その日、ショーデンの村祭りが醸造所の近所で開催されていた。普段は閑静
な田舎の住宅街なのだが、通りを通行止めにして設置されたテントとワインス
タンドの一帯は、ブラスバンドの演奏と村人達のざわめきで賑わっていた。

珍しげな視線を送る村人達の間を通り抜けると、普通の一軒家にしか見えない
醸造所の庭先で新聞を読んでいたロッホ氏が立ち上がり、手を振るのが見え
た。ここに来るのは昨年の秋、収穫を見学させてもらって以来だ。二週間前に
新酒の案内を顧客に発送してから、ほぼ毎日のように試飲に来る訪問客があ
り、休む暇もないそうだ。

「それに最近は畑の草の成長も勢いよくてね。あまり伸び放題にすると葡萄と
喧嘩するから、丈を低く刈らなくちゃならないんだ。」

(ショーデンの村祭り)



(マンフレッド・ロッホ氏)
◇エコロジカルなワイン造り

エコロジカルな農法で葡萄を栽培している彼にとって、除草剤は御法度である。化学肥料も農薬も使わない。彼の加盟しているエコヴァン(エコロジカルワイン農連盟www.ecovin.de)にとって、化学農薬や肥料の使用の禁止はしかし手段であり、目的ではない。彼らが目指すのは葡萄畑に本来あるべき生態系の再生確立だ。土壌に住む微生物から昆虫・動植物に至る、様々な生命からなるサイクルが本来あるべき姿で機能することで、葡萄の病害虫の発生を抑制するとともに葡萄の木そのものの生命力を養い、結果として健康な葡萄から安全な果汁を得ることだ。

しかしエコロジカルな農法を実践することは、本来経済効率を優先した農業に対する批判から生まれた農法であるだけに、コストも手間もかかる。葡萄が病気や害虫の被害を受けるリスクは、普通に農薬を散布する農家とは比べものにならないし、ただ単に生活の糧としてワインを造る「普通の」ワイン農家の目からすると、変人しかやらない農法なのだ。

それでもロッホ夫妻はエコワインに取り組んでいる。1992年に1200uの小さな畑の収穫を、年代物の垂直圧搾機で絞って造ったワインは、思いの外美味しかったという。しかし彼らはそれで満足しなかった。どうしたらもっと美味しいワインが造れるのか模索している時、ワインの味は畑で造られ、畑の生態系の調和がワインの味に調和をもたらす、というエコヴァンの主張を偶然目にして、「これだ!」と思ったのだそうだ。。もっとも、彼らにとって重要なのは方法論ではなく、ワインの味である。エコヴァンの条項がEU各国の調整により改訂されるなどして彼らの信念に合わなくなれば、躊躇なく脱会するつもりだそうだ。



◇難しい年だった2003年


「2003年は巷では偉大な年とか言われているけど、容易な年ではなかった
よ。」
と、ロッホ氏は率直に語ってくれた。
「確かに果汁糖度は少なくとも92エクスレに達したけれど、酸の低さにどう対
処するかかなり迷った。酸が低いと味の調和をとることが難しくなる以上に、
雑菌が繁殖して醸造過程で思いがけない問題が発生する可能性があるん
だ。

そこで2003年の特例としてEUレベルで許可されたワイン酸による補酸を検討
したけれど、補酸をしたワインを試飲してみたら、酸の味がとげとげしくて気に
入らなかった。ワインの酸は分析値だけの問題ではないんだね。その分子構
造は我々が思っているよりもずっと複雑で、それを舌は感じ取ってしまうん
だ。」

ワインの酸は葡萄果汁に含まれる酸に由来し、それはワイン酸、リンゴ酸、
乳酸、コハク酸、酢酸などがあるが、最も重要なのはワイン酸で、次いでリン
ゴ酸である。葡萄が熟す過程でも含有量にほとんど変化のないワイン酸に対
し、リンゴ酸は熟すにつれて20g/Lから最終的に0.5〜6g/L前後まで減少す
る。暑い年ほど果汁におけるリンゴ酸含有量は低くなり、2003年に至っては
ほとんど失われた。ワインにおけるワイン酸とその他の酸を含めた全酸度は
通常5g/L〜10g/Lである。酸は発酵過程におけるエステル類の生成と、熟
成においても重要な役割を果たしている。

「低い酸度の他にも、2月に発酵が止まりかけた時は、どうなることかと思っ
たよ。」

1月から2月にかけて寒い日が続き、一時酵母がすっかり大人しくなってしま
ったそうだ。残糖15g/L前後で、味筋としては中辛口にあたる。辛口に仕立
てたかったロッホ氏は、普段8度前後の酒蔵の室温を15度前後まで上げた。
すると酵母は再び活動を始め、4月末にほぼ完全に糖分を発酵しつくす所ま
で持っていくことが出来た。一番の辛口である樽番号8は、残糖1.2g/Lであ
る。そう言えば、エルデン村のシュミトゲス醸造所でも発酵が自然に止まって
しまい、中辛口になったというワインがあったことを思い出した。また、とある
醸造所では醸造主任が発酵を最後まで継続させることが出来ず、職を失っ
たという。

そうして発酵が無事完了すると、今度は果汁糖度の高さによるアルコール度
の高さ−13%〜14%に達した-が味にどう出るかが問題だった。酸が低くアル
コールが高い辛口白は温暖な生産地帯の安ワインによくあるが、大抵はのっ
ぺりとして、それほど楽しめるものではない。幸いロッホ氏の辛口は、収穫量
の低さ(33hl/ha)に由来する充実したエキス分とバランスして、確かにアルコ
ール度は高いが、口当たりは柔らかく軽く感じられ、ほんのりとした酸味が適
度に加えられたスパイスのようにボディを引き締めている、充実したワインだ
った。ザールというよりはロワールのこってりした辛口白を思い出させる。

「とにかく、2003年は他の年と比べても難しい年だった。でも、苦労は報われ
たと思う。とりあえず、飲んでみよう。」
そう言って彼は瓶詰めして5週間目の新酒を注いでくれた。
(奥さんのクラウディアさんと)

(愛犬のアレフ、6ヶ月)



◇試飲

1. 2003 Schodener Herrenberg Riesling trocken Fass Nr. 1
繊細なミネラル、クリーミィな舌触り、レモンのヒント、アフタにあっさりと消える酸味。84

2. 2003 Schodener Herrenberg Riesling trocken Fass Nr. 2
しっかりしたミネラル、繊細な完熟した柑橘のヒント、やや生真面目な辛口。85

3. 2003 Schodener Herrenberg Riesling trocken Fass Nr. 4
非常にミネラルがしっかりした辛口、フレッシュな柑橘のヒント、低い残糖。85

4. 2003 Schodener Herrenberg Riesling trocken Fass Nr. 6
柑橘、パイナップル、洋なしのアロマ、たっぷりとしたボディ、柑橘のヒント、控えめながらはっきりとした酸味、アフタにミネラル。86

5. 2003 Schodener Herrenberg Riesling trocken Fass Nr. 7
やや閉じている。しっかりとしたミネラルに繊細な酸味のアクセント、アフタにミネラル。充実したボディ、最もロワールぽい。85

6. 2003 Schodener Herrenberg Riesling trocken Fass Nr. 8
繊細で奥行きのあるボディ、多面的、様々な要素が各自己主張しながら拡散していく。87

7. 2003 "Saartyr" Riesling trocken (Fass Nr. 5)
ロッホ夫妻が最も出来の良いと感じた辛口で、『サーティア』−サテュルスとザールをかけている−と名付けている。ほんのりと洋なしのヒント、明確なミネラル、畑の土の味がする。85

8. 2003 "Quasaar" Riesling halbtrocken
超新星クエーサーとザールをひっかけたキュベ名で、最上と思われた中辛口につけている。繊細で広がりのある柑橘とミネラル、アフタにアロマが広がって長く留まるが、酸の弱さ故2002ほどのインパクトは無い。86

9. 2003 Landwein der Saar Riesling halbtrocken
格付けはQbAで果汁糖度は92エクスレ以上だが、ザールのラントヴァイン(地酒)と名付けている。フレッシュな柑橘、ほんのりとした甘み、たっぷりとしたボディ、微発泡。残糖16g/L。85

10. 2003 Wiltinger Schlangengraben Riesling trocken "Alte Reben"
樹齢100年の古木の収穫から醸した辛口。ミネラリッシュで繊細かつ複雑、奥行きがあり重々しい果実感。88

11. 2003 Ockfener Bockstein Riesling trocken
ほのかにベリーの甘みが漂う辛口。繊細、上品、長いアフタ、エッセンス。88

12. Schodener Herrenberg Riesling Auslese
濃厚でアロマティック、アプリコット、蜂蜜、わずかに干しぶどう、凝縮した甘みのアフタが長々と続く。89



◇手作りの味のするワイン

『エコワインはその造り手同様に個性的だ。』
ドイツの代表的なワインジャーナリストの一人、シュトゥワート・ピゴットは
そう書いているが、ロッホ氏のワインにもそれは当てはまる。わずか2.
5haの畑と小さな納屋の様な酒蔵で造られるそのワインは、丹精こめた
手作りの味である。経済効率を優先した量産型のワインとは明らかに一
線を画していると言えよう。

2003年産では上記の他にトロッケンベーレンアウスレーゼも造った。248
エクスレ、生産量わずか15リットル。リストには出ているが、値段はまだ
付いておらず、『競売用』となっている。唯一加盟している醸造者団体エ
コヴァンでは競売会は主催していない。どこで競売にかけるか決めてい
ないが、Ebayも考えているそうだ。

「お〜い、おたくの中辛口、売り切れちゃったよ。」
村祭りのワインスタンドで働いていた男がワインの補充に来た。
「まだ出せるボトル、あるかなぁ。」
「う〜ん、ちょっともう出せないよ。」ロッホ氏は顔の前で手を横に振って
断った。
「ラントヴァイン・デア・ザールで、ウチでいちばん安いワイン(7Euro)なん
だけど、この二日で40本も飲まれちゃった。」と笑った。
醸造所を設立した初年に製造した約1000本を売りさばいた時の苦労
は、もはや昔の思い出話となりつつあるようだった。

(村祭りのワインスタンドで。)

(2004年8月)
以前の訪問記
初回:2003.2
二回目:2003.6
三回目:2003.10 


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