「今の時期になると、葡萄を食べにイノシシが来るんだよ。だから畑の周りに針金で作った柵を張り巡らせている。ほ
ら、あそこに地面が掘り返されたような所があるだろう?イノシシが柵と格闘した跡だ。目と鼻の先に美味しそうな葡 萄があるのに、食べられないので苛立った様子が目に浮かぶよ。」
「シューベルトさんの醸造所では、そのイノシシで作ったサラミを売ってますよね。」
「サラミだけじゃないよ。ハムも作っている。ウチの力強いリースリングによく合うよ。」彼はそう言って笑った。ちなみ
に、狩猟はルーヴァーにある醸造所のオーナーたち共通の趣味である。カルトホイザーホフのティレル氏、カールスミ ューレのガイベン氏も狩猟をたしなむ。近郊の森は野生の動物達の格好の住みかなのだ。
葡萄畑の入り口には踏み切りにあるような遮断機があり、その手前の門には鍵がかかっていた。
「収穫前だから、立ち入り禁止なんですね。」
「いや、昔は閉山法という法律があって収穫前の一定期間は葡萄畑が立ち入り禁止になったが、今は廃止されてい
る。これはまぁ、イノシシ対策の延長といったところかな。葡萄を狙うのはイノシシばかりとは限らないから。」
門をあけて車を乗り入れ、黄色く染まり始めた一面の葡萄畑のただなかを、斜面の上の方へと向かった。
「あそこに小屋が見えるだろう?」彼は斜面の一番下の道路わきにある小屋を指差した。「あそこを境に土壌が変わ
るんだ。西側は赤いシーファーが主体の深い土壌で保水性がいい。東側には青黒いシーファーが主体の水はけのい い土壌が広がっている。前者がヘレンベルクで後者がアプツベルクだ。」
「アプツベルクの方がいい畑と聞いていますが?」
車が葡萄畑の頂上近くに差し掛かると、畑で作業をしている人々の声が聞こえてきた。
「もう収穫を始めているんですね。」
「いや、これは収穫じゃなく、余計な葡萄の葉を取り除くことで通気をよくして、病気や黴が広がるのを防いでいるん
だ。醸造方針を決める為に試験的に収穫を行った区画もあるけど、ここは違う。」道理で醸造所が静かだった訳だ。
「いや、2000年よりもずっといいよ。」
「でも、痛んだ房が多いようですが....。」
「ボトリティスだよ。うまくいけば、貴腐ワインになる。今年はその点、大きなチャンスなんだよ。いずれにしても、選果
を緻密にやる必要はあるがね。」
本番の収穫では葡萄の木一列につき両側から一人づつ、一人が健全な房のみを、もう一人が痛みのある房から痛
んだ部分を取り除きながら収穫する。それを区画別、状態別に分けてコンテナに集め、個別に圧搾するのだ。圧搾も 果実の状態に応じて対応を変える。腐敗による痛みが多い場合は破砕を行わない。逆に健全な場合は破砕後果汁 に果肉・果皮を浸してアロマを抽出する。
ザールにあるフォン・オテグラーフェン醸造所でもオーナーから頼りにされていたクラムル氏が、どうしてフォン・シュー
ベルト醸造所に突然移籍したのか聞いてみところ、人材仲介業者が引き抜いて来たそうだ。
「ヘッドハンティングですね。」
「それはちょっと人聞きが悪いな。」シューベルト氏は苦笑した。「ワイン農業専門誌にも求人広告を出したんだよ。多
数の応募があったが、これは、という人材がいなかったんだ。ガイゼンハイムなど醸造専門学校の卒業生も応募して きたけど、経験に乏しい者にウチのワイン造りの一切を任せることはリスクが大きすぎたし、かと言って誰かが名乗り を上げるまで待つことも出来なかった。だから人材仲介業者に依頼したんだ。」その結果クラムル氏に白羽の矢が立 ち、交渉の結果移籍が決まった。まるでプロ野球かサッカー選手獲得のようだ。
そのクラムル氏は圧搾機の近くでスタッフとの打ち合わせに余念がなかった。目線をつかまえようにもつかまらず、こ
れから本格的に始まる収穫と醸造の段取りのことしか頭にない様子だった。
「彼のことを一言で言えば、完璧主義者ね。」
昨年秋にフォン・オテグラーフェン醸造所を訪問した際、ケーゲルさんが言っていたことを思い出した。任されたからに
は全力投球する。しかし仕事以外の雑用−接客応対を含めて−で邪魔されるのはまっぴらだ。出来れば醸造設備 にも部外者には足を踏み入れてもらいたくない。彼がそう思っているのが、その近寄り難い雰囲気からなんとなく伝 わってきた。
(2004年11月)
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