昨年11月上旬のとある週末。大学有志で世話を手伝って
いる収穫を終えたばかりの葡萄畑を散歩していると、摘み
残したリースリングがあちこちにぶらさがっているのが目に
付いた。
「もったいないなぁ....。」
しばらく立ち止まって房を眺めていた。4ヶ月間かけてやっ
と熟したというのに、収穫されることもなく腐っていくしかな
い房が不憫でもあり、その一方でそれが自然というものな
のかもしれないと思った。よく見ると、いずれの畝にもあち
らにひとつ、こちらにふたつという具合に残っている。さす
がに学生のすることで、非常に散漫な仕事ぶりだったよう
だ。手近の房から一粒摘みとり、口に含んでみた。完熟し
た葡萄の新鮮な香りが舌の上に広がり、「う〜ん、もった
いない。」と思わずうなった。そこで目に付いた房を袋にい
れて持ち帰り、ワインをつくってみることにした。



自家醸造は、実はこれが初めてではない。収穫を見学した際や収穫祭で絞りたての果汁をわけてもらい、何度か発
酵を試みたことがある。発酵に必要な酵母は葡萄の果皮に自然についているので、圧搾して放っておけば勝手にワ
インになるはずなのだ。が、ちゃんと飲めるワインを造ることは簡単なようでいて、実はそれほど単純ではない。

第一のポイントは、出来るだけ澄んだ果汁を得ることであ
る。園芸専門店で売っている家庭用の小型垂直圧搾機−
ワイン村の道端で時々見かけるコルプ・プレスの小型版−
を使えば理想的なのだが、毎年使う訳でもなく量も少ない
ので手で絞った。ピースポート村のローマ時代の葡萄圧搾
を再現した祭りをヒントに、足で踏み潰す代わりに房をボウ
ルに入れて、握りつぶすようにして破砕した。ヌルヌルとした
ゼラチン質の果肉が指の間から滲み出し、多少気色悪い。
ひとしきり潰し終わると、濁ってはいるがけっこうな量の果汁
が溜まっていた。これを別の容器に移してから、ボウルに残
った果皮と果肉をナイロンの袋(履き古したストッキング)に
入れて絞った。目の適度に細かい丈夫な布がなかったので
友人からもらったものだ。

「使い古しのストッキングなんて、どうするのよ。」
「葡萄を絞るのに必要なんだけど....」
「本当でしょうね。」
「うそをついてどうする。」
「匂いを嗅ぐとか。」
「そんな趣味はないってば!」
人格を疑われつつも入手したストッキングに果肉と果皮をいっぱいに詰めると、なんだか思い切りむくんだ足みたいになった。それを丁寧に手で絞り、ボールに受けた果汁を瓶に移す。

得られた果汁は黒ずんだ緑色に濁っており、果肉や埃などが混ざっているので、一
晩おいて沈殿させた。醸造所ではここでベントナイト−たんぱく質を吸着する粘土の
一種−を加えて不純物を沈殿させるが、それも無いので歩留まりはひどく悪い。古
酒をデキャンティングするようにして上澄みを別のボトルに移し、底に残った沈殿物
混じりの果汁はペーパータオルでろ過。ペクチンですぐに目詰まりをおこしてしま
い、一滴づつしか落ちてこない。半日かかって一応きれいな果汁を得ることができ
た。


(右が一晩おいて沈殿した不純物混じりの果汁。左が上澄み。)



収穫後三日目、発酵が始まった。果汁から微細な泡が絶え間なく立ち上り、液面上部に層をなしている。

翌日それはさらに活発になり、果汁も乳白色に白濁した。典型的なェダーヴァイザーの色である。夜の静寂の中で耳をすますと『シュワシュワシュワ....』という音が聞こえた。密栓をするとガス圧で瓶が破裂するか栓が吹き飛ぶので、ラップで軽く口を覆い埃や羽虫の入るのを防いだら、リンゴジュースの様な香りが部屋の中に満ちた。時々ストローで試飲してみたところ、フルーティでなかなかの美味。「フェダーヴァイザーは収穫後8日目くらいが一番旨い」とワインスタンドの知り合いの親父が言っていたが、たしかに発酵が適度に進んで甘みがほどほどに残った8日目くらいが一番美味しかった。

もっとも、温度によって発酵の進み具合は変わ
る。一般に低温になると発酵はゆっくりと進むが、
液温14℃以下では発酵が止まってしまう。寒い日
に収穫された果汁を低温のケラーに置くとなかな
か発酵が始まらないのは、液温が低すぎるため
だ。そういう場合、果汁をヒーターで温めるか、低
温でも活発に活動する培養酵母をスターターとし
て投入する。発酵がある程度すすむと液温が上が
り、自然酵母の活動しやすい環境になる。一方、
液温が高いと発酵は勢いよくすすんで速やかにワ
インになるが、果実香がとんでしまうので果汁を冷
却する。ステンレスタンクの表面に冷水を流す方
式が一般的だが、伝統的な樽でもらせん状のス
テンレスパイプを中に入れて冷水を流して冷却す
ることができる。そうしてゆっくりと進む発酵は半
年以上続くこともある。



さて、僕のワインは10日目あたりから発酵はおとなしくなり、瓶の底には役目を終えた酵母の死骸が堆積して、果汁は再び透明になってきた。時々試飲してみるので液面が下がり、酸化がすすんでいそうだ。

本当は果汁と酸素の接触は出来るだけ避けなければならない。ある醸造所では落し蓋のように蓋をタンク内で上下させて空気との接触を防いでいた。また、バリック仕立の赤ワインは樽を常に満たして急速な酸化を抑制する。その為定期的に継ぎ足す際、上部にある注ぎ口からワインが溢れて樽の腹を赤く染める。また、発酵を止めてワインを安定化する二酸化硫黄にも酸化を防止する働きがある。




(瓶の底にたまりはじめた酵母。まだ勢いがあり、時々気泡とともに酵母の塊が飛び出してきては、ゆっくりと沈んでいった。眺めていると面白い。)

ワインに甘みを残したければ、酵母の活動を途中で止める。そうしないと果汁の糖分は全てアルコールに転化して辛
口になってしまう。発酵を止めるには冷却か二酸化硫黄の添加が一般的だ。しかし樽によって酵母の性格に違いが
あり、素直に発酵が止まる樽もあれば、なかなか言うことを聞かずにしぶとく発酵を続ける樽もあるという。だから狙
い通りの味わいに仕立てるには、果汁と樽の性格をよく知ることが必要であり、それには何よりも経験がものを言う。
だから新たに就任したケラーマイスターが、個々の畑の果汁や樽のクセと勘所を把握して醸造所のポテンシャルを引
き出すには、早くても2、3年はかかるようだ。

一方、僕の部屋で発酵している果汁にはそ
うした操作は一切行わず、試飲で時々量が
減るだけでなすがままに任せた。

およそ3週間を経た11月末でどうやら発酵は
終了。室温での発酵のうえ容器も密閉せ
ず、二酸化硫黄も添加していないので酸化
が進んで妙なクセのある味になってしまっ
た。果実味も平板。しかし飲んでも一応大丈
夫だった。澱を分離するため別のボトルに移
し変え、コルクで栓をした。2004er Trierer
St. Maximiner Herrenberg, Riesling
Spaetlese trocken、完成である。二酸化硫
黄無添加、ノンフィルター。生産量わずか3
本の希少なワイン....というと聞こえはいい
が、到底売り物にはならない代物だ。


(発酵を終えて瓶の底にたまった酵母。)



翌年1月中旬、トリアー国営醸造所で醸造中の大学有志で収穫したリースリングを試飲した。ステンレスタンクで発酵されたそれは、僕の部屋のは発酵もとうに終わって透明になっているのにまだ白濁しており、とてもクリーンでフルーティな香味だった。「う〜ん、これがワインだよなぁ。」と納得。プロの仕事の確実さに感銘したのだった。

とはいえ、次第に果汁からワインへと変化していく様子をつぶさに観察できただけで大満足である。機会があれば、今度はもうちょっと美味しいワインを造ってみたいと思う。


(国営醸造所で発酵された果汁。見た目も味もまるで違う...あたりまえか。)


(2005年3月)


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