1985年、モーゼル中流にあるピースポート村で、耕地整理の際に4世紀の
ものとみられる葡萄圧搾所の遺跡が発見された。ノイマーゲン村のワイン
輸送船を象った石碑と並び、モーゼル河周辺でのローマ時代から続くブド
ウ栽培の伝統を証拠づけるものだ。ピースポート村では考古学的な調査を
もとに復元されたその遺跡で、1992年から毎年10月中旬の週末、当時の
葡萄圧搾の様子を再現する祭りが開かれている。今年で13回目を迎える
その祭りに行ってきた。





(屋台が並ぶ川縁の散歩道。横断幕はラテン語で『ワインの道』と書かれ
ている。遺跡はこの道の付きあたりを右上に行くとある。)



祭りはまず、仮装行列から始まる。ローマ風の衣装を着た人々
が、この日圧搾される葡萄をかついで歩くのだ。楽隊の賑やかな
演奏とともに、屋台が並ぶ川縁の散歩道を見物人にワインを振る
舞いながら行進する彼らは、やがて村外れの高台にある遺跡に
到着する。遺跡のまわりは黒山の人だかりだ。

写真上:葡萄の入った籠を担ぐ人々。
写真下:戦車に乗った皇帝を護衛するローマ兵たち....に仮装した村人。

仮装した祭りの代表者−多分村長さん−がラテン語で書
かれた挨拶を読み上げ雰囲気を盛り上げると、葡萄が籠か
らドサドサと開けられ、裸足の人々がそれを踏む。時に輪
になって踊るように踏む彼らの足元で、潰された葡萄から
出た果汁が次第に溜まっていく。「こうしてつくられたワイン
は、足の裏の匂いがするのが特徴だよ」と、川縁で昨年こ
こで圧搾されたワインを売っているスタンドの親父が、冗談
めかして言っていた。

(写真上:輪になって葡萄を潰し始めたところ。後ろで郷土博物館の人が作業内容を説明している。
写真左:足元にたまった果汁が見えるだろうか。)

一通り潰し終えた後、果汁は一角にある配管から下
へ流れ、その他の果皮と果肉は桶に集められて、一
段低い位置にある圧搾機へと移される。巨大な梁の
下には四角い木枠があり、そこに葡萄はためられる。

木枠が一杯になったところで蓋をし、木を重ねて梁との空間を少なくす
る。この時点で蓋と木の重みで果汁は既に勢いよく流れ出ているが、
梁の片端にあるスピンドルを二人がかりで廻して、さらに加重する。ス
ピンドルの下には約1.3トンの石が釣り下がっており、スピンドルを廻す
ことで重石が上方へ引き上げられ、梁と一緒にその重量が葡萄へとか
かり圧搾されるのだ。圧搾前、木製のスピンドルに油を注すようにワイ
ンを注いでいたのは、清めの儀式の様でもあった。

(満身の力を込めてハンドルを動かし、約1.3トンの重石の釣り下がったスピンドルを廻す。)

数トンの重みから搾り出された果汁は、もう一段低い位置にある桶に流れ込む。それを汲み上げて、木樽へと移し変え、圧搾作業は終わる。最初は勢いよく流れ出ていた果汁は勢いを弱めながら、祭りが終わってからもいつまでもチョロチョロと流れ続けていた。

(写真左:絞りたての果汁を分けてもらう観客。よく注意すると、香りの
中に足の裏の匂いがする...ような気がした。
写真下:行列が終わってほっと一息の皇帝と兵士。やはり酒に手が伸
びる。だからローマ人たちもモーゼルでワインを造ろうと思った訳です
ね。)



圧搾を見た後、河沿いの散歩道に並ぶスタンドの一つで、ローマ時代のレシピを再
現したというワインを飲んだ。たっぷりの蜂蜜とスパイスで味付けされたそれは、甘く
素朴な味がした。右写真手前はローマ時代のクッキーを再現したもの。これもポロポ
ロと砕けてほのかに甘い素朴な味で、蜂蜜ワインとよく合っていた。

次回2005年は10月7日(金)〜9日(日)の開催予定。葡萄の圧搾は土日の午後3時
からです。


(2004年10月)


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