その朝、ザールブルクの町を見下ろすラウシュの畑は、しっとりと雨に濡れていた。
シーファーとそこに整然と立ち並ぶリースリングの樹もまた雨に濡れそぼり、剪定されハート形に仕立てられた枝の
先からは、静かに雫が滴り落ちていた。枝は今どき珍しく、柳の若枝のようなヴァイデと呼ばれる小枝で杭に結わえ
付けられている。その昔ながらの整枝法が、熟練した技術を要するものであることは、複雑な結び目からも見て取れ
た。


「こいつをまともに出来るまで、大抵2年かかるか、それとも一生出来ないかのどちらかだよ。」
葡萄畑のオーナー、ハインツ・ヴァーグナー氏は言った。
「最近は枝を針金に結わえる仕立てが増えているが、針金は金属だ。厳しい寒さでは、葡萄の枝を痛めてしまう。」
彼は徹底した伝統主義者である。ステンレスタンクは用いず、今でも数十年使い古したフーダー樽一本槍だ。培養酵
母にしても、果汁の温度が低すぎて発酵がなかなか進まない時の非常手段として用いるのみで、大半は自然酵母
に依存している。1898年に完成したというワイマール様式の建物の地下に広がるケラーは、年間の気温は一定して
9度前後を保っている。歳月を経て黒ずんだ染みでまだらになったコンクリート造りの広大な空間の一角にある通路
は、醸造所のすぐ近くにあるザールブルクの駅の地下を越え、およそ100m先まで続いているそうだ。すべて彼の曾
祖父で、1880年にザールにゼクト製造会社を興して成功したヨゼフ・ハインリヒ・ヴァーグナーにより建築された。彼が
いかに事業で成功を収めたかは、同じザールのゼーリヒ村を見下ろす山の上に、ゼクトケラライ・シュロス・ザールフェ
ルスを設立したことからも伺える。

「ザールらしさを守ること、それが醸造所の将来の鍵を握っている。
ザールでモーゼルと同じワインを造っても意味がない。ザールなら
ザールの個性が明確でなければならないし、伝統を守るか捨てる
か、これもどっちつかずの中途半端ではダメだ。そして、近年の変
化が激しい消費文化に妥協することがいい事だとは思わない。伝
統を守りつつ、ザールの個性がはっきりと出たワインをつくること、
それが醸造所の生き残る唯一の道だと信じている。」

ケラーの一角にはボトルがシャンパーニュの貯蔵倉のようにボトル
が幾段にも、整然と重ねられていた。近年は金属製のコンテナに
単に押し込めて瓶を貯蔵する醸造所が多いなか、仕切壁との間に
束ねた藁を詰めてボトルの山を整えているのは、葡萄畑の柳の枝
の整枝、フーダー樽100%のワイン造りとともに、徹頭徹尾伝統にこ
だわる姿勢が感じられる。長年醸造所に手伝いに来るポーランド
人がやっているそうだが、瓶の貯蔵方法は、徐々にコンテナに切り
替えていくつもりだという。醸造所にはビザの関係で3ヶ月交代で
入れ替わり立ち替わり、ポーランドの出稼ぎ労働者が仕事に来
る。もう十年以上来ている人が大半で、ヴァグナー氏の信頼も厚
い。


(ハインツ・ヴァーグナー氏)


ポーランド人の労働者だけでなく、日本のとあるインポーターも、彼の厚い信頼を受けている。1981年から20年以上
に渡り取引が続いているそうだ。
「もう長年のつき合いだから、どんなワインを望んでいるのか、あえて言われなくてもわかる。」
とヴァグナー氏は言う。一度、アメリカのインポーターがヴァグナー氏の邸宅の一部に、改築する資金が無く閉鎖され
ている部分があることを揶揄したところ、彼はその後一切取引を打ち切り、一本たりとも売らなくなったとう。頑固であ
ると同時に繊細な面も持つヴァグナー氏と、長年のつきあいを続けるのは、決して容易なことではない。

「しかし、近年日本の市場も難しいようで、日本向けはシュペートレーゼ止まり。もし消費者が、QbAかカビネットで私
の醸造所を知るしかないとしたら、それはとても残念なことだ。アウスレーゼ以上の高品質なワインを造っている意味
が無くなってしまう。」
彼は2003年産のザールブルガー・ラウシュ、リースリング・アウスレーゼを僕たちのグラスに注ぎながら、無念そうに
語った。

2005年産の瓶詰めも今週中にはほぼ終えるという。それはザールらしい繊細さを備えた、酸味のしっかりとした上品
なリースリングである。現在娘さんのクリスティアーネさんが、醸造所を継ぐべくガイゼンハイムで勉強している。まだ
あどけなさの残る彼女が将来醸造所を率い、その伝統を守る事はきっと容易な事ではないだろう。しかし、守るだけ
の価値あるものであることもまた、確かなように思う。


Weingut Dr. Heinz Wagner
Bahnhofstrasse 3
54439 Saarburg/Saar
Tel. +49(0)6581-2457
Fax. +49(0)6581-6093
Email: drwagner@t-onlie.de
訪問直売:アポイントが必要です
Data
所有面積  9ha
年間生産量 約60,000本
栽培葡萄品種 リースリング 100%
平均収穫量  60hl/ha
加盟醸造所団体 VDP
ゴー・ミヨ2006年版での醸造所評価 ☆☆
個人的評価 ☆☆☆


(2006年4月)




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