ヴィルティンゲンの村でザール河沿いに走る街道をはずれ、オーバーエンメルの村へ向かう県道の途中に、南向きの
斜面に広がる葡萄畑がある。有名なシャルツホーフベルクだ。このドイツワインのロマネ・コンティとも言える27haの最 上の畑には8名の所有者がおり、その中で最も評価の高い造り手がエゴン・ミュラー醸造所である。醸造所はシャル ツホーフベルクの麓に人里はなれてぽつんと一軒建っているが、そこが醸造所であることを示す目印は何もない。表 札もなければ、呼び鈴すらもない。まるでよそ者を拒絶するかのような佇まいに、僕はこれまで怖気づきながらも、い つか訪れてみたいと願っていた。そして、その機会がようやく巡ってきた。
約束していた時間が来たので、正面玄関の前に立ち、呼び鈴を探していると扉が内側に開き、エゴン・ミュラー氏の
笑顔が顔を出した。VDPの試飲会か競売会では勿論、メディアに出てくる時もいつもスーツ姿でクールな表情なの で、ポロシャツにジーンズという気軽ないでたちと笑顔に少し意表を突かれた。
「やぁ、よく来たね!」
我々一人一人と握手しながら中へ招き入れてくれた。玄関ホールは黒光りする木の調度に囲まれており、床はボリ
ショイ劇場の床を模したというモザイクだった。ホールの片隅に黒大理石の丸テーブルがあり、その上に6本のボトル が並んでいた。2004年産の新酒だ。エゴン・ミュラー氏は一本づつグラスに注ぐと、さあどうぞ、と僕達に試飲をすす めた。普通は一人につきグラスが一つなのだが、これだと全て試飲するには一つのグラスを回し飲みしなければなら ない。少し当惑しながらも、僕達は素直にそうした。
玄関ホールで一通り試飲が終わった後、少し沈黙が漂った。エゴン・ミュラー氏も物思いに耽っているかのように静
かだった。もしかしたら、これで訪問は終わりなのだろうか?玄関先で立ち話をするように試飲して帰るのはやや寂し いが、一応目的は達した訳だから満足するべきなのかもしれない、と自分を納得させようとした矢先、彼が口を開い た。
「試飲は終わったかい?それじゃ、書斎へどうぞ。」
僕達はほっとして、勧められるままにホールの左手にある扉をくぐり、暖炉の前に設えられたソファに腰をおろした。南
向きの窓の両脇に造り付けの背の高い書棚があり、古色蒼然とした革装本がびっしりと並んでいた。この書棚の前 で、彼が肘掛け椅子に座る父親の脇に立っている写真を見たことがある。ここだったのだ。写真の中で冷たく澄まし た表情の彼は、今日の僕達の前では気さくでざっくばらんで、よく笑顔を見せた。
彼はデカンターに入れたワインを持って来た。明るい金色で、少し泡立っている。
「炭酸が抜けると、もっとうまいんだが。」
そう言って皆のグラスに注いでくれたのは、チェコで造っているシャトー・ベラの2003年産リースリングだった。キリリと
した辛口で、まだとりつくしまが無いといった様子の、どちらかといえばそっけない印象をその時は受けたが、以前飲 んだ2002年産が芳醇な白桃のアロマを持っていたことを考えると、きっと熟成で落ち着いてから魅力を発揮するのだ ろう。
エゴン・ミュラー醸造所は2001年産からシャトー・ベラのワインをプロデュースしている。リースリング100%で初年度か
ら食事にあう辛口を造る予定だったが、完熟まで収穫を待った2001年産は130エクスレに達した結果、濃厚甘口とな った。辛口は2002年産からだ。チェコで造ったワインをリリースすることになったきっかけは、エゴン・ミュラー四世の 奥さんの叔母が、チェコで売りに出ていたシャトーを買う相談を持ちかけてきたことだった。古い教会のある町が近郊 にあり、観光の拠点としてのニーズがあると見たのだ。城は共産主義政権のもとで荒れ果てていたが、素晴らしいケ ラーがあった。そこでワインを造ってくれないか、と彼女は提案したそうだ。
そうして、エゴン・ミュラー醸造所の出資により最新の醸造設備を備えた醸造所がチェコに誕生した。気鋭のケラーマ
イスターを雇用し、高品質で手ごろな価格−ドイツ国内で14ユーロ前後で手に入るエゴン・ミュラーの辛口リースリン グは、シャトーを改装したホテル・レストランの宣伝にもなる。ホテルはまだオープンの目処が立っていないが、レスト ランは年内に開店する見通しだ。
グラスのシャトー・ベラが空にならないうちに、エゴン・ミュラー氏は次のワインを持ってきた。2003年産シャルツホーフ
ベルガーのカビネットだ。午後にあと二軒の醸造所訪問を控えていたので、たっぷりと注がれたチェコの辛口をどこか に空けてしまいたいという誘惑にかられたが、書斎にはどこにも適当な容器が見当たらなかった。空になったグラス に注いで回るエゴン・ミュラー氏の物問いたげな視線に、僕は覚悟を決めて残りを飲み干した。明るい黄金色の液体 が注がれるのを見ながら、確実に13%はあったアルコールで頬が火照ってくるのを感じた。
僕達はカビネットをすすりながら、彼の体験に基づく話に聞き入っていた。2003年らしくたっぷりとした口当たりで、甘
口のはずなのだが、あまり甘さを感じさせない。逆にミネラルの存在感がやや目立つ。酸味は控えめながら、そこは かとなく果実味をまとめて調和をもたらしている。考えてみれば、エゴン・ミュラーの他にその長期熟成能力を高く評 価されている醸造所は、モーゼルではJoh.Jos.プリュム醸造所など数えるほどしかない。一体ワイン造りにおける何 が長期熟成能力のあるワインと、そうでないワインを分けるのか聞いてみた。
1989年のアウスレーゼがすっかり空になったところで、エゴン・ミュラー氏は一度姿を消すと、今度は灰色の埃にま
みれてまるで化石のように見えるボトルを手にして戻ってきた。1976年産シャルツホーフベルガー・アウスレーゼだっ た。
気がつくと、ボトルはすっかり空になっていた。僕達は彼に感謝しつつ洋館を後にすると、入れ違いに奥さんの運転す
るBMWが乗り入れてきて、後部座席から子供が降りてきた。今年5歳になるエゴン・ミュラー5世だ。フォン・シューベ ルト醸造所同様、彼もその名の通り跡取りとなることを期待されている。思慮深く繊細な4世とは対照的に、遠めに見 ても小さいながらも自己主張の強そうな様子が伺えた。ゴット・ファーザーと呼ばれたエゴン・ミュラー3世に似ている のかもしれない。勝手な想像ではあるが。
未来のオーナーは館がまるで既に自分のものであるかのように闊歩し、その朝僕達がくぐった扉の奥へと消えていっ
た。息子を屋内へ招き入れた後、エゴン・ミュラー氏は僕達の方をそっと伺うように眺め、静かに扉を閉めた。
醸造所は再び外界と隔絶され、孤高の高みへと戻って行ったような気がした。
(2005年4月)
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