いつもの色あせた灰色の上っ張りを着て、カルトホイザーホフ醸造所のケラーマイスター、ルートヴィヒ・ブライリング氏
は僕達の前に笑顔で現れた。地元に生まれ、かれこれ40年近くこの醸造所で働いている彼は、両親から受け継いだ
メルテスドルファー・ヘレンベルクにある0.64haほどの畑からも5000本ばかりのワインを造っている。

それはカルトホイザーホフ醸造所が19haの畑から年に15万本生産しているのに比べたら微々たる量だ。しかし、そ
のワインの質はカルトホイザーホフのワインに勝るとも劣らない。私見では、ワインにはそれを醸造したケラーマイスタ
ーの『筆跡』がある。両醸造所のワインには、同じ筆跡が見て取れるのだ。両者の違いは主として葡萄畑の土壌及
び立地条件と葡萄の仕立方の違いに由来する。カルトホイザーホーフベルクが鉄分を含むシーファー(スレート岩)土
壌であるのに対し、そこから丘を一つ隔てたところにあるメルテスドルファー・ヘレンベルクは灰色がかったシーファー
で、ミネラルがやや少ない土壌だ。また、前者が垣根の様に一列に植えた葡萄の枝を針金に結わえる栽培方法を取
るのに対し、後者は二本の枝を一本の杭にハート型に結わえる伝統的な棒仕立てを行なっている。これらの違いが、
前者をより複雑で濃厚にし、後者をややシンプルながら調和のとれたワインにしている。

ブライリング氏がプライベートでワインを造ることは、4世代続いた葡萄農民としての伝統を守ることでもある。しかし仕事のプライオリティをカルトホイザーホフにおいているので、実家の畑の世話やワイン造りは本業の合間を縫うようにして行なっている。

もっとも、曜日や時間にしばられずに仕事が出来るのが、農業のいい所かもしれない。ブライリング氏をケラーマイスターに抜擢し、20年に渡って醸造所を守り立ててきたオーナーのクリストフ・ティレル氏も、ブライリング氏が実家で造っているワインをことあるごとに顧客にすすめているそうだ。


(試飲するブライリング氏)



僕達は彼の職場であるカルトホイザーホフ醸造所の一角の試飲室で、ブライリング氏と向き合った。テーブル板の乗
せられたビリヤード台が部屋の大半を占め、隅には陶製のストーブがしつらえてある。ステンドグラスの向こうに醸造
所が単独所有する葡萄畑が見え、どこからともなくワインを瓶詰めするガチャガチャという騒音が聞こえていた。

「それじゃあ、僕の実家のワインを3本試したら、
カルトホイザーホフのワインを試飲しようか。」とブ
ライリング氏。
「あの、まずひととおりブライリング醸造所のワイ
ンを試飲したいのですが。」と僕。
彼はそれを聞いてちょっと意外そうな表情を見せ
た。どちらも僕の造ったワインなんだけど?と思っ
ている様子だったが、カルトホイザーホフならVDP
の試飲会でも試飲できる。ブライリング醸造所は
そうもいかない。
「ふむ。でも2003年産はほとんど売り切れている
からなぁ。」
彼はそう言いながら一端姿を消すと、4本ボトルを
持って再び現れた。
「2002年、90年、94年のワインだけど、これも飲んでみるかね。」
そうしてまずブライリング醸造所のワイン7種類から試飲が始まった。

1. 2002 Riesling Classic
  軽い熟成香と柑橘の調和。
2. 2003 Mertesdorfer Herrenberg Riesling Spaetlese
halbtrocken
  たっぷりとした白桃の甘みの果実味にしっかりしたミネ
ラル。
3. 2002 Mertesdorfer Herrenberg Riesling Spaetlese
  しっかりめの柑橘にやさしい酸味。
4. 2003 Mertesdorfer Herrenberg Riesling Spaetlese
  広がり感のあるたっぷりした柑橘の甘み。
5. 1990 Mertesdorfer Herrenberg Riesling Spaetlese
  熟成して落ち着いた甘みにミネラルの旨み。
6. 1994 Mertesdorfer Herrenberg Riesling Auslese
  綺麗な酸味が果実味にストラクチャを与えている。
7. 2003 Mertesdorfer Herrenberg Riesling Auslese
  濃い目の果実味に蜂蜜、完熟した柑橘、ミネラルのヒント。

ブライリング醸造所は年に6〜8種類をリリースしている。今回彼の醸造所を訪れることはできなかったが、恐らく樽
が8つしかないのだろう。圧搾はカルトホイザーホフの圧搾機を使って行なっている。もっとも、19haあるカルトホイザ
ーホーフベルクには26の小区画があり、そこからさらに選別しながら収穫を行ない、収穫毎に別々のタンクで清澄し
てから発酵タンクに移すのだから、相当な神経を使う仕事だ。果汁は二日ほど静置して清澄する。その際ベントナイト
を用いて余分なたんぱく質を沈殿させるが、傷んだ実が多い場合は活性炭も加えて雑味を除去する。果汁との対話
が必要な作業だ。天候を睨み、葡萄の熟し具合と痛み具合を勘案しながら収穫する区画を決め、収穫するべき房の
状態を作業者に指示し、そのタイミングに合わせて実家の畑の収穫作業も指揮し、圧搾するのである。収穫期になる
と奥さんのリタさんは、ブライリング氏が今にも倒れるのではないかと心配になるというのも、無理もない話だ。



「ちょっと瓶詰めの様子を見てくるよ。」
ブライリング氏は時々そう言って席を外した。精魂込めて造ったワインは、ボトルに詰められて初めて世に問うことが
出来る。逆に、瓶詰めの際に万一何か不都合があったら、一年の作業が無に帰してしまうのだ。彼が瓶詰めが気に
なって仕方が無いのも当然だ。その間僕達は手酌で静かに試飲を続けた。ブライリング醸造所の次にカルトホイザー
ホフを試飲した。

8. 2003 Eitelsbacher Karthaeuserhofberg Riesling
Auslese trocken "S"
  濃厚でミネラルもたっぷり。飲み応えのあるしっかりし
た辛口。
9. 2003 Eitelsbacher Karthaeuserhofberg Riesling
Spaetlese feinherb
  クリーミィなタッチの果実味、ほんのり白桃の香り。チ
ャーミングな甘酸が艶っぽい。
10. 2003 Eitelsbacher Karthaeuserhofberg Riesling
Spaetlese
  たっぷりとして調和のとれた甘い果実味にミネラル。
しっかりめのストラクチャ。

(ボトリングの様子。写真提供Man Soo Hwan)
11. 2004 Eitelsbacher Karthaeuserhofberg Riesling Auslese
  これは丁度瓶詰め中だったワインをラインから一本抜いてきてくれたもの。しっかりしたミネラル感に酸味、アフタに
柑橘風味が広がる。当然ながら、やや疲れて肌荒れしていた。
12. 2003 Eitelsbacher Karthaeuserhofberg Riesling Eiswein "Nr. 55"
  凝縮して濃厚かつ複雑、非常に長いアフタ。インパクトのあるアイスワイン。

一通り試飲を終えると、テーブルの片隅にならんでいたハーフボトルが気になりだした。何かの機会に試飲してから2
週間ほどそのまま試飲室に置かれていたという2004年産だったが、これも試飲させていただいた。

13. 2004 Eitelsbacher Karthaeuserhofberg Riesling Kabinett
  繊細な酸味にフレッシュな柑橘、長いアフタ。
14. 2004 Eitelsbacher Karthaeuserhofberg Riesling Spaetlese
  広がりのある果実味と調和。おだやかで濃厚。
15. 2004 Eitelsbacher Karthaeuserhofberg Riesling Auslese
  これは先刻瓶詰めラインから取ってくれたものと同じかどうか不明。繊細で上品な甘口、やや大人しい。
16. 2004 Eiteslbacher Karthaeuserhofberg Riesling Auslese III
  香草と蜂蜜の香る高貴な甘口。長いアフタ。ノーマルのアウスレーゼとはまるで別物。
17. 2004 Eitelsbacher Karthaeuserhofberg Riesling Auslese IV
  凝縮して力強いクリアな甘み。

いずれも樽から直接ボトルに移したワインのためか、二週間の酸化をほとんど感じさせなかった。2004年の印象はや
はり綺麗な酸味である。酸味はワインに生気を与えるとともに、一杯、また一杯と飲み手を誘う。アルコールも低めで
体にやさしい。それがモーゼルの魅力であり、2004年産はそれが充分に発揮された年となりそうだ。



ブライリング氏によれば、2004年産は冬の厳しい寒さ
のせいで、1997年産に次いで発酵を継続させるのに
非常に苦労したそうだ。もともとケラーの温度が低い
上に、近年は収穫後の果汁の清澄をしっかり行なう
ので、発酵タンクに移されるモストに含まれる自然酵
母が少ない。また、収穫前最後の農薬散布も昔は8
月10日以前だったのが、近年は8月末と遅くなり、そ
れも果皮に付着している酵母の活動を抑制する。甘
口に仕立てるなら酵母の活動が大人しくても問題な
いが、辛口になるまで発酵をひっぱりたい場合は、酵
母が自ら生成するアルコールそのものが酵母の活動
を抑制する方向に働くので、培養酵母の投入−ブライ
リング氏はこれを酵母の『ドーピング』と言っていた−
を検討する。加える酵母も味の画一化を避ける為、複
数のリースリング用酵母をタンク毎に分けて用いる。
そうして毎日ステンレスタンクを手のひらでなでて温
度を確かめ発酵の様子を見守りながら、意図する方
向へと導くのだ。
(カルトホイザーホフ醸造所のケラー。写真提供Man Soo Hwang)
果汁は放置すれば自然に発酵を始める。しかし、葡萄畑の個性を表現した見事なワインに仕立てるには、細心かつ
念入りな作業が必要不可欠なことをブライリング氏のワインは教えているように思う。



その夜、近くにある醸造所モルゲン・ヘレスが経営する居酒屋レストランで夕食をとった。軽く乾杯して一息ついてい
ると見覚えのある男が店に入ってきた。カルトホイザーホフ醸造所のオーナー、クリストフ・ティレル氏だった。常連ら
しく、店の片隅のバーカウンターで友人達とビールを飲みながら談笑を始めた。

食事がひと段落ついてから、友人はブライリング氏の実家に試飲の際注文したワインを引き取りに行った。その際思
いがけず試飲させてもらったという2004年産のボトルを3本もらってきてくれた。

18. 2004 Mertesdorfer Herrenberg Riesling QbA
  柑橘の果実味にバランスのいい酸味。複雑ではないが好感の持てるつくり。
19. 2004 Mertesdorfer Herrenberg Riesling Kabinett
  QbAに似た存在感の酸味、QbAよりもやや力強い柑橘。
20. 2004 Mertesdorfer Herrenberg Riesling Spaetlese
  落ち着いた甘酸、一体感のある果実味、ミネラル。ブライリング氏会心の作らしく、試飲しながら「うまいっ」と感動
していたそうだ。



しばらくすると、厨房で働いていた醸造所のオーナーが出てきて、ティレル氏らの会話に加わった。それを見て、今近
郊にある他の醸造所の人々は何をしているだろうか、と想像してみた。

500mほど離れたホテル・ヴァイスの居酒屋では、きっとフォン・ボイルヴィッツ醸造所のオーナーでもあるヴァイス氏
が、観光に訪れた団体客とカウンター近くで飲んでいるだろう。そこから少し離れたテーブルでカールスミューレ醸造
の女性醸造家ウェルスさんが友人とワインを飲みながらおしゃべりに興じている。歩いて5分ほどのフォン・シュー
ベルト醸造所では、シューベルト夫妻がロータリークラブの友人達とディナーとワインの集いを楽しんでいるかもしれな
い。一方カールスミューレ醸造所では、オーナーのガイベン氏が所有するレストランのカウンターでビールを飲んでい
る様子が目に浮かんだ。

ルーヴァーのメルテスドルフという村は、著名な造り手達の密度が高い。犬も歩けば棒にあたり、ワイン好きが歩け
ば造り手に出会う。この村は地上の楽園、あるいは桃源郷と言うべきかもしれないな、と思った。

(2005年4月)

過去の訪問記:2004/10, 1999/8
醸造所HP:カルトホイザーホフ醸造所 www.karthaeuserhof.com
ルートヴィヒ・ブライリング醸造所
Ludwig Breiling
Boorgasse 6, 54318 Mertesdorf/Ruwertal
Tel. +49 (0) 651 57471




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