醸造所巡り3日目の朝。昨夜来降りそぼっていた雨も上がり、リーザー村の葡萄畑には雲の切れ目から陽光が注いでいた。醸造所は河沿いに聳える洋館の敷地内にある。19世紀末に建築されたシュロス・リーザーと呼ばれるこの洋館は、15年前まで施主であるショーレマー男爵の未亡人が住んでいた。その彼女が92歳で世を去ってからは、無人の館となっている。外壁には蔦がからまり、玄関の薄汚れた窓から屋内をのぞくと、ホールの片隅に立つマリア像に一瞬ドキリとさせられた。がらんとして虚ろな空間には埃が積もり、幽霊屋敷の様な趣を漂わせている。








(洋館の一角にある聖母子像。)



「かつては村が全面的に補修工事をして、高級ホテルとして開業する計画もあったんだけどね。」
シュロス・リーザー醸造所のオーナーでケラーマイスターのトーマス・ハーグは肩をすくめた。
「屋根のあたりを修繕したところで資金難になって、以来そのままさ。」
今年39歳になるトーマスがここでワインを造り始めたのは、1992年のことである。101年前の1904年に醸造所が設立
された頃は、シュロス・リーザーはモーゼルの銘醸として名高かった。しかし1970年に売りに出されてから所有者を
転々と変えるとともに、ワインの質も転落の一途を辿って行った。

やがて1992年、デュッセルドルフの実業家、ウォルフガング・ライヒェルが醸造所を手に入れると、彼はかつての栄光
の復活を期して気鋭の若手醸造家を抜擢した。それがトーマス・ハーグだった。ガイゼンハイムの醸造学科を卒業し
たばかりの26歳は、既に在学中からザールにあるゼーリヒ村のベルト・ジモン醸造所−奇しくもシュロス・リーザーと
同じショーレマー男爵によりほぼ同じ頃に設立された−でケラーマイスターとして1年間働いていた。

「結婚して子供が出来て、お金が必要だったんだ。」
勉強しながら働きはじめた理由を、彼は懐かしむように語った。シュロス・リーザー醸造所での仕事はワイン造りだけでなく、農作業から販売まで醸造所経営の全てを任される大役であった。1992年の収穫直前のことである。
「当時の醸造施設は修理しなくちゃならない部分が山ほどあった。それに加えて醸造所には顧客もいなかったから、一から開拓しなければならなかった。どん底にあった醸造所の経営責任を引き受けることはひとつの挑戦だったけれど、やらなくちゃならないことを一歩一歩こなしていったんだ。」

彼の献身的な努力は着実に成果を上げ、5年という短期間でモーゼルの一流醸造所のひとつに数えられるまでになり、その証としてVDPへの加盟を成し遂げた。ライヒェルの目論見であった設立当時の栄光を、醸造所は再び取り戻したと言って良い。その記念すべき1997年、ライヒェルから醸造所を譲り受けたトーマスは、名実ともに一城の主となった。31歳の時のことである。


(トーマス・ハーグ氏。1966年生まれ。)



「それで、あなたは醸造所の家庭の出身なんですか?」
同行者のひとりが聞くと、トーマス・ハーグは少し意外そうな表情を見せた。僕はあわてて言った。
「知らないの?彼はフリッツ・ハーグ醸造所の長男だよ。」

フリッツ・ハーグ醸造所はモーゼル最上の醸造所の一つで、昨年までVDPモーゼル・ザール・ルーヴァーの会長を務
めていたヴィルヘルム・ハーグがオーナー兼ケラーマイスターであった。その長男が、トーマス・ハーグなのだ。トーマ
スのワインは、そのスタイルがフリッツ・ハーグに似ているとか、彼のワインが高品質なのも父親が父親だけに驚くに
あたらないとか、ことあるごとに父のワインと比較して評されてきた。また、シュロス・リーザー醸造所が短期間でのし
上がることが出来たのは、トーマスの腕もさることながら、父親の醸造所の知名度と人脈が役立ったからだ、とも言
われている。
「いや、そんなこと別に知らなくてもいいんだよ。」彼の出身を知らないと聞いて、トーマスは心なしか面白がっている
ような、少しうれしそうな様子だった。「でも、ワイン造りはほとんど父から学んだと言ってもいいよ。」

『一に品質、ニに品質、三、四がなくて五に品質 Qualitaet, Qualitaet, nochmals Qualitaet!』が口癖だったというヴィ
ルヘルム・ハーグのワインの質に関して妥協を許さない姿勢は、トーマスにしっかりと受け継がれている。

必要に応じて3〜4回同じ畝からセレクションを重ねて収穫し、
最高2気圧で1時間半ゆっくりと圧搾し、二日静置して丁寧に
清澄した後上澄みを樽に移し、酵母が自然に発酵を始めるの
を待つ。培養酵母は用いない。QbAでも補糖は行なわない。徹
底的に清澄された果汁は酵母も少ないので、非常にゆっくりと
発酵をはじめる。時として2週間近く待たされるが、その間アル
コール度のない果汁は常に腐敗の危険にさらされている。並
みの造り手は、そこを待つことが出来ない。培養酵母を添加
し、速やかに発酵が始まるようにするのだが、その良し悪しは
別として、自然酵母で仕立てたワインとは少し異なる香味に仕
上がる。発酵が終了し、澱とともにタンク内で熟成し、ワインが
狙った味に達した時点で樽から汲み出し、フィルターで生き残
っている酵母を分離し、発酵を停止し、4月に瓶詰めされる。丹
精込めて仕立てられた彼のワインは、端麗でピュアであると同
時に、畑の土壌の味わいが明確に表現された銘酒である。



個人的には、トーマスのワインは2001年以降を追うごとに凝縮感を増してきたように思っていたが、本人は「最近に
なって特に変えたことはないよ。経験から毎年少しずつ学んではいるけれど。」と言う。6年前に訪問した時は、フリッ
ツハーグ醸造所を太陽とすればこの醸造所は月に例えることが出来る、と書いた。しかし、それは訂正しなければな
らない。ヴィルヘルム・ハーグが引退し、トーマスの弟であるオリヴァーが2004年産からワインを造っているフリッツ・
ハーグ醸造所とともに、シュロス・リーザー醸造所はその輝きを強めながら、いよいよ空高く昇りつつある太陽だ。トー
マスの自信に満ちた力強い口調が、醸造所をあとにしても耳に熱い余韻を残していた。



◇試飲メモ

1. 2003 Schloss Lieser Riesling
この醸造所では所有する7haのうち最上の畑であるリ
ーザー・ニーダーベルク・ヘルデンと、近年父親から譲
り受けたブラウネベルガー・ユッファー・ゾンネンウアー
以外は畑名前を表記せず、単に『シュロス・リーザー』
としてリリースしている。2003年は猛暑の年らしく華や
かな香り、繊細で白桃のヒントとミネラルが品よく調
和。醸造の際には「あまりケバケバしくなく、モーゼル
らしい軽やかさを保つよう気をつけた」そうだ。

2. 2003 Schloss Lieser Riesling Kabinett
シンプルなようでいて繊細な複雑さのある、上品なリ
ースリング。今が飲み頃。

3. 2003 Lieser Niederberg Helden, Riesling
Spaetlese
土壌に由来するミネラルの味の深みがフルーツの甘
みと拮抗している。蜂蜜、パパイヤ、完熟した林檎の
甘み、長いアフタ。

4. 2003 Lieser Niederberg Helden, Riesling Auslese
シュペートレーゼより一層繊細で濃厚な甘み、土壌の味わい。

5. 2004 Schloss Lieser Riesling Spaetlese trocken
若々しく新鮮、青林檎、ミネラリッシュ、軽く酵母の香り、透明感のある果実味。2003年に比べると酸味が明確で、い
かにもモーゼル。

6. 2004 Schloss Lieser Riesling Kabinett
上品できらめくような透明感のある果実味、青林檎のヒント、ミネラルのアフタ。

7. 2004 Brauneberger Juffer Riesling Kabinett
上品で繊細な酸味、柑橘、凝縮感のあるクリアな果実味、ほんのりレモン、長いアフタ。

8. 2004 Brauneberger Juffer Sonnenuhr Riesling Spaetlese
上品で繊細、香り高く複雑、エッセンスの甘み。フリッツ・ハーグを彷彿とさせる。

9. 2004 Lieser Niederberg Helden Auslese
クリーミィなエッセンスの甘み、紅茶、非常に上品で繊細な酸味、ミネラル、長いアフタ。

10. 1997 Lieser Niderberg Helden Auslese***
ほのかな熟成の香りと熟した柑橘の若々しい香りが一体になっている。複雑かつ繊細、香り高い。



Weingut Schloss Lieser
Am Markt 1
54470 Lieser/Mosel
Tel. +49(6531)6431 Fax. 1068
HP: www.weingut-schloss-lieser.de
試飲直売:要予約


(2005年5月)



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