1. 2006年の収穫直前


2006年10月上旬、モーゼルはリースリングの収穫開始を目前に控えていた。
しかし、多くの醸造所は期待に胸を高まらせるよりもむしろ、悲観的だった。
冷涼だった8月、果汁を守る必要の無かった葡萄の実の皮は薄く成長し、好天続きの9月で熟すとともに益々薄くなっ
ていたところに、9月末から幾日も雨が降った。それは、モーゼルの一部に洪水を起こすほどの量であった。

その雨水を吸って、膨らんだ葡萄の薄い皮は裂けた。

裂け目から甘い果汁が滴り、葡萄の果皮にねっとりとした皮膜を作り、ボトリティスが物凄い勢いで広まった。貴腐菌
とも呼ばれるそれによって、多くの房は茶色に醜く変色して行った。

「いや、まだこれからだよ。これから晴天が続いて、葡萄の水分が蒸発すれば、果汁の糖度は益々上がる。その上、酸も去年より弱冠多いからね。」

ほぼ一週間ぶりに青空が広がった10月8日、エルデナー・トレプヒェンの葡萄畑の農道でDr. ヘルマン醸造所のオーナー、ルーディ・ヘルマン氏は楽観的に断言し、手近の干からび始めた葡萄を摘み、リフレクトメーターのガラスにこすりつけた。
「ほら、これを見てごらん。」
小型の望遠鏡のようなそれを覗くと、糖度は確かに135エクスレを越えていた。
「一見痛んでいるように見えるけど、これが乾燥すれば、まだチャンスはある。….もっとも、その分収穫量は減るが。」
そう言って、片時も指からはなさないタバコを一口吸い、ため息とともに吐きだした。


(その日目にしたエルデナー・トレプヒェンのリースリング。果皮が裂けたところにボトリティスが繁殖している。)



2. 醸造所の特徴・歴史


彼が経営するDr.ヘルマン醸造所はモーゼル中流、ベルンカステルからやや下流に行ったエルデン村の入り口にあ
る。醸造所のワインのほとんどが甘口に仕立てられ、辛口はほんの15%ほど。近年辛口指向が進むドイツの醸造所
の中では珍しい。
「辛口は販売が難しい。国内市場向けにリリースはしているけれど、1年以内に売り切らないといけない。翌年新酒
が出ると、もう誰も欲しがらないからね。」
と、近年の消費者のせっかちぶりを嘆く。
「それに、価格競争が厳しい。ディスカウンターで輸入辛口ワインが2,3ユーロで手に入るところに、経営が成り立つ値
段で売ろうとしても、なかなか難しいんだ….。」
だから、優れた畑からの高品質な甘口を、海外市場に向けて輸出する。それが、この醸造所の経営方針であり、ワ
インの7割が北米、北欧、日本など海外へ輸出されている。
「さらに、海外からのお客は支払いがいいんだ。国内のレストランに売ろうものなら1年近く待たされるところを、前金
でくれるんだよ。ありがたいよね。」
なるほど、納得である。

Dr. ヘルマン醸造所は、1967年にJoh. Jos. クリストッ
フェル醸造所から葡萄畑を相続して設立された。医者
であったルーディ・ヘルマンの父が、クリストッフェル家
の娘と結婚。リーザーに開業する傍ら、妻が相続した
畑でワイン造りを始めた。当時5人に葡萄畑が相続さ
れたが、今でも専業農家を続けているのは、VDP加盟
醸造所のJoh. Jos.クリストッフェル・エルベンをメンヒホ
フ醸造所が経営を引き継いだ後、Dr. ヘルマン醸造所
ただひとつだ。


(1971年当時、Dr.ヘルマン醸造所はDr.ヘルマン・クリ
ストッフェル醸造所と名乗っていた。エチケットの聖クリ
ストフォロスのモチーフもJoh.Jos.クリストッフェル醸造
所と同じだ。)

1974年にルーディが継いでから、一時期父親が
医者であったことにちなんで『サニテーツラート
(衛生顧問官)Dr.ヘルマン醸造所』と名乗ってい
たこともある。星の数ほどあるモーゼルの醸造所
の一つでしかなかったのだが、2003年産で一躍
評判をあげた。アイヒェルマンのドイツワインガイ
ドで3つ星、ゴー・ミヨで一つ房を獲得したのであ
る。その背景には、二つの事情がからんでいる。

ひとつは、2001年にルーディの息子、クリスチャ
ンがベルンカステルの醸造学校を卒業し、Dr. ロ
ーゼンをはじめ様々な醸造所で3年間研修した
後、実家でワイン造りに本格的に携わるようにな
ったこと。もうひとつは、2003年、最新式の圧搾
機−コンピューター制御で1.6気圧の低圧で丁寧
に圧搾出来る−を導入し、それまで伝統的なフ
ーダー樽一本槍だったのを、発酵管理の容易な
ステンレスタンクに変更したこと。それが、醸造所
のワインを見違えるほど向上させたのである。
(醸造所オーナーのルーディ・ヘルマン氏(左)と息子のクリスチャン氏。モーゼルの親子鷹と呼びたい。)



3. トップクラスの畑の購入・さらなる飛躍を目指す


サッカーで言えばブンデスリーガー入りを果たしたDr.ヘルマン醸造所であるが、野心は留まることを知らない。もとも
とエルデナー・トレプヒェンとユルツィガー・ヴュルツガルテン、それに無名ながらも優れた畑キンハイマー・ローゼンベ
ルク、数年前までリーザーにもいくつか畑を所有していた。いずれも急斜面の優れた畑だ。それに加えて今年、エル
デナー・プレラートとユルツィガー・ヴュルツガルテンの一区画が、彼の手中に落ちた。名の通った単一畑は、野心的
な醸造所ならば喉から手が出るほど欲しいものだ。いかなるコネクションを駆使したのか定かではないが、ともあれ
相場ではエルデナー・プレラートが1平米あたり54Euro、ユルツィガー・ヴュルツガルテンが20〜25Euroするという畑
が彼のレパートリーに加わった。決して安い投資ではなかったはずである。

(ユルツィヒ村の背後を囲むように聳える、ユルツィガー・ヴュルツガルテンの畑。Dr. ヘルマン醸造所は右手前の急斜面の区画を今年入手することに成功した。)

そのユルツィガー・ヴュルツガルテンの区画へと向かう。村を抱えるようにして広がる急斜面の畑には上から下まで
斜めに横切る農道が一本通っているきりで、それもトラクターがようやくすれ違うことができる程度の幅である。その
道を登りきった先に、今年はじめにヘルマンが入手した区画がある。下を眺めると、目もくらみそうな急斜面だ。シー
ファーの石だらけの土壌に、棒仕立てのリースリングがはるか下まで続いている。足を踏み外したら最後、数百メート
ルは転げ落ちそうな険しさだ。まもなく訪れる収穫時は、葡萄でいっぱいになると60Kg近い背負子をかつぎ、危険な
斜面の上から下まで歩いて降りなければならない。それには、片道およそ30分近くかかるという。手すりも無い、石
だらけの急斜面を、葡萄の支柱につかまりながら行き来することを想像するだけで足がすくんだ。
「なに、慣れていれば平気だよ。」
クリスチャンはそう言うが、ここまで来るとワイン造りも命がけの仕事である。



4. Dr. ヘルマン醸造所のワイン造り


栽培葡萄品種は100%リースリング、その9割が接木無しの自根(ヴュルツェルエヒトWuerzelecht)だ。自根の葡萄
樹に成る房は小ぶりで粒も小さく、収穫量は少ないが、土壌の個性をよく表現する能力があると言われており、テロ
ワールにこだわる醸造家が好んで用いる。平均収穫量は68hl/ha。収穫のコンディションにもよるが、健全な房は除
梗し、果汁に果皮を漬け込むマイシェスタンドツァイトを12時間前後行い、自慢の最新式圧搾機で1.6気圧の低圧でゆ
っくりと圧搾。それをステンレスタンクで低温発酵する。培養酵母と自然酵母の両方を用いるが、自然酵母のみの発
酵には懐疑的だ。
「自然酵母だけだって謳っている醸造所も、実はけっこう培養酵母も使っているよ。」
と、クリスチャン。まてよ….確か彼は、Dr.ローゼンでも3年研修していたはず。Dr. ローゼンは自然酵母派ではなかっ
たか?定かな記憶ではないが。
ともあれ、そうして醸造されたワインはフルーツ感の明瞭な、クリーンなアロマの甘口リースリングとなる。

◇試飲メモ

1. 2005 Erdener Treppchen Riesling
Kabinett
2. 2005 Uerziger Wuerzgarten Riesling
Spaetlese

どちらもクリーンな完熟したリンゴのアロマ、
アタックは非常にフルーティでミネラリッシュ
だが、中盤からアフタにかけての広がりと複
雑さにやや物足りなさを感じる。




(醸造所のケラー。発酵には主にステンレス
タンクを用い、上級品の一部は発酵後に木
樽で熟成する。)

3. 2005 Erdener Treppchen Riesling Spaetlese "Herzlay"
ヘアツライHerzlayはトレップヒェンの中でもプレラートに境を接した区画。香草の香る繊細かつフルーティな香り、落ち
着いた調和、完熟したリンゴ、快適なミネラル。素晴らしい。

4. 2005 Erdener Treppchen Riesling Auslese*
5. 2005 Uerziger Wuerzgarten Riesling Auselse**
6. 2004 Erdener Treppchen Riesling Auslese**
7. 2005 Erdener Treppchen Riesling Auslese***

アウスレーゼの中でも収穫時の糖度によって3段階に分けている。4は上品な蜂蜜の甘みはいいが、舌にややひっ
かかるような苦みがある。ミネラルなのか?5はたっぷりとして口当たりのいい上品な甘み。6は2004年産らしく繊細
な酸味が甘みの中に綺麗に通っており、非常にバランスがいい。素晴らしい。7はクリーミィな舌触り、濃厚な甘みに
蜂蜜、香草。140エクスレ、パワフル。

8. 2003 Uerziger Wuerzgarten Riesling Beerenauslese*
9. 2005 Uerziger Wuerzgarten Riesling Beerenauslese*
10. 2005 Erdener Treppchen Riesling Trockenbeerenauslese

これでもか!の三連発。Dr.ヘルマン醸造所の野心の結晶とも言えるワインたちだ。4, 5人からなる貴腐葡萄専門に集める収穫チームを本収穫の直前に派遣、房を選りすぐった後、醸造所で一粒一粒、選り分ける。専用の小型圧搾機が一杯になる90リットルぶんが溜まるまで数日選別を続け、圧搾すると2リットルほどの濃厚なモストになる。圧搾まで葡萄は陰干し状態で置かれ、そこでまたさらに水分が蒸発、反比例して糖度は高まる。この粒選り、乾燥、圧搾を繰り返して、最低でも30リットルは収穫する。一般に言えることだが、それ以下では醸造過程でのロスが大きすぎ、リリースできるだけの量にならない。

貴腐ワインの生産量は微々たるものだが、醸造所にとってこれほど宣伝になるものはない。
8と9のBAも濃厚だが、8は2003年という生産年の特徴を反映してやや酸が大人しく上品でクリーミィ。9の2005年産
はほどほどに酸味もあり、コンパクトにまとまった凝縮感のある濃厚な甘口。TBAは240エクスレ。猛烈に濃厚、カラメ
ル、蜂蜜、7%というアルコールを殆ど感じさせない。まるで上品なシロップ、少なくとも10年、できれば20年以上は待
ちたい。生産量はわずか400リットルほど。そんな貴重品を飲ませて頂いたことに、ただ感謝あるのみである。



親子で生き残りを賭けて闘っている醸造所−そんな印象を受けた。
実はクリスチャンが偶然僕のサイトを見つけ、一度訪問にこないかとの誘いを受けて訪れたのであるが、機関銃の様
にしゃべり続ける彼らの迫力に圧倒されつづけた。3時ころに醸造所をみつけ、試飲を終えて外に出たのはとっぷりと
日の暮れた午後7時半。濃厚な訪問だった。


Weingut Dr. Hermann
Moselufer 22
D54539 Uerzig/ Mosel
Tel. +49(0)6532/2542
Fax. +49(0)6532/4021
(試飲直売:Auf der Geig 3,
D54492 Erden/ Mosel
Tel. +49(0)6532/3549)
Email: drhermann@gmx.de
Data
所有面積  5.6ha
年間生産量 約40,000本
栽培葡萄品種 リースリング 100%
平均収穫量  68hl/ha
加盟醸造所団体 ベルンカステラー・リング
ゴー・ミヨ2006年版での醸造所評価 ☆
アイヒェルマン2005年版での醸造所評価 ☆☆☆
個人的評価 ☆☆
日本国内取り扱い先:飯田/伏見ワインコンサルティング


(2006年10月)




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