7月始めのとある週末、郊外の葡萄畑を写真を撮りながら散歩していた。
雨がちな日が続いていたので、葡萄の葉には黴が原因で出来るでこぼことした凹凸がみられ、どこからともなく農薬
散布のトラクターの音が聞こえていた。次第にその騒音が近づくにつれて、運転している農夫が手を振るのが見え
た。オレーヴィヒの醸造所のご主人、ペーター・テルゲスさんだった。

「よぉ、元気けぇ」オレーヴィヒ弁−トリアー郊外のほんの一区画でありなが
ら、オレーヴィヒ弁講座がローカル放送で開講されたこともあるほど、独特
の訛りである−で挨拶された。ワインスタンドやワイン祭りでの顔見知りで
ある。
「はい、おかげさまで。」と僕。
「散歩けぇ?」
「えぇ、葡萄の写真をとりながら。」
「うん、そりゃええ。んでよ、こんどの28日、ウチの娘がトリアーのワイン女
王になるんだけんども、戴冠式よかった見にこんけぇ」
「それは、おめでとうございます!でもいいんですか、一般の人が行って
も」
「かまわねぇよぉ、オレに一声かけてくれりゃあ大丈夫だぁ!」

...という訳で、オレーヴィヒのワイン祭りの前夜祭ともいえる地元ワイン女王
の戴冠式を見に行くことになった。

(トラクターの上のテルゲスさん。)



トリアーに限らず大抵のワイン村では、夏祭りのハイライト、あるいは前夜祭として、ワイン女王の戴冠式が行われ
る。村のワイン女王−言ってみれば村の看板娘−の条件は、当然地元の村出身の未婚の女性に限られる。その審
査は村の醸造所団体が行うが、近年候補者探しに苦労する村が多い。

女の子達にしてみれば、ダサいお姫様衣装を着せられて年に何十回も人前に引き出され、普段はコカコーラやカクテ
ルを飲んでいるのでさほど親しみのないワインを称えるスピーチをしなければならない上、村の役員達の退屈な長話
に、たとえ心の中でうんざりしていても笑顔を振りまいてご機嫌をとらなければならないという、苦行に近いボランティ
アなのである。

そんな訳で、ワイン女王の前提条件も以前はワイン農家の娘に限られていたが、近年は副業・兼業を問わずなんら
かの形でワイン産業に関係のある家庭の出身であること、と規定がゆるめられている。それでも今年はザールのワイ
ン女王の候補者が決まらず、毎年戴冠式が行われる7月のコンツのワイン祭りでは、ハイライトである戴冠式がお流
れになった。最近になってようやくワイン村アイルの出身ではあるがワイン農家と関係のない家庭の女の子が、立て
られた白羽の矢を受け入れて、地元関係者はほっと胸をなでおろしたという。

その点、新しくトリアーのワイン女王に戴冠されたスザンネ・テルゲスさん(23歳)は醸造所の娘であるだけに、申し分
ない候補資格保持者である。子供の頃からワイン祭りで父親のワインスタンドを手伝ってきた彼女は、ミュンスターで
3年間栄養士の勉強をした後、トリアーに帰ってきた。しかし資格の生かせる職場が見つからず、ルクセンブルクのガ
ソリンスタンドでバイトしていたそうだ。父親のペーター・テルゲスさんが代表をつとめる地元醸造所団体は、公に選
考会を開くことなく彼女を指名した。近年人材難からオレーヴィヒ以外の近郊からホテルの娘さんなどをスカウトして
役にすえていたので、ひさびさに生粋のワイン女王が誕生したと言える。



午後8時、夕陽がモーゼルの対岸へ傾きかけた頃、村の広場にしつらえられた舞台の上でバンドの演奏が始まった。続いて司会者から来賓、スポンサーへの挨拶があり、バンドの演奏を挟みながら再び挨拶、演説が続く。その間、テルゲス氏は来客の間を縫うようにして挨拶してまわり、ワインを振舞いながら談笑、握手、談笑、握手。舞台の前には近郊の村々のワイン女王達が20人近く勢揃いし、退屈そうにしながらもイベントに花を添えていた。

やがて前年度のワイン女王、マリオン・ゲーレンさん
のお別れ挨拶に続いて、その日のハイライト、新ワイ
ン女王の戴冠式となった。バンドの演奏が雰囲気を盛
り上げる中、モーゼル・ザール・ルーヴァー地区全体
のワイン女王であるペトラ・ツィンマーマンさん−大人
びて見えるが、今年大学入学資格試験を終えたばか
りの20歳−が、スザンネ一世に冠を授けた。娘の傍ら
に立つペーター・テルゲス氏も誇らしげだった。

ちなみに、ペトラ・ツィンマーマンさんの任期はまもなく
終わり、9月24日に来年度のモーゼル・ザール・ルー
ヴァーのワイン女王が選ばれる。応募条件は18歳以
上の未婚女性で、専業・副業を問わずワイン農家ある
いはワイン販売に携わる家庭の出身であるか、もしく
はワイン農業あるいは醸造に関して特に優れた専門
知識を持っていること。求められる資質は人と接する
のが好きでウィットがあり、チャーミングでかつ臨機応
変な受け答えが出来ること、だそうだ。

モーゼル・ザール・ルーヴァー地区を代表するのワイン女王は、村のワイン女王よりはるかに責任が重い。ドイツ全国の主要都市と日本を始めとする海外にも遠征し、その回数は年200回に及ぶ。その度にスピーチを行い、来賓達と歓談し、モーゼルワインをアピールしなければならない。見た目の美しさだけでは勤まらない、一種の外交官的な素質が求められる役割である。

それだけに選考も厳しい。昨年の場合23人からなる内外の審査員が、最終選考に残った6人を公開審査。ドイツワインに関する専門知識と当意即妙な受け答えを200人の観客の前で競ったという。その結果選ばれたのが、オーバーモーゼルはテンメルス村出身のペトラ・ツィンマーマンさんだった。彼女は9月末に地区のワイン女王としての役目を終えた後、10月8日に行われる新ドイツワイン女王の選抜大会−テレビで全国に生中継される−で、全国代表の座に挑戦する。若干20歳とは思えない貫禄と美貌を備えた彼女は、最有力候補の一人である。


(新しいトリアーのワイン女王・スザンネさん(左)と、モーゼルのワイン女王ペトラさん。中央の女の子はスザンネさんの姪っ子ノラちゃん(9歳)で、将来のワイン女王候補。)






そしてその週末は夏らしい好天が続き、今年で56回を数える
オレーヴィヒのワイン祭りは大盛況だった。新しいワイン女王
のスザンネさんはどこにいても人々の輪に囲まれて、村内に
いくつも設営されたワインスタンドを回るたびに、手に持った
大きなグラスになみなみと注がれ、数限りなく乾杯を重ねた
ということだ。
戴冠式が終わると、来賓として招待されたルクセンブルク、ザールなどのワイン女王たちが一人づつ新しく誕生したワイン女王に挨拶し、最後に肩をそろえてワインを讃える歌を歌い始めた。ワイン・女性・歌−Wein, Weib, Gesang−人生を楽しませる要素としてドイツ人がよく引き合いに出す三つが揃い、週末から始まる祭りへむけて、一段と雰囲気を盛り上げたのだった。



(2004年8月)


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