春先のヴォージュ山系からの雪解け水で水かさを増したモーゼルは、茶色に濁りつつ滔々と流れ、河岸の散歩道を
水没させていた。ワイパーで雨粒を弾きながら川沿いに車を走らせ、雨に滲んだフロントガラスの奥に見える村の入
り口ごとに立つ黄色い道路標識に目を凝らし、一体どの村に入ったのかを知る。モーゼルとその支流、ザールとルー
ヴァーには116のワイン村がある。ベルンカステル、グラーハ、ヴェーレン、ツェルティンゲンなど有名な村の側を通る
時、急斜面の葡萄畑の圧倒的な光景を前に胸が沸き立つのだが、大半の村々は無名の葡萄畑にかこまれ、ひっそ
りと佇んでいる。ダーメン・クーネン醸造所のあるロンゲン村は、そんな小村のひとつである。

人口わずかに85人のこの村には、現在たった一軒しか醸造所がない。それが、ダーメン・クーネン醸造所である。
「私の所が、この村で最後の一軒の醸造所だよ。」
ケラーマイスターのヘアマン=ヨーゼフ・ダーメン氏はつぶやくように言った。
今からおよそ30年前の1977年、彼が20歳で父から252年の伝統を持つ醸造所を継いだ時、村には14軒の醸造所が
あったという。ダーメン・クーネン醸造所に併設された居酒屋には、冬の静けさがそのまま居座ったかのような気配が
漂い、テーブルの上には長い間無人で放置されていたかのような、ざらざらとした埃の手触りがあった。そんな居酒
屋が5月から秋にかけてのシーズンには、モーゼルを行き交う観光客で賑わうという。その光景を思い浮かべるには
しかし、少しばかり想像力を要した。

(ヘアマン=ヨーゼフ・ダーメン氏)

醸造所が自ら瓶詰めしてワインを売るようになったのは、1995年のことである。それまでは2.8haの畑の収穫は、全
て樽ごと売られていた。だが、1992年のEU市場統合にともなって廉価な輸入ワインが急増するとともに、1989年以
来気候的に恵まれた年が続いたこともあり、供給が需要を上回り、樽売り価格の低下は留まることを知らなかった。
それに追い打ちを掛けたのが、1992年の豊作である。平年を4割上回る量が収穫されたが、高温と多雨でありとあら
ゆる病気や黴が発生し、質的に難しい年となった。一度下落した価格はなかなか上昇に転じることはなく、フーダー
一樽1000リットルで、700マルクというから約5万円にしかならなかったという。当時の平均収穫量は約170hl/haだっ
たというから、50樽出来たとしても年収250万円。周知の通り、急斜面の多いモーゼルでは機械化が困難であり、収
穫や剪定など多くの農作業が手作業に依存しており、多大な労働時間を要する。しかも、農薬代や収穫作業者への
支払いも必要だ。醸造所の経営が、樽売りでは立ちゆかないことは明らかだった。

そんなどん底の中で1995年、ダーメン・クーネン醸造所は、自ら瓶詰して販売するという、経営方針の転換を決断し
た。幸い所有する畑メーリンガー・ツェラーベルクは、上質のワインを産するポテンシャルのある畑であった。170hl/ha
から70〜80hl/haへと思い切って収穫量を落とし、トリアーのワインスタンドをはじめドイツ各地で試飲会を開催、顧客
を一から開拓して行った。無名村の小規模家族経営のワイン農家にとって、それは容易なことではなかった。
「転換してから最初の2年は、飢え死にしそうだったよ」とダーメン氏は当時を振り返る。

しかし、将来を見越した決断は成果をもたらし、新方針の経営は次第に軌道に乗っていく。2001年には果汁冷却装
置を購入、2002年には圧搾機も新型を導入した。畑も4.5haへと拡張し、リースリングの割合を増やすとともに赤用品
種も植えた。現在葡萄の77%がリースリング、3%がミュラートゥルガウとヴァイスブルグンダー、残りの20%がドルンフェ
ルダー、シュペートブルグンダーとフリューブルグンダーの赤用品種である。完熟した葡萄は果梗を取り除き、葡萄の
状態にもよるが12〜48時間果皮を果汁に浸して香味成分を抽出する。いわゆるマイシェスタンドツァイトである。その
後6〜8日間6℃の低温に保って清澄するとともに、カリウムと酸を酒石のように結合析出させ、減酸を行う。こうして
時間をかけてきつめに清澄した果汁は、そのままでは発酵が難しいので培養酵母を投入し、ステンレスタンクで冷却
しながらゆっくりと発酵を行う。

ダーメン氏が容量2000リットルの小振りなタンクの蛇口をひねる
と、タンク内でシュール・リー熟成中の2005年産の新酒がグラスへ
と迸った。濃いめのクリーンなフルーツ感に、アプリコットのアロマ
が明瞭に漂う。非常に魅力的な香りだ。
「いったい、どんな酵母を使っているのですか?」と聞くと、ダーメン
氏は「企業秘密だよ」と笑った。
果汁の性質に応じて、様々な酵母や酵素を使い分けているようだ。
近年この分野の研究開発成果はめざましく、低温発酵に強いもの
はもとより、アプリコットや白桃など特定のフルーツのヒントが全面
に出るものや、ボディのしっかり感を出す事の出来る酵母や酵素が
市場に出回っており、醸造家には様々な選択枝が与えられてい
る。
「毎年新しいことに取り組んでいるし、ここ数年は甥っ子のアヒムも
ガイゼンハイムで勉強したことを取り入れて、ますますいい結果を
出してきている」とダーメン氏は言う。
(こぢんまりとした醸造所のケラー。)

後継者であるアヒム・ロッシは、発酵と酵母に関する卒論をすでに提出し、夏までニュージーランドのペガサス・ベイ
醸造所で研修してから、醸造所に帰ってくるそうだ。ガイゼンハイムでも成績優秀だったそうで、醸造所最上のリース
リング・シュペートレーゼ『プリムス』は、ラテン語のPrimus inter pares−主席−にちなんでいる。また、この醸造所
にとっての幸運は、数年前にドイツワインの輸出仲介をしているケスペラ氏と出会ったこともある。以来、日本は毎年
生産の約3割が出荷されるお得意様だ。生産の約6割は日本市場を意識して甘口に仕立てられるが、辛口・中辛口
白の他にもバリックで熟成した赤をリリースしている。

帰り際、「記念に、もっていきなさい」と、ダーメン氏は一本のハーフボトルを渡してくれた。
「本当は、アイスヴァインにするつもりで収穫を待っていたのだけれど、結局充分な寒波が来なかったので、翌年の1
月20日に収穫したワインだよ。」という。「1997年とエチケットにはあるけど、収穫は1998年なんだ。」
1997 メーリンガー・ツェラーベルク、リースリング・ベーレンアウスレーゼ。氷点下8℃を下回る寒波を年を越してから
も辛抱強く待ち続けた成果が、このワインなのだ。量から質へと転換した矢先、食うや食わずの生活の最中で、それ
でも志を堅持して造ったワイン。いつか何かでくじけそうになったとき、栓を開けてみようと思う。



Weingut Dahmen-Kuhnen
Bergstrasse 2
54338 Longen/Mosel
Tel. +49(0)6502-994055
Fax. +49(0)6502-994954
Email: weingut.dahmen-kuhnen@web.de
訪問直売:夏から秋にかけて、居酒屋と民宿を
営業しています。開店時間などメールでお問い
合わせ下さい。
Data
所有面積  5ha
栽培葡萄品種 リースリング 4ha, ドルンフェルダー0.2ha, ヴァイス
ブルグンダー 0.2ha, フリューブルグンダー 0.2ha, シュペートブルグ
ンダー 0.2ha, ミュラー・トゥルガウ
平均収穫量 70-80hl/ha
ゴー・ミヨ2006年版での醸造所評価 なし
個人的評価 ☆☆

(2006年4月)




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