ツェルティンゲン村のゼルバッハ・オースター醸造所を出る頃、既に4時になろうとしていた。ライヴェン村のヨゼフ・ロ
ッシ醸造所の予約を4時で入れていたのだが、どんなに車を飛ばしても20分はかかる。申し訳ない、と思いながら遅
刻する旨携帯から伝えると、「あ、かまわないよ。天気も悪いし、どっちみち家にいるから。」との返事。さばけた答え
に気持ちが楽になった。



この醸造所は、1985年当時わずか1.5haほどの畑を所有し、収穫の大部分を規模の大きな醸造所に葡萄のまま売
る、ごくありきたりの零細兼業農家だった。そのワインをミシュランの3つ星レストランでアイフェル山地にあるソラナ
Sorannaやベルリンの超一流ホテルであるアドロンのワインリストに載るまでにしたのが、現当主のヴェルナー・ロッ
シ氏(49歳)である。

17歳から葡萄栽培学校へ通い、1979年から1984年まで同じライヴェン村にあるザンクト・ウルバンスホーフ醸造所の運営主任Betriebsleiterを務めていた。ウルバンスホーフは今でこそVDP加盟の一流醸造所だが、その当時はワイン醸造よりも苗木の栽培が経営の主力だった。学校を卒業したばかりで新しい試みへの意欲に燃えていたロッシ氏は、葡萄畑作業の効率化のため、畝の間に下草を植えた。当時、雨の後の葡萄畑はトラクターのタイヤがしばしば泥にはまり込んでしまうほどぬかるんでいたからだ。下草を植えれば、草の根が土壌を支えてぬかるむこともなく、トラクターは楽に行き来できるようになる。今でこそあたりまえの処置だが、雑草をあえて畑に生やすなど、その頃は誰もやっていなかった。同僚や社長から「おまえ、頭おかしいんじゃないの」と言われたよと、ロッシ氏は笑いながら語ってくれたが、その当時は憤懣やるかたなかったに違いない。既に結婚して長女も生まれたばかりだったが、彼はウルバンスホーフを辞め、実家の小さな醸造所を引き継いだ。1985年のことである。
(ロッシ氏。背後のバリックではリースリングが発酵を続けていた。)

その頃、近所の居酒屋で友人達と顔をあわせるたびに、ワイン農業の悲観的な将来について鬱々と語り合うのが常
だった。トリッテンハイムやピースポートといった有名なワイン村に比べて影の薄いライヴェン村では、質より量を目指
した甘口がもっぱら造られていた。しかし、そんなワインはモーゼルでなくても造ることが出来た上、平地の多いライン
ヘッセンに比べ斜面の急なモーゼルでは、機械化が困難でコスト面で不利だった。それにもかかわらず同じ土俵で
競争を強いられていたため、造れば造るほど買い叩かれて値は下がり、生活は苦しくなる一方だった。それに追い討
ちをかけたのが、ルーヴァーのカルトホイザーホフ醸造所の違法補糖事件である。1985年に有罪判決の下ったこの
事件で、当時モーゼルワインの信用は地に落ちていた。また、その当時−あるいはそれが違法補糖事件の背景に
あったのかもしれないが−甘口で口当たりがよいワインが売れ筋で、それが市場の求める味なのだと、誰もが考え
ていた。ニーズに応えるワインを造っても、採算に見合うだけの値で売れないのなら、もはやどうしようもない。モーゼ
ルに未来は無いのではないか。ワイン農家など廃業して、サラリーマンになったほうが生活も安定するし、よほど楽
だ。ワイン農家を継ぐべき若者の大半が、そう考えていたことだろう。

その沈滞した雰囲気を打開するべく、ロッシ氏をはじめとするライヴェン村の
若手5人は『ライヴェン村葡萄農家青年団(ライヴェナー・ユングヴィンツァ
ー)』を立ち上げた。ロッシ氏が独立した年である。ブラインド試飲会を始めと
する数多くのイベントを通じてワイン農家同士の交流を深め、ノウハウや意
見の交換を通じてワインの質の向上を目指すとともに、食事の際に飲む高
品質な辛口ワインを目指すべきだと青年団は主張した。その読みが見事に
的を射ていたことは、近年のグローセス・ゲヴェクスやエアステス・ゲヴェク
ス、あるいはクラシックやセレクションといった呼称の辛口から中辛口ワイン
の隆盛が示している。ライヴェナー・ユングヴィンツァーは現在30の加盟醸
造所を数え、ドイツのトップクラスと評価されている醸造所も、ヨゼフ・ロッシ、
ザンクト・ウルバンスホーフ、グランス・ファシアン、カール・ローヴェンなどい
くつかある。



(熱弁をふるうロッシ氏。ワインに対する情熱は20年前から変わっていない
に違いない。)



一方ロッシ氏の醸造所はといえば、ウルバンスホーフを辞めて思いのままにワインを造れる立場になったとはいえ、
当時所有していた1.5haでは、一家を養うには零細すぎた。専業農家として生計を立てるには、一般に最低でも3ha
は必要と言われている。しかし、彼にはサッカーという特技があった。3部リーグでリベロ として活躍した後、トレーナ
ーとして契約し、充分な収入を得ることが出来たのだ。それを葡萄畑の購入にあてた。当時ライヴェン村周辺の葡萄
畑は一平米あたり10-12マルク(約700-900円前後)と今よりもずっと安かった上に、耕地整理Flurbereinigungも
1950年代に終わっていたので、30年以上の成熟した葡萄が植わった畑を購入できたことも、後の成功に役立った。
彼は現在ライヴェン、トリッテンハイム、ケヴァリッチ、ドーロンに合計5.2haの畑を所有している。

醸造所を引き継いで3年目の1988年産が彼の最初の出世作である。偉大な年と言われる89年に続いて、90年以降
評判は上る一方だった。同時にワインの売れ行きも波に乗って行ったに違いない。醸造所を新たに設立した場合、ワ
イン造りに増して困難かつ重要な課題が、顧客の開拓である。「最初は、片っ端から電話してまわったんだ。」とロッ
シ氏。「よかったらウチのワインを試飲してくれませんかってね。」それが実って、今では顧客に多くのガストロノミー関
係者が名を連ねる。「でも、つらいと思ったことは一度もなかった。むしろ、思い通りのワインを造って、それが舌の肥
えた人たちに認められて受け入れてもらえることの喜びの方が、ずっと大きかったな。」そう言う彼の目は輝いてい
た。「120%仕事を楽しむこと、それが成功の秘訣さ。」自信を持って、そう言い切った。



ヨゼフ・ロッシ醸造所のワインは、オーナーの人柄を反映してインパクトが強い。
直前に訪問したゼルバッハ・オースター醸造所の穏やかな調和と対照的に、ひたすら濃厚でグイグイと押してくる。ど
ちらが好きかは、好みの分かれるところだろう。

1. 2003er Leiwener Klostergarten Riesling trocken
フレッシュな柑橘、ミネラルのアフタ。5Euro (約700円)と手ごろなハウスワイン。82

2. 2003er JR Junior fruchtig-trocken
繊細なアロマ、リンゴ、熟した果実のヒント、口当たりのよい果実味にしっかりしたミネラル。83

3. 2003er Riesling Spaetlese trocken*** Selektion J.R.
アロマティックで調和がとれ、ミネラルがしっかりした果実味。生産年と土壌の個性が明確に描かれている。84

ガストロノミー関係の顧客に安定して供給するため、3つの畑の収穫をブレンドしたワイン。畑はKluesserater
Bruderschaft, Leiwener Laurentiuslay, Koewericher Laurentiuslay。土壌の性質はいずれも似通っているという。

2003年は一般に猛暑で乾燥した年だったが、ライヴェン村の近郊だけ7月におよそ100mmの降水があり、それがそ
の後およそ2ヶ月続く日照りに対する備えとなり、葡萄は給水なしでも持ちこたえることができた。毎年やっていること
だが、乾燥を防ぐとともに有機肥料としてシーファー(スレート岩土壌)の上に厚さ15cm位に家畜小屋で使われてい
た麦わらを熟成させた堆肥を敷いた。

醸造は葡萄の果皮に付着している自然酵母で発酵、木樽とステンレスの両方を使用。どちらの発酵容器を使ったか
で香味にはあまり差が出ないという。

4. 2003er Trittenheimer Apotheke Auslese Alte Reben, feinherb
濃いめの柑橘、繊細なミネラル、グレープフルーツ、リンゴ。がっしりとした濃厚なボディに生産年とテロワールがしっ
かり刻印されている。100エクスレ近くに達した葡萄果汁を前にした時、ヴァッハウ産のようなこくのある辛口ワインを
造ってやろう、と思ったそうだ。アルコール13.5%、数年使用した後のバリックで熟成。86

5. 2001er Trittenheimer Apotheke Auslese Alte Reben, feinherb
4の生産年違い。軽く熟成のヒントが漂うが、まだ若々しい。熟した柑橘、長いアフタに凝縮した柑橘、ミネラル。濃厚
でしっかりしており、まだまだ現役。85

6. 2003er Leiwener Klostergarten Riesling Kabinett
熟した柑橘のアロマ、濃い目でたっぷりした柑橘、リンゴ。84

7. 2003er Dhroner Hofberger Riesling Spaetlese
トリッテンハイムの下流にあるドーロン村の畑。赤シーファーRotschiefer土壌からのワインで柑橘、リンゴなどのヒン
トのあるフルーティな甘口で、素直なワイン。自然の酵母を利用していることもあってか、畑による味わいの個性の差
がはっきりしている。84
8. 2003er Trittenheimer Apotheke Riesling Spaetlese
繊細で調和がとれている。蜂蜜、柑橘、桃のヒント、アフタにミネラ
ルとともに桃の香り。綺麗な甘口。86

9. 2003er Trittenheimer Apotheke Rieslng Auslese
ピュアで繊細な蜂蜜の甘み、ミネラル、ハーブ。軽やかで純粋。
87

10. 2003er Trittenheimer Apothke Riesling Auslese**
*
132エクスレ。熟した柑橘、少しパイナップル、ボトリティス、凝縮、
力強い甘み、上品で長いアフタ、アイスワインのヒントが少し。濃
厚で複雑、見事なアウスレーゼ。10月18日からおよそ10日かけ
てボトリティスのついた粒をえり抜いて醸造。アルコール度8.8%,
酸度8.1g/L, 残糖 135g/L。89

11. 2003er Leiwener Klostergarten Riesling Eiswein
12月9日と10日に収穫。凝縮した味わいに上品な蜂蜜の甘み、
濃厚で力強い。アルコール8.4度, 酸度 10.9g/L, 残糖 249g/L
(!)。この醸造所のアイスワインは毎年インパクトが強い。93



後日、ロッシ氏がプレーしていたポジションであるリベロの役割について友人に聞いてみた。彼によれば、リベロは味
方キーパーの前でディフェンスのミスをカバーするとともに先を読み、前線へ飛び出して攻撃に参加し、チャンスがあ
ればシュートするポジションだそうだ。それはロッシ氏の生き方に重なる面があるように思われる。80年代半ば、皆が
将来への希望を失っていた中で先を読み、辛口の高品質なワインを目指して攻撃に転じ、目覚しい成績を収めたの
だから。一流レストランのワインリストに載ることは、彼にとってゴールを決めることと同じ喜びに違いない。

およそ10年前、40歳になったのを機に彼はライヴェナー・ユングヴィンツァーを脱退した。「50歳を目前にして、もう若
者とは言えないからね。」とロッシ氏。しかし彼の野心は、醸造所を引き継いだばかりの20年前と変わっていない。ゴ
ー・ミヨのドイツワインガイドで3つ房、アイヒェルマンのワインガイドでは5つ星を獲得した彼のもとには、訪問客が後
を絶たない。僕達が試飲を終えかけた頃、次の訪問客が訪れていた。なんでもルーヴァーにレストランを開業するに
あたって、店で出すワインを選ぶために試飲に来たのだという。



今回、ゼルバッハ・オースター醸造所とヨゼフ・ロッシ醸造所を回ったが、どちらも今年の試飲会で好印象だったこと
から、一度訪問したいと思っていたにすぎない。しかし結果からすると、面白い対比だったと思う。どちらも80年代半
ばから後半にかけて現在のオーナーが醸造所を引継いだが、前者は既に定評ある醸造所を煩悶した末に引き受
け、後者は全く無名の零細醸造所を一流醸造所にまで押し上げた。ワインのスタイルもまた、前者が繊細な調和を
持ち味とするのに対して、後者は濃厚な自己主張の強さで顧客を説得してきた。しかし同時にまた、どちらも魅力的
なモーゼルワイン−しかも中部モーゼルの−であることは同じなのである。

一口にモーゼルワインと言っても千差万別、その多様さは計り知れない。
せめてもう少し、日本でもそれが理解されればなぁ、と、この原稿を書きながらしみじみと思った。

(2004年7月)

Weingut Josef Rosch
Muehlenstrasse 8
54340 Leiwen/Mosel
Tel. +49(6507)4230
Fax. +49(6507)8287
Email: weingut-josef-rosch@t-online.de
訪問には事前の予約が必要です。






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