葡萄畑の岩石と、その味わいを伝えるワイン。確か、レイ・ブラッドベリの短編に『そして岩が叫んだ』というのがあったように記憶しているが、定かではない。しかしこのワインは、岩の叫びを確かに伝えている。



ヘイマン・レーヴェンシュタイン醸造所のオーナー、ラインハルト・レーヴェンシュタインはドイツワイン界の異端児であ
る。それは彼の経歴−1970年代、ヒッピーとしてヒッチハイクをしながら北アフリカを目指してバルカン半島を放浪、パ
リに流れ着いた際に共産党に入党し、1974年にキューバへ飛んで同志とともに国づくりに参加したという−からも伺
えるが、それ以上にテロワールを辛口リースリングで表現することを妥協せずに追求する姿勢は、モーゼルはもとよ
りドイツでも異彩を放っている。

「テロワールのアイデンティティをワインに昇華させることが出来れば、そして土壌・葡萄・ミクロクリマ、そして醸造家
の能力の創造的統合を、唯一無二で真正の官能体験に凝集させることが出来れば、ワインは単なる美味を超えたも
のとなる。」

それが、葡萄農民というよりも教授の様に見える、彼の信条である。



今年2005年3月、パリの品評会で彼の造った2002年産ヴィニ
ンガー・ウーレン・ラウバッハ−モーゼル下流のヴィニンゲン村
の南にある、急斜面の段々畑『ウーレン』の一区画が『ラウバ
ッハ』である−の辛口リースリングが、2003年産ラトゥールやイ
ケムとともに『今年のワイン』に選ばれた。輸入ワイン部門での
受賞であるが、ベガ・シシリアのウニコをはじめとする世界各国
の銘酒を退けての快挙である。だが、ここに至るまで、数限り
ない試行錯誤を繰り返してきたという。例えば90年代半ばか
ら、果実の破砕後24から48時間、果皮を果汁に浸けて強制的
に酸化させる手法を取り入れた。また、辛口リースリングはア
ルコール度12%前後で最上の調和を生むと言う考えから、必要
次第で積極的に補糖(シャプタリゼーション)を行い、QmPなら
許される肩書きには全く拘らなかった。発酵には必要に応じて
培養酵母を加え、それをステンレスタンクで数週間かけて低温
発酵させた。その他にも清澄剤、澱引きのタイミング、シュー
ル・リーの期間、瓶詰めの際のフィルタなどの試行錯誤を重
ね、納得のいくワインに至るまでには、すくなくとも15年を要し
たという。

近年、彼は培養酵母の使用を止め、自然酵母のみによる低温
発酵に取り組んでいる。自然酵母は培養酵母よりも気まぐれ
で、とりわけ低温では発酵が途中で止まってしまうことも珍しく
ない。発酵があまりに遅くすすむと、果汁が必要以上に酸化し
て好ましくないバクテリアが繁殖するリスクが高いのだが、ライ
ンハルトは「ノーリスク・ノーリターンだよ。」と肩をすくめる。そ
の一方で、一向に発酵の進まないタンクが気になって眠れず、
早朝からケラーをうろうろと歩き回ることもある。

「なぜ発酵してくれないんだ?一体どうすればワインにいる微生物達を総動員することが出来るのだろう?」
タンクの周りを徘徊し、発酵途中の白濁したワインと対話するうちに、アイデアが閃くのだそうだ。
「人間に出来ることは、発酵プロセスのごく一部にかかわることでしかない。ワイン造りの一つの操作の背景には、千
の未知の領域があるんだ。」という。そうして自然酵母により発酵されたリースリングには、畑の個性が明確に現れ
ていた。



◇キルヒベルク Kirchberg。ヴィニンゲン村より上流、
ハッツェンポート村にあるこの畑の赤みを帯びたシー
ファー(スレート岩)には、しばしば小さな珪岩が煌い
ている。緻密で内にこもった柑橘香、濃厚なボディに
オレンジと蜂蜜、微かに海の匂い。この一帯が40億
年前は海底にあったことを、畑から出る貝の化石とワ
インのアロマが示している。アフタにスパイシーなミネ
ラル。

◇シュトルツェンベルク Stolzenberg。キルヒベルクの
すぐ近くにあるが、シーファーの色は暗く青みを帯びて
いる。複雑で深い果実香に、シーファーのヒント。濃厚
でクリーミィな舌触り、調和のとれた果実味に上品な
シーファーのミネラル。

◇レットゲン Roettgen。ヴィニンゲン村の下流にある
この畑のシーファーは、褐色を帯びて柔らかく、とくに
酸化鉄の含有率が高いところは、赤褐色をしている。
完熟したオレンジのアロマ、深みのある味わいに比較
的明瞭に甘みが感じられる。親しみやすい。

◇ウーレン・ブラウフューサー
ライ Uhlen Blaufuesserlay。ラ
インハルトはヴィニンゲン最上
の畑、ウーレンの三つの区画
からワインを造っており、これ
はその一つ。土壌はその名の
通り青みを帯びたシーファー。
上品で落ち着いた柑橘に、キ
リリとしたシーファーのアロマ。
エレガント。

◇ウーレン・ラウバッハ Uhlen
Laubach。この区画ではシーフ
ァーは暗灰色をしており、しば
しば貝やさんご礁の化石が見
られる。濃厚で中身がぎっしり
詰まったボディ、綺麗に伸びる
シーファーのヒント。ボディの豊
かさは貝がらに由来する石灰
の影響だという。
(列車の車窓から見えるウーレンの段々畑。所々白い筋のように斜面を上下に走っているのが、畑内の移動に使われるモノラックバーンのレールである。右に見えるのはアウトバーンの高架橋。)

◇ウーレン・ロスライ Uhlen Rothray。珪岩の混じった暗赤色のシーファーに、カーキ色を帯びた石灰質の層が混じっ
た土壌。深みのある凝縮した果実味、上品な柑橘、シーファーのアロマにほんのりとモカのクリーミィな香りが漂う。
同じウーレンの畑でも、区画によってこれほど個性に差が出るとは.....!



これらの畑は1802年にナポレオン政権下で行なわれたモーゼルの畑の格付けで、既に最上の畑とされていたそう
だ。2002年にVDPモーゼル・ザール・ルーヴァーが行なった格付けでも『エアステ・ラーゲ Erste Lage』に認定された
が、ラインハルトはこの畑の格付けの最も熱心な推進者である。2003年10月7日付けのフランクフルター・アルゲマイ
ネ紙に彼が寄稿した『エクスレからテロワールへ』という記事は、19世紀以来の歴史を振り返って現在の果汁糖度を
基準にしたドイツワイン法を厳しく批判するとともに、食品産業のマーケティング戦略による味覚の画一化傾向に警鐘
を鳴らしている。それに対するアンチテーゼがテロワールのもたらす味わいを持つワインであるとし、産地に根付いた
文化と伝統を自覚したワイン造りに向けた意識改革を訴えている(http://www.grossesgewaechs.com/で閲覧可
能)。



ラインハルトの実家も醸造所だが、父親と意見が合わ
ずにモーゼル下流のヴィニンゲンに程近いワイン村レー
メンに、奥さんのコーネリア・ヘイマンとともに1980年に
醸造所を設立した。その3年後、跡継ぎのいなかったヴ
ィニンゲン村の駅のそばにある現在の醸造所(右写真)
を買い取る。80年代半ば、よく売れるワインといえば口
当たりのいい甘口だったのだが、彼は最初から国際的
競争力のある辛口を目指した。海外での、とりわけフラ
ンスでの生活体験が、語学能力だけでなく、嗜好とワイ
ン造りの方針に少なからぬ影響を与えているようだ。

(醸造所の外観。)

僕達が訪問した2005年5月上旬、醸造所の2004年産はリリース前で、2003年産は最も高価なウーレン・ロスライ
(24,50Euro)と、最も安く生産量の多いシーファーテラッセン−ヴィニンゲン以外の複数の畑の収穫を用いたワイン
で、複雑さこそ控えめなものの、アロマティックでインパクトは強い(9.50Euro)−しか残っていなかった。14haの畑から
約9万本を生産、平均収穫量は51hl/haである。



「私の造るリースリングは、モーツァルトの音楽によく似ている。彼の作品は素直で心地よい、戯れるような気品が生
きづいている。その一方で非常な複雑さと奥行きの組み合わせが特徴でもある。それは新たな発見への誘惑であ
り、認識の深い層へと沈潜することを常に可能にする。」
と、ラインハルトは言う。音楽界の鬼才であったモーツァルトと、ドイツワイン界の異端児、ラインハルト。確かに、通じ
るところがあるかもしれない。


ヘイマン・レーヴェンシュタイン醸造所
Weingut Heymann-Loewenstein
Bahnhofstrasse 10,
D56333 Winningen an der Mosel
Tel. +49(0)2606 1919
Fax. +49(0)2606 1909
HP: www.heymann-loewenstein.com 日本
語のページあり。若干不自然な訳だが、丁寧
な内容。
試飲直売:予約のみ
Data
所有面積  14ha
年間生産量 約90,000本
栽培葡萄品種 リースリング 99%
平均収穫量  51hl/ha
加盟醸造所団体 VDP
ゴー・ミヨ2005年版での醸造所評価 ☆☆☆☆
個人的評価 ☆☆☆☆
参考HP:http://www.wein-plus.de/weinfuehrer/Weingut+
Heymann-Loewenstein_598.html ドイツの総合ワインサイトWein
Plusのヘイマン・レーヴェンシュタイン紹介ページ。
http://www.bbr.com/US/db/producer/223/Weingut-Heymann-
Lowenstein?ID=null イギリスのワイン屋ベリー・ブラザーズ&ラッ
ドのHP. 英語による醸造所紹介の他、日本語ページもある。



ヴィニンゲン村はラインとモーゼルの合流点コブレンツからほど近い、小奇麗なワイン村である。ほどほどに観光地化されており、レストラン、居酒屋、民宿なども整っている。

右写真は村の泉にある、ヴィニンゲンの魔女(Winninger Weinhexe)の像。他の村ではワイン女王しかいないが、ここには魔女もいる。

下写真は近郊の葡萄畑の岩石と、そこに生息する植物。モーゼルでも特に温暖な一帯で、独特の動植物が見られる。


(2005年8月)




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