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ホスピティエン醸造所。モーゼル河畔に位置するこの醸造所には数え切れないほど訪れているが、その際僕にとって欠かせない儀式がひとつある。正門のかたわらに立つ、聖ヤコブの銅像に一礼することだ。彼は巡礼の守護聖人である。僕もまた故郷を離れて生きる者の一人として、どうかこの地の滞在が平和でありますよう、そして意味のあるものになりますようにと、彼の像の前を通りすぎる度に心の中でつぶやき、一礼する。
もともとここには修道院があった。土地の人は今でもイルミーネンと、かつてのベネディクト派女子修道院の名前で呼んでいる。それが18世紀末にナポレオンの聖界所領解体により土地建物および所領は一旦修道院の手をはなれた。それから5年後の1804年、市内の各所にあった貧民救済施設と統合(フェアアイニゲンvereinigen)され、もと聖イルミーネン修道院であった場所にフェアアイニグテ・ホスピティエンVereinigte Hospitien−統合慈善協会を設立した。それが現在の組織の始まりである。
ホスピティエンとはフランス語のオスピスと同義であり、キリスト教の隣人愛(カリタス)の精神に基づく弱者とよそ者・貧民の救済が第一義であるが、しばしば養老院としての機能も備えている。現在もまたトリアー河畔のホスピティエンの敷地の大半は老人病院と居住棟で占められており、醸造所はその一部にすぎない。
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(正門の傍らに立つ聖ヤコブの像) |
聖ヤコブの像の傍らを通り過ぎ、左手にローマのワイン船のレプリカを見ながら奥にすすむと、試飲直売所がある。こ
こは開店時間内なら予約なしで気軽に試飲出来、しばしば同じ敷地内の養老院に住むご老人が、ワインを買いにと
いうより事務所の人とおしゃべりをしに訪れている。大抵ひとり暮らしの彼らにとって、おしゃべりは半ば生きがいであ
る。事務所の人もそれを知ってか、それとも生来のやさしさからか、気長に彼らに付き合っている。そこにはこの施設
全体の基本的な精神−『自らを愛するように、隣人を愛せ』−が息づいているように見受けられる。
この敷地が聖イルミーネン修道院になる以前
は、食糧庫(ホレア)が建っていた。河岸にほど
近い立地条件が穀物やワインなどの搬出・搬入
にとって便利だった為である。やがてローマ帝
国が崩壊し、7世紀にフランク王ダゴベルトがト
リアー司教にこの敷地を寄進し、修道院が設立
された。かつての食糧庫は礼拝堂として利用さ
れ、昔はモーゼル河畔の風が吹き抜けていたと
いうが、現在は地下の暗闇に閉ざされている。
その一部はドイツ最古のワインケラーとして有
名な、頭上を抑えるように低いアーチ型天井を
支える円柱がならぶ一角である。
(ドイツ最古といわれるワインケラー。団体で予
約を入れればここで試飲もできる。)
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伝統とは、長年に渡る革新の継続である。革新のないままに惰性で続けられたものは、いつしか滅び消え去る運命
にある。そしてこの醸造所の革新は、すでに15世紀の会計簿にその痕跡を残している。ドイツ最古といわれるリース
リングに関する言及だ。
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15世紀の会計簿のオリジナル。ケラー入り口に展示してある。上から三行目、左から6つめの単語が"ruesseling"と読める。これが現在の研究状況ではドイツ最古のリースリングが言及されている文書であるとされる。 |
それは15世紀半ばのことであるが、当時ホップの利用の普及によりビールの質の飛躍的な向上があり、一方でマイ
ンツ近郊での騒乱の為にそれまでライン河経由で運搬されていたアルザスのワイン−ライン最高のワインといえばア
ルザス産であった−がモーゼルを経由してケルンに運ばれるという状況があった。高品質のビールとワイン、この二
つの強力なライバルの登場により、モーゼルのワインは厳しい競争にさらされることになった。聖イルミーネン修道院
にとってもワインの収入の3割近くを占める死活問題であったから、この難局を切り抜ける為に高品質なワインを産す
るリースリングの導入が行われたのである。
1802年に聖イルミーネン修道院が統合慈善協会に姿を変えると、他の修道院に付属していた慈善院所有の葡萄畑
を含む領地が統合慈善協会の管理に入ることになり、葡萄畑はザールからモーゼルに至る広範囲に広がった。貧者
への施しは魂の救いをもたらす慈善行為の最たるものであったことと、毎年収穫をもたらす葡萄畑は現代で言えば年
利をもたらす資産と同様の価値があったことから、寄進者・修道院の双方にとって葡萄畑は重要な意味を持ってい
た。葡萄畑の寄進と引き換えに得られたのは魂の救い−具体的には修道士達による定期的な記念ミサ−だけでな
く、老後の生活保障でもあった。つまり、修道院経営の養老院で余生を送ったのである。その際、毎日の食事には必
ずワインが付いてきた。慈善院にもよるが、一日1.3リットルの支給が一般的であった。もっとも、上下水道の完備して
いなかった当時、安全な飲料としてワインやビールは都市生活において必要不可欠であったし、消費量から考えても
アルコール度は低かったと考えるべきだろう。
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やがて19世紀には協会の公的性格から市参事会が運営に加わり、否応なしに政権の影響を強く受けるようになる。1930年台にナチスが台頭し、1940年から傷病兵療養施設となり、本来の使命である貧民救済はなおざりにされた。協会のカトリック系団体としての運営を廃止し、モーゼル河岸の都市化を目的として大々的に再開発する為、修道院敷地を含め施設そのものを取り壊す計画が立てられた。それは敗戦により実現することは無かったが、1944年19日と21日の連合軍の爆撃により慈善協会の設備は大半が破壊され、瓦礫の山と化した。その際17世紀に造られたケラーの天井が落ち、避難していた人々に多数の死傷者を出したという。
(17世紀に建築されたケラー。フーダー樽は現在でも発酵後のワインの熟成に使われる。)
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そのケラーに今は戦争の面影はどこにもなく、半世紀近く使
い込まれたフーダー樽が静かに並んでいる。その一角に一
昨年からバリック樽が加わった。統合慈善院設立200年を記
念して、協会が所有する森林に育った樹齢160歳の樫の木を
用い、ピースポート村の74歳になる老樽職人が造った樽であ
る。ミディアムローストに焦がしたその新樽に、2002年産のシ
ュペートブルグンダー(ピノ・ノアール)が熟成され、昨年秋に
リリースされた。
「自家製の樽で自家製のワインを熟成しているのは、ドイツ全
国でもホスピティエンだけです。」
醸造所の経営主任であるヨアキム・アルンスさんはちょっと自
慢げに説明してくれた。気のせいかどうか、その赤ワインは
バリックの香りが突出することもなく、閉じ気味の力強い赤い
ベリーの果実味と調和し、一体になっている。同じ風土の育
てた物同士が組み合わさった成果だろうか。2003年産も102
エクスレに達した果汁のワインを、再び自家製のバリックで
12ヶ月寝かせた。モーゼル最上のシュペートブルグンダーの
ひとつだろう。さらに2004年産からコルマールクローンのピノ・
ノアールを収穫、現在醸造中である。
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バリック仕立の赤にも見られるように、三十歳台のアルンス氏が率いる醸造所
は革新に積極的だ。1999年に先代のケラーマイスター、エルンスト・エーレン氏
が退職し、アルンス氏と同世代のクラウス・シュナイダー氏が後任に就くと、ワ
インのスタイルも変革を遂げた。従来のフーダー樽主体の発酵・熟成からステン
レスタンクによる低温発酵・熟成に全面的に切り替わり、ワインはよりピュアで
アロマティックかつフルーティになった。2000年は収穫期の低温と雨にたたられ
たが、2001年産は果実味の透明感とアロマに一層磨きがかかり、2002年産か
らピースポーター・ゴルトトレプヒェンの一部であった小区画『シューベルツライ
Schubertslay』を個別に醸造している。近年気鋭の醸造所にみられる単一畑の
中のさらに限られた一角から、土壌の個性が明確に現れたワインを造ろうという
傾向を反映している。そして2003年もワインの品質は向上を続け、ピュアで濃
い目の果実味にミネラルが調和し、気品を漂わせているものもある。
(現ケラーマイスターのクラウス・シュナイダー氏。)
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「ワインの質は葡萄で決まります。」
と、醸造所の運営を指揮するアルンス氏は断言する。収穫作業は彼の監督のもとに行われ、作業者の収穫を丁寧にチェックしている。
「畑で出来上がった葡萄の質をどこまで下げないでワインに出来るか。それが醸造の要だと考えています。」
葡萄の質を上げる為に農薬の使用を出来るだけ抑え、麦わらを畑に敷いて乾燥を防ぎ、微生物の活動を促し土壌を活性化させている。平均収穫量はおよそ55hl/ha、ドイツワイン法の定める上限の半分以下だ。こうした意欲と努力は、近年のドイツのワインジャーナリズムにおいても評価の向上となって現れている。例えば2003年版ゴー・ミヨのドイツワインガイドで初めて房一つを獲得、続く2004年版ではさらに一房加わり二つ房となった。
(醸造所の指揮をとっているヨアキム・アルンス氏。昨年結婚して一児のパパとなった。)
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この醸造所の強みは修道院が母体であったことに由来する一級の畑を所有することだろう。シャルツホーフベルクを
はじめ、カンツェマー・アルテンベルク、ピースポーター・ゴルトトレプヒェンがそれにあたる。しかし他にもゼーリガー・
シュロス・ザールフェルザー・シュロスベルク、ヴィルティンガー・クップ、ヴィルティンガー・ヘレ、トリアラー・アウゲン
シャイナーなども上々の畑だ。個人的にはゼーリヒのワインが一番気に入っている。シャルツホーフベルク、カンツェマ
ー・アルテンベルク、ピースポーター・ゴルトトレプヒェンは複数の醸造所が所有しており、つい、他の醸造所と比べて
しまうのだ。また、かつてはツェルティンゲン、ベルンカステルの畑からも醸造していたが、現在はピースポーターの
他はザールとトリアーに規模を縮小し、全部で25haの畑を耕作している。
僕達が訪れた10月下旬は、ブルグンダー系の収穫を始めたところで、リースリングの痛んだ房を収穫本番前にあら
かじめ取り除く作業に明日からとりかかる、と言う事だった。2004年は冷夏に続く雨の多い秋で、畑にはボトリティス
のついた房が多い。乾燥して晴れれば糖度が上がり貴腐ワインとなるが、湿気が多いとワインに腐敗した果実の香
りを与える。その選別を丁寧にやるかどうかで、仕上がったワインの果実味のクリーンさと気品に差が出るが、一方
で収穫の一部を犠牲にすることでもある。
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フェアアイニグテ・ホスピティエン醸造所は現在の市場の激しい競争、とりわけ輸入辛口ワインとの競合を生き抜く為に必死である。それは今から450年ほど前のビールとアルザスのワインとの競合に通じる面がある。
伝統さえあれば素晴らしいワインが出来るのではない。伝統を保つ為には、まず生き残らなければならない。その舵取りを任されているのがアルンス氏であり、シュナイダー氏である。繰り返し言う。伝統がワインを造るのではない。ワインを造るのは、あくまでも人なのである。
(2004年11月)
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Vereinigt Hospitien
Krahnenufer 19, 54290 Trier
Tel. +49(651)945 1210 もしくは 945 1211
Fax. +49(651)945 2060
Email: weingut@vereinigtehospitien.de
HP: www.vereinigtehospitien.de
直売所開店時間:月〜木 8:00-12:30, 13:30-
17:00, 金 8:00-12:30, 13:30-16:00 (ケラーの
見学には事前の予約が必要です。)
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