂しそうに鼓動し、額からは
汗が滴り落ちた。タクシーを呼んでもらうんだったかな、と少し後悔しながら、あえぎあえぎ、そ
れでも一歩一歩駅へと近付いて行った。

(2004年7月)



Weingut Moenchhof
Moenchhof
54539 Uerzig/Mosel
Tel. +49(6532)93164
Fax. +49(6532)93166
Email: moenchhof.eymael@t-online.de
HP: www.moenchhof.de
訪問受付時間:月〜金 9:00-20:00, 土11:00-20:00 日曜は要予約






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